共同保育の試みを記録した映画『沈没家族』が問いかけるもの

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◆親戚でもない「いろんな大人たち」に囲まれて育つ

 1997年夏、東京・中野に住んでいた筆者は、友人に誘われて東中野のアパートを訪れた。1階の玄関のドアは空いていて、数十人ほどの靴やサンダルが雑然と脱ぎ捨てられていた。見るからに不衛生な印象を持ったが、同時に懐かしくも感じた。

 筆者がまだ小学生だった1970年代、埼玉県川口市の古びた長屋に年1回、父に連れられて行った。そこは親戚の家ではなく、父が18歳まで別の家族と2世帯で同居していた一間だけの家だった。

 父が中高生だった1950年代までは、そのように血縁ではなく、地縁の隣近所同士が同じ家屋をシェアしながら暮らす長屋は珍しくなかったのだ。戦後の貧しさの中で生活を維持するには、そうしたご近所同士の頼り合いをお互いに必要としていたし、自分の子でなくても悪いことをすれば叱る大人が珍しくなかった。

 その記憶があるから、きれいとはお世辞にもいえない東中野のアパートを訪れた時、よれよれTシャツでヒゲ面のおじさんたちがわんさかいても驚かなかったし、3歳ぐらいの男子が部屋中を走り回っていても、新しさを感じることもなかった。

 「沈没ハウス」は、3組の母子と数人の若者が各部屋に居住し、生活を共にしながら育児も分担し、居住者だけでなく、(僕のように怪しいおじさんを含む)多くの人が頻繁に出入りする場所だった。

 1995年、シングルマザーの加納穂子さん(当時23歳)は、1歳だった息子の土くんを一緒に育ててくれる「保育人」を募集するため、電信柱などにこんなビラを貼り始めた。「他者との交流のない生活でコドモを(自分も)見失うのは、まっぴらゴメンです」

 「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」と考えたのだ。

 すると、仕事をあまりしていない20代の独身男性や幼い子のいる母親など10人ほどが集まり、月1回の会議で担当日を決めて、育児日記も書きながら当番制で時間ごとに子どもの相手を担当する共同保育が始まった。その建物は、「沈没ハウス」と呼ばれていた。

 若い穂子さんにとって、専門学校や仕事に通うことを育児のためにあきらめるのは悔しかっただろう。

 そこで、子育てを一緒にしてくれる人たちが十分にいれば、自分の時間も保てるため、その分、息子に対して余裕をもって向かい合える。

 そうすれば、子育てを苦労や面倒だけにせず、「楽しめるもの」に変えられる。そうした子育て環境にしたいと思って動いてみたら、結果的に実現できてしまったのだ。

 昔の地縁による相互扶助と異なるのは、地縁ではなく「共同保育」に参加したい人なら歓迎する構えで保育人を「公募」した点だ。

 親にとってはどんな人が来るのかはドキドキかもしれないが、責任の重さにつぶれそうな人は応募しないだろうし、子育てを面白がれる人でないとそもそも応募しないだろう。

◆子育ての是非を判定できるのは、育てられた子どもだけ

 いずれにせよ、当時の穂子さんにとっては、学校も仕事も子育ても両立させるには、複数の保育人が常にいる環境を作らなければならなかったのだ。

 それでも、「そんなよくわからない人に囲まれた環境で子どもがまともに育つのか?」と疑問や怒りを覚える人もいる。しかし、子育ての是非を判定できるのは、そうした外野ではなく、育てられた子どもだけだ。

 1994年生まれの土くんが、「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃だったという。そのころ、母と2人だけで「沈没ハウス」を離れ、八丈島に移住した。その生活環境の変化が幼い彼に、「ほかの子と違う」という自意識をもたらしたのかもしれない。

 やがて大学生になり、改めて「ヘン」と思った彼は、卒業制作としてかつての「家族」にカメラを向けたドキュメンタリー映画『沈没家族』の撮影を始め、完成作はPFF(ぴあフィルムフェスティバル)等の映画祭で評価された。卒業後はテレビ番組会社に入社し、ドキュメンタリーや情報番組の制作に従事しながら再編集し、今夏「劇場版」の公開に踏み切った。

 「沈没家族」という名称は、1996年当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子さんが当時に命名したそうだが、子育てを複数の男女がみんなで助け合って「沈没」したところで、誰が困るんだろう?

