手錠腰縄で病院内を歩かされたバングラデシュ難民が仮放免、しかし苦難は続く

手錠腰縄で病院内を歩かされたバングラデシュ難民が仮放免、しかし苦難は続く

病院内で、手錠腰縄をつけて歩かされるマールーフさん。この写真が大きな話題となる

◆病院の中で繰り広げられた異常な光景

 2018年10月、3人の入管職員が1人の外国人を手錠腰縄でしばりながら、多くの人が行き来する病院内を歩かせていた。たまたまその場に居合わせた人物が、その姿を写真におさめた。

 そこには、人前にさらされ、苦痛に満ちた表情の人物が写されていた。撮影者が画像を筆者に提供してくれたので、入管のやり方に異議を唱えるため、ツイッターに青年の顔をぼかしてからアップした。

 人道を一切配慮していない写真はまたたく間に転送され、大きな話題を呼んだ。すぐに、東京入管の総務課から筆者に削除依頼の電話があった。職員との話し合いの結果、被写体の人物と会って相談したうえで削除するかを決めると回答した。

 しかし電話から3日後、被写体の人物は茨城県にある東日本入国管理センター(牛久入管)に移送されてしまったことがわかった。

 入管問題に関わる弁護士の間では「写真を削除しなかったことへの報復だろう」とささやかれた。しかし法務省側は、関係者の質問に対し「移送はこの件とは関係ない」と否定している。

◆政権側メンバーや警察に襲撃され、頭部と膝を負傷

 本人の名前を特定するのに時間がかったため2か月の遅れを取り、やっと牛久入管で写真の人物と会うことができた。

 バングラデシュ出身のMD・アブドラー・マールーフさん(36歳)は、足を引きずりながら面会室に入ってきた。髪はボサボサで、両の白目が真っ赤に充血していた。それだけで十分、憔悴しているのがわかった。しかし、その割には落ち着いた様子だった。

「この写真が原因で自分は牛久に来たのでしょう。しかし、私は顔も名前を出してもいい。私は難民です。それをあのように手錠や腰縄で、多くの人の前で恥をかかせるやり方は納得がいきません。たとえニュースになっても構わない、私はこのことを(世の中に)伝えたい」(マールーフさん)

 現在、バングラデシュではAL(アワミ連盟)が圧倒的多数の議席を占め、政権を握っている。そのため、野党の政治家や支援者に対する弾圧や拘束なども珍しくはなく、苛烈な政権のやり方が野党支持者を震え上がらせている。

 マールーフさんは、かつてはALと並ぶ二大政党だったBNP(バングラデシュ民族主義党)BNPの地方青年組織の副委員長を務めていた。2012年、彼は青年組織の仲間と、大学の教室を借りて100人くらいの大きな集会を開いていた。

 その時、集会参加者数を上回る200人以上のALメンバーや警察が、鉄棒や刃物を持って襲撃してきた。多くの人が被害にあい、その時マールーフさんは頭部と膝を強く打たれた。その後3日ほど意識を失い、目覚めても正常な状態に戻るまでには時間がかかった。

 BNPの中心人物は国外逃亡をせざるをえないほど、現在のバングラデシュにでは非常に危険な状態にある。

◆中国にも母国にも戻れない状態になり、日本で難民申請

 その後、マールーフさんは母国を離れてマレーシアや中国などを転々としていた。中国では特定の住所はなく、船の上で働いていた。2015年11月、船の仕事で何度も訪れた日本に仕事で来たときに事件は起こった。川崎港で船は大火事を起こし、とても中国へ戻れる状態ではなくなってしまった。

 そこで他の乗組員とともに2週間ほどの上陸ビザをもらい、ホテルに滞在していた。ところが突如、中国の会社から雇い止めの通告があり、そのままバングラデシュに帰るよう宣告された。

 危険な母国に戻ることはできないマールーフさんは悩んだ結果、同12月、入管に出向いて難民申請をした。しかしすでにビザが切れてしまっていたことから「仮放免」という立場で生活することになった。

