特定進路を強制、幼少期に入信させる……。見過ごされる「教育虐待」の実態とは

特定進路を強制、幼少期に入信させる……。見過ごされる「教育虐待」の実態とは

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◆特定の進路を強制するのも虐待

「何が虐待なのか」を判断する権利は、本来、子ども自身にあるはずだ。たとえば、幼稚園の頃から体を打撃する空手を学んできた小中学生は、師匠の父親に殴られても蹴られても、身体的虐待とは思わない。むしろ、知らない相手と戦う試合の方が、どんなキックやパンチが飛び出すかわからないので、よっぽど怖がる。

 そのように親にずっと応援され、空手大会でも優勝経験も重ねるようになって、「中卒でアメリカへ空手修行に行きたい。カズ(三浦知良)だって高校を辞めてブラジルへ飛んだじゃないか」とワクワクしながら夢を語る少年がいた。だが、両親に無理やり高校へ進学させられた。渡米のためのアルバイトも禁じられ、「大卒でないと食えない」という親自身の不安を押しつけられた。やりたくもない受験勉強しかさせてもらえず、プロ空手家になるための練習時間は一切奪われた。

 現在、彼は20代後半になり、情熱を賭けるものを見失い、ひきこもりながらうつ病に苦しんでいる。夢を泣く泣くあきらめさせられた彼にとって、虐待は親権によって支配され、生きがいや挑戦権を奪われることだった。こうした被害があっても、親はその子のその後の人生に責任をもたない。そもそも、1人の人間の人生に、親だからといって責任を持てるだろうか?

◆ネットで話題になってきた「教育虐待」とは

 厚労省は、身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・心理的虐待の4つしか子ども虐待として認めていない。だが、高齢者虐待や障がい者虐待では認められている経済的虐待が子ども虐待でも認められる必要があることは、以前の記事で書いた。しかし、行政では対処が難しいタイプの子ども虐待も、少なからずある。たとえば、ここ数年、ネット上の話題になっている「教育虐待」だ。

 自分の意志もはっきりしない幼稚園の頃から、英会話にピアノ、書道やそろばんなどに同時に通わせ、週の半分以上を遊びに使えないまま、友人関係を学ぶチャンスを奪われて育つ子もいる。小学生になれば、塾での成績の低さを親になじられ、学力が常に1番でないと生きている価値がないかように感じてしまう子もいる。中学生になっても、より高い偏差値を見せない限り、親からスケジュールを厳しく管理され、高学歴以外の人生の豊かさを学べない子もいる。

 高校生の大学・短大進学率が54.8%(平成30年)に上る現代では、子どもの学歴が親の学歴を上回る場合も多い。だが、親の学歴コンプレックスによって子どもに自分の生きたい人生の進路を見失ってしまっては、元も子もないだろう。

 東大卒でエリート官僚や電通の社員になっても、上司からの不当な命令に「No」と言える勇気が育てられないままだった人は、内面にストレスをため込んでしまう。その先にあるのは、うつ病や薬物依存症、自殺などの個人的な苦しみだけではない。不都合な現実を見ない原理主義者として、問題が生じれば隠ぺい工作に加担する「社会悪」に成長しかねない。

 こうした教育虐待には、子どもが望む進路を親が無視し、勝手に先回りして決めたがるところに特徴がある。だが、これは親の学歴コンプレックスだけに起因するものではない。親権者には懲戒権が認められているからだ。政府・与党は子ども虐待防止に向け、今年2月から懲戒権の削除などの見直しを含め、家庭内の体罰を禁止する法改正の検討に入った。子どもにとっては、自分を支配し、奴隷化する権力にすぎない親権は、他にもさまざまな虐待を動機づけている。

◆親に特定の政治思想を刷り込まれることも

 たとえば、宗教団体の熱心な信者である親が、子どもを物心つく前から入信させ、子どもどうしの社会で浮いてしまう存在にさせることがある。ある子どもは、親の信心通りに「人を好きになってはいけない」と教えられた。小学5年生になる頃から、周囲の児童や教師から「もっとみんなと仲良くしろよ」と言われたり、「おまえの家は宗教だろ」といじめられた。家に帰れば、多額のお布施でお金がなく、カップラーメンを兄弟で分け合って食べる暮らしを強いられていた。家にも学校にも居場所を失った彼は、中学校の入学式以来、学校に行けなくなり、10代後半で家出した。

 他にも、親が子どもに極左や極右のような政治思想を刷り込んだり、やくざや企業舎弟の集団に属している親が日常的に反社会的な人間で子どもの生育環境を固めることがある。そんな状況で育つ子どもは、一般常識とカルト的な思想の間に宙づりにされ、学校と家庭のどちらにも安心できる居場所を失ってしまう。

 このような虐待は、戦時中に相手国を占領した国軍が自国の言語や文化を軍事力で強制するのと同じ構造をもつため、筆者は「文化的虐待」と呼んでいる。

◆親権制度の改革が必要だ

 文化的虐待は、親自身が障害者や精神病者、超高学歴や超低学歴である場合でも起こりうる。それぞれの属性が悪いのではない。子どもにとって、自分の言い分を一方的に否定する親心と、どんな親心でも法的に正当化できる親権は、支配的な権力になりかねない恐ろしいものなのだ。

 名づけられていない虐待のタイプは、他にも無数にある。今日、親族や仲の良い友人が近所におらず、配偶者の協力も得られないまま、したくもない虐待を孤独の中で続けてしまっている親は少なからずいる。1人か2人の親に「あなたの子でしょ」と子育ての全責任を押しつける親権制度を根本的に改革しない限り、子育てを頼り合える社会の実現は遠く、子どもが虐待される悲劇はいつまでも続くだろう。

<文/今一生>

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