難民申請を却下され収容されたクルド人。残された妻と3人の子供の「終わらない苦しみ」

難民申請を却下され収容されたクルド人。残された妻と3人の子供の「終わらない苦しみ」

イナンさんの3人の子供たち。パパの帰りをずっと待っている

◆難民申請しただけなのに、この扱いはおかしい

 トルコ国籍のクルド人であるビロル・イナンさんは2017年11月、難民申請が却下されて東京入国管理局(東京都品川区)に収容された。

 父親と引き離されたことで、残された妻と3人の子供たちの生活は一変し、不幸のどん底に突き落とされることになる。息が詰まる収容生活のなか、イナンさんは家族のことを考えると心配で夜も眠れなくなってしまった。

「私は悪いことはしていない。日本で難民(申請)しただけ。この扱いはおかしい」

 この突然の収容に、どうしても納得ができない様子だった。またイナンさんの妻も、異国の地である日本で子供たちと自分だけになってしまい、あたりが暗くなると怖くなって一切外出ができなくなってしまった。夜は眠れない日々が続いている。

 このような状況で、1人で3人の子供の面倒をみるというのは非常に困難なことだった。在日クルド人の親戚に助けてもらい、借金を抱えながら日々の生活をつなげていく。これは、いつまで続けていられるのだろうか? 不安は尽きない。

◆「パパを返してください」入管職員へ長男が必死の訴え

 当時小学2年生だった長男は、東京入管6階の違反審査部門(仮放免を決める部署)に出向き、日本語の不自由な母の代わりにこう訴えた。

「パパを返してください。僕だけパパがいないの。学校で辛いです。授業参観の日がイヤです。クルド人も、黒人も、日本人も、みんな同じ人間でしょ?」

 彼は必死に訴えた。しかし職員は必死に笑いをこらえているようだった。同行していた筆者が「笑いをこらえているのですか?」と質問すると、職員は「いや、日本語うまいな、と思って」と答えた。

 長男の必死の訴えを真面目に受け止めているとは、とても思えない対応だった。妻はそれからも3人の子供を連れて面会のため入管に出向き、時には職員に解放を嘆願していた。

◆遠い収容所に移送され、さらに面会が困難に

 しかしそんな願いもむなしく、イナンさんは2018年3月、さらに遠い東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に移送されてしまう。本人と家族の、ショックとダメージはかなり大きかった。

 家族が暮らしているのは埼玉県川口市。牛久の入管に行くためには、時間もお金もかかる。そうそう行けるものではない。JR常磐線牛久駅、もしくはひたち野うしく駅から、さらに長い時間バスに揺られなければならない。次男はそれに我慢ができず、バスに酔って吐いてしまったこともある。

 3人の子供たちを連れて遠い入管収容所に通うというのは、簡単なことではない。妻は日々ストレスをため、時には髪をかきむしることもあった。

 ある日、子供がアパートのガラスを割ってしまった。直すお金もないのでテープを張ってしのいでいた。冬はすきま風が入って寒かったという。

◆ガラス越しではなく触れ合えた、わずか30分の家族面会

 それでも、1つだけ良いことがあった。東京入管の収容所では厳しくて叶えられなかった、ガラス越しではない家族面会が牛久入管では許されたのだ。

 30分という短い時間ではあったものの、子供だけはイナンさんと触れ合えることができた。しかし時間が来て、小さな三男が「パパ、ばいばい」と言うと、イナンさんは泣いてしまったという。

 イナンさんの家族は牛久入管の総務課にも出向き、やはり母の代わりに長男か父親の解放を職員に訴えたこともあった。ここでも、職員はただ笑顔で対応したつもりだったのだろう。しかし、それが余計に子供たちを傷つけた。

「なんで笑うの? 笑わないでよ……パパを返してよ……」

 長男は力なくつぶやいた。

 当時小学2年生だった長男は、現在4年生になった。

「学校は楽しい。だけどパパのことを聞かれると、どうしたらいいかわからなくなる。ウソをつくのが辛い、早く帰ってきてほしい。パパとサッカーがしたい。いつも僕がやりたいことを一緒にやってくれた。怒ったことのない、優しいパパだった」

◆トルコには、安心して暮らせる場所がない

 イナンさんの妻は憔悴しきっていて、時にうなだれた。

「夫はトルコへ帰れない、今は危ない。せめて5年だけでも日本にいさせてもらえれば、もしかしたら安全になるかもしれない……。疲れた……子供はケンカばかり。宿題を教えてやれない、学校では夫のことを聞かれる」

 なぜトルコには帰れないのか。妻はこう語る。

「トルコは危ない。(トルコ政府の弾圧によって)クルド人である限り、安心して暮らせる場所はない。(トルコの)エルドアン大統領もクルド人嫌い。生活の中に、いつも差別あった」

 さらに、イナンさん一家が住んでいたガジアンテップという町は、内戦が続いていたシリアとの国境に近い。そのため多くの人々が出入りをしていて、現在、治安がとても不安定な状態にあるという。

 イナンさんが収容されて1年6か月が過ぎようとしている。入管には「トルコへ帰るように」と何度も言われているが、頑として「帰らない」との意思を貫き続けている。入管は厳しくなる一方で、なかなか解放される人がいない。イナンさんの家族のように、何年たっても引き離され続けているケースは非常に多い。

 これは子供たちの精神状態にとっても、決して良いこととは言えない。一刻も早く、家族が一つになることを望まずにはいられない。

<文/織田朝日>

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