 母国に残された家族は、ALのメンバーに「マールーフはどこにいるのか?」と脅され、「日本にいるのならカネを相当、稼いでるだろう」とたびたび恐喝を受けた。今は家を離れ、別の場所でひっそりと暮らしている。

◆手錠腰縄写真について国会で追及も、入管側は改善せず

 2018年2月東京入管へ仮放免手続きに出向いた際、マールーフさんは「難民として認められない」と言われ、その場で収容された。手錠腰縄の写真の件はその年の10月。本人は病院で写真を撮られたことも、インターネットに載ったことも知らなかった。そして、仮放免手続きをわずか1週間で却下され、牛久入管に送られることとなった。

 最初は顔を隠されていたが、本人の希望もあって顔も出すようになった。それがさらに大きく話題を呼び、ニュースにも取り上げられることになった。3月26日には、衆議院法務委員会でも取り上げられた。

 立憲民主党の初鹿明博議員がマールーフさんの手錠腰縄写真を持ち、追及した。

「腰ひもがいつも見える状態で連れていかれるので、収容者の方々からすると、本当にすごくそれがつらいと言っているんですね」

「確かに、逃亡の防止だとかそういうことから、何らかの逃げないような措置というのは必要だとは思いながらも、やはりあからさまに、何かした人だなというのが周りからわかるような状態というのは、本当に極力わからないようにする必要があるんじゃないかと思うんですよ」

 それに対し佐々木聖子入管局長(現・長官)はこう答えた。

「護送に支障をきたさない範囲内で捕縄を短く把持するというようなことなど、人目に触れにくい状態で使用しております。さらに、病院施設内の動線につきましても、できる限り一般の方との接触を避けるなど、病院にもご協力いただきながら、配慮をしているところでございます。引き続き、人権に配慮した処遇に努めてまいります」

 しかし手錠腰縄の件については改善の様子はなく、被収容者たちの間では不満は高なるばかりだった。一方、マールーフさんだけは、病院に連れて行かれる時に手錠腰縄をされることはなくなったという。

◆1年3か月の収容の後、突然に仮放免の許可

 バングラデシュで怪我をしたマールーフさんの足は、良くなるどころか悪化する一方だった。ついには立てなくなって車いすを使用するようになっていた。

 殴られた箇所の痛みは今もひどく、夜も眠れない。まるで地震が起きているような震えに襲われる。息をするたびに左胸の痛みが走る。さらに、収容されてから目がどんどん悪くなった。翼状片(白目の組織が 黒目の方へ伸びてくる病気)と診断され、常に目が充血して視力がだんだんと奪われていった。血圧は下が140、上が220と、いつ倒れてもおかしくはない状態だ。

 牛久入管に移送されてから2か月、2回の仮放免手続きが却下されてマールーフさんはしばらくそのままにしていた。4月ごろ、職員に早く次の仮放免手続きを出すよう催促され、ゴールデンウィーク前に書類を提出した。そして5月24日、およそ3週間という速さで仮放免の許可が出て、解放されることとなった。

 牛久入管に移送されてから7か月目のできごとだった。東京入管と合わせると1年3か月で解放されたことになる。十分長い期間ではあるが、現在の収容期間としてはとても早いほうで、他の被収容者やその家族からは驚かれている。

◆膝は手術しないと治らないが、保険もない

 敬虔なムスリム(イスラム教徒)であるマールーフさんは、のちに写真の件を静かに語った。

「最初は驚いたけど、俺も男だからうろたえたりはしなかったよ。おかげで色々な人に出会い支援してもらった。これは神様が引き合わせてくれたものだったんだ」

 そう語っているうちに、声のトーンが落ちてきた。

「ただ日本に来たばかりに……私、かわいそう。歩けない、働けない。解放されてから病院に行ったけど、膝は手術をしないと治らない。保険がないから20万円以上かかってしまう……」

 マールーフさんは現在、同じバングラデシュ人の友達のアパートでお世話になっている状態。何もできない状態から早く脱却したいと願う彼の苦難はこれからかもしれない。

 難民認定さえされれば、少しは良い状態になるだろう。しかし、展望はまだまだ厳しい。早く自由をつかんで、安心した生活を送ってもらいたい。

<文/織田朝日>

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