学校のファシズムが、国に都合のいい子をつくる

学校のファシズムが、国に都合のいい子をつくる

リュウタ / PIXTA(ピクスタ)

◆なくならない「組体操」や「ブラック校則」

 人を米俵のように積み上げることが、先生たちには快感なのだろうか――。

 運動会の組み体操のことである。学校側は、「教育的意義がある」「一体感を得ることができる」「伝統だから」などと説明するが、子どもの命をかけてまでやることではないだろう。

 そもそも、学校には安全配慮義務がある。組み体操に保護者が期待する声があるというが、実施を決定しているのは学校だ。過去に死亡事故や後遺障害を負った例があり、専門家からも危険だと指摘されているのに、学習指導要領にもない演技を続けているのは不適切だといえる。SNS上では、組み体操と特定の宗教との関わりも指摘されている。個人の尊厳を奪う憲法違反でもあると思う。それとも、学校は「特別」だから、「命より伝統が大事だ」と言い逃れできるというのだろうか。

 学校は長く、「治外法権」だと言われてきた。人権を侵害するような校則も目立つ。

 制服のスカート丈の長さ、下着や靴下の色、ブラジャーの形、髪の長さや色、髪留めのゴムの色や留める位置、校章のワッペンを縫い付ける糸の色、鉛筆の本数、教室で発表する時のいすの引き方……など、統制はありとあらゆる場面に及んでいる。

「社会に出てからの決まりを守る練習」という説明も聞くが、下着の色まで決まっている会社があるのだろうか。

 しかも、こうした細かな校則は、親世代が現役の中高生だった頃よりも増えているという。なぜなのか。

◆モラハラ取材で垣間見えた学校教育の「効果」

 先月、モラルハラスメント(精神的DVの一種)の取材をして、その「効果」に気づいた。妻が茶わんによそったご飯の量に対して「一口多い」「二口少ない」などと文句を言い、冷蔵庫の中身など日常生活の隅々まで細かなルールを設定している夫がいた。どんな意味があるのか不思議に思い、取材先の臨床心理士に尋ねると、これは加害者に典型的な特徴なのだという。細かなルールを一つひとつ守らせることで相手を支配し、思考力を奪うことができるからだ。

 たとえば、「服装の乱れは心の乱れだから、校則で規制している」といわれる。一方、生徒の服装が乱れたとき、心の部分に着目して「何かあったの?」と尋ねるような指導がなされているとはいえない。スカート丈が短かったら、生活指導担当の教員が「短すぎるぞ」と叱って正すだけで終わりになることがほとんどだろう。

 つまり、校則は「守らせること」そのものに意義が見いだされている。そう感じざるを得ない。細かな校則を一つひとつ守らせていくことで、反抗しない従順な子どもを育てようとしているのではないか。人間としてではなく、米俵として……。組み体操で培われるという「学習規律」は、号令一つで子どもたちを素早く動かすために都合がいい。

 子どもを「個」ととらえるのではなく、「集団の構成員」として扱う思想は、安倍政権の「教育再生」が向かっている社会のあり方とも合致している。

◆道徳教科書検定で修正された「家族」の描写

「かぞくについておもっていること」という記述は、「だいすきなかぞくのためにがんばっていること」へ。「じぶんのことをつたえてみよう」は「ともだちともっとなかよくなろう」へ――。今年3月、小学校の道徳教科書の検定で「不適切」とされ、修正された文章の一例だ。

 2018年度から小学校で道徳が正式な教科になると決まったとき、文部科学省は「考え、議論する道徳」を掲げ、「子どもを一定の方向に導くものではない」と繰り返し説明してきた。だが、この細かい検定意見を見る限り、「おしつけ」への懸念はぬぐえない。

 学習指導要領には、「規則の尊重」「公共の精神」など学年によって19〜22の道徳的価値が定められている。文科省は、これを「内容項目」と呼んでいるが、戦前の教科だった「修身」の「徳目」とほぼ変わらない。教科書検定では、この「徳目」に沿って細かい意見がつき、各教材がどの「徳目」に対応するかまで明示を求めている。

 冒頭の例「かぞくについておもっていること」では、「徳目」の「家族愛、家庭生活の充実」に書かれている「家族のために役に立つ」という部分が必要だったし、「じぶんのことをつたえてみよう」では、「友情、信頼」に対応していることをはっきり示していなかったというわけだ。

 ほかにも、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」では、地域への「思い」を強調するような記述が求められた。「パン屋が和菓子屋に変わった」と話題になった前回の教科書検定よりも、細部にわたってチェックが厳しくなったように見える。

◆学校で拡大する「心を磨く」活動

 もちろん、こうした愛国心や家族愛を強調するような道徳教育の背景には、第一次安倍政権発足直後の2006年に改正された教育基本法がある。

 道徳教育は、学校教育全体を通じて行わなければならないものとされ、学校では、今、「心を磨く」活動が盛んになっている。

 筆者の子どもが通う都内の公立小学校では、職員室の近くに「あいさつ賞」を受賞した児童の写真がはってある。「あいさつって表彰するものなの?」と疑問に思い、どんな人が贈られる賞なのかを子どもに尋ねたところ、「自分から先に先生にあいさつした人」だという。「たまたま先生と目が合ってあいさつしたら、あいさつ賞なの?」。疑問がふくらんだ。

「あいさつ運動」にも力を入れている。校門前で登校する児童らに「おはようございます」を連呼する「あいさつ当番」が回ってくると、子どもは普段より早く登校しなければならない。PTAによる保護者への参加の呼びかけもある。

 あいさつは、コミュニケーションの基本だといわれる。確かに、街で会った顔見知りの保護者から、あいさつをされると気持ちがいい。ただ、あくまでコミュニケーションの一つであり、どんな人間関係であっても、おうむ返しに「言わなければならないもの」ではないはずだ。だが、学校は「豊かな心の育成」を掲げ、当たり前のように運動化している。

 友達への言葉がけについて、自分で目標を設定し、できたかどうかをチェックするワークシートが配られたこともあった。

 なぜ、学校が子どもの人間性にまで口出しするのだろう。そんな疑問をきっかけに学校を取材したところ、「心を磨く」活動は想像以上に広がっていることが分かった。

 素手でトイレ掃除をしたり、体育の授業でお辞儀を学んだり、親になる心構えを学ぶ授業があったり、弁当が神聖視されていたり……。

 こうした活動や授業を、誰がどんな目的で広めているのか。保護者や地域も巻き込んで達成されようとしている日本の教育の行方を、『掃除で心は磨けるのか いま、学校で起きている奇妙なこと』(筑摩選書)にまとめた。

「虐待だ」と批判もされている素手でのトイレ掃除は、実際に体験させてもらった。体験しなければ、その活動が何を伝えようとしていて、なぜ教員たちが夢中になってしまうのかを知ることができないと思ったからだ。実際に体験することで、「ただの掃除」ではなく、一つひとつの行為に「教育的な」意味づけをされていることが分かった。

 埼玉県の公立中学校には、「あいさつ賞」ならぬ「輝き賞」があった。15分間黙ってひざをついて掃除をする「無言ひざつき清掃」を頑張っている生徒を表彰するものだ。自ら汚れに気づいて動き、自問自答を繰り返すことで、生徒たちの「荒れ」が収まるという効果があったとされている。こうした無言清掃は、さまざまな形で全国に浸透中だ。

 たびたび疑似科学として話題になるマナー「江戸しぐさ」は、学校や自治体で利用され、新たな「○○小学校しぐさ」が生まれている。同僚の子どもが通う都心の公立小学校でも、児童による「○○しぐさ作り」が実践されたという。卒業式など儀式の際は、白シャツと濃い色のズボンを着なければならないという「○○小学校スタイル」もあるそうだ。

◆学校ごとの問題に矮小化してはいけない

 最近、ツイッターでも、軍隊のような集団での行進や、応援団を中心とした上級生の指導による高校の応援歌練習の動画などが「気持ち悪い」と拡散されている。

 一方で、校則や定期テストのない一部の公立学校が持ち上げられるようにもなった。ただ、いま学校で起きていることは、学校ごとの問題に矮小化してはいけないと思う。公教育全体のあり方を問わなければ、子どもや家族がつまずいたとき、「良い学校を選ばなかった個人の自己責任」にされてしまうのだから。

◆「なにか、おかしい」と気づいている人はきっといる

 5月18日、保護者と教員でつくる任意団体「PTA」のあり方について疑問をもつ新聞記者や保護者がつながり、都内で「PTAフォーラム」というイベントを開いた。当初の参加申し込みは数人で、実行委員も赤字を覚悟していた。だが、直前の告知だったにも関わらず、当日は全国から80人以上が参加して熱い議論が交わされた。

 参加者たちは、PTA会費から交通費などを出してもらったわけではない。九州や東北など遠方からも、自費で駆けつけた人たちだ。北海道新聞や熊本日日新聞など地方紙の記者たちも実行委員会に加わっていた。私たちは、こうした交流を通して、民主主義が地域に根付く一歩になればと期待している。

「なにか、おかしい」と気づいている人は、きっと身近にいる。

 教員の中にも、個より集団を重んじる学校に疑問を持ちながら、多忙な日々や「聖職」という特別な意識に縛られて、身動きできなくなっている人たちがいる。

 我が子だけが選ばれた「良い教育」を受けられたとしても、集団に同調する教育を受けた人たちが大半を占める世の中になれば、誰もが生きづらい社会になってしまう。

 気づいた人と一緒に声を上げていきたい。

 拙著『掃除で心は磨けるのか――いま、学校で起きている奇妙なこと』では、学校や地域で起きていることを教育政策に照らし合わせながら俯瞰し、全体像が見えるように工夫した。教育について考える全ての人にとって、本当に今のままでいいのかを立ち止まって考えるきっかけになればと思う。

<取材・文/杉原里美 Twitter ID @asahi_Sugihara>

すぎはら・さとみ●朝日新聞専門記者(家族、教育担当)。1992年に朝日新聞社に入社し、主に家族をめぐる法律や社会保障など、家族と国家の関係について取材している。社会部・教育班を経て、2018年4月から現職。近刊に『掃除で心は磨けるのか――いま、学校で起きている奇妙なこと』(筑摩選書)。『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)では教育分野を執筆した。

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