 そもそも、父がいて、母がいて、子どもがいて、三者が同じ家の中でいる姿だけが「まともな家族」だろうか?

 いろんな大人たちに育てられた当事者である「土くん」が監督した映画『沈没家族 劇場版』には、彼と一緒に沈没家族の中で育てられた女子も登場する。映画の中で、彼女はこう証言している。

「親と教師以外の大人にあんないっぱいかまってもらえるってさ、子どもにとって貴重なことだと思うし、小さいころだから自分の意見を言語化できなくても、たとえば親に怒られても、ほかの大人の部屋に行ったら甘やかしてくれるわけじゃん。家の中に逃げ場があった。親以外に甘えられる場所があった」

 土くんも言う。

「その場で育つ子どもたちにとって、こういう実験結果ってどうなんだろうと思うと、悪くないよ。まぁまぁ成功してるよ。壮大な人体実験だけど」

 沈没家族の大人たちに育てられた子どもたちは、大人になった今、かつての「保育人」に対して「家族」や「友達」と呼称することにとまどいを覚えながらも、彼らとの暮らしと自身の生い立ちについては満足している。

◆親は子どもにとって「育ち」を助ける機能にすぎない

 実際、「家族であるかどうか」なんて問いは、どうでもいいのだ。子ども自身が自分の育てられた環境を「悪くない場所」「憎めない関係」と感じていることがすべてだろう。

 どんな生育環境が心地よいのかを判断する権利は子ども自身にあり、親にも「保育人」にもないのだから。子育ての良し悪しを判断できるのは、親でも世間でも子育ての専門家でもなく、育てられた子ども自身なのだから。

 それが理解できると、育てる大人が自分だけ子育ての重責をしょい込もうとすること自体がおかしなことに見えてくる。同時に、父母だけに親権を独占させ、「あなたたちの子でしょ。夫婦で何とかしなさい」と世間から指弾される根拠になっている民法も、制度疲労を起こしていることに気づくだろう。

 だから筆者は、親権という重すぎる責任を父母に独占させず、誰もが親権者になれる制度(親権シェア)へ更新する議論を始めたいと思う。

 何人でも親権者になれれば、子どもは両親に虐待されそうになっても産みの親以外の親権者に安心して頼れる。親の方も、子育てにかかる時間・お金・労力のコストを3人以上の親権者で分担できるので、第2子も産みやすくなる。

 「沈没」どころか、少子化に歯止めをかけるのにも、面前DVや密室育児による子ども虐待を防ぐためにも、好都合な新制度になるはずだ。

 親も家族も保育人も、子どもにとっては「育ち」を助ける期間限定の機能にすぎない。その期間を過ぎても、子どもが自発的に付き合っていきたいと思えるだけの関係を作れるかどうかこそが、大人に問われている。

2人だけで育てるのが辛かったら、ブログやSNSなどで「共同保育」に参加したい若者たちを公募できる時代だ。

 面接して選考すれば、一時的に子どもを預けられる人は見つかるし、同時に2人以上が子どもの面倒を見ていれば、切実に困るようなことは起きようがない。シェアハウスやUR賃貸などなら、住みながら心を許せる若者を建物内で探せるかもしれない。

 映画『沈没家族 劇場版』は、そうしたワクワクする選択肢さえ考えさせる作品だ。

 恐れることはない。子どもが満足するならどんな選択肢も正解だし、子育てという実験には「唯一の正解」などないのだから。

 上野千鶴子(社会学者/東京大学名誉教授)さんは、本作をこう評している。

「『産んでくれてありがとう』は子から親への最高の贈り物。生まれてきて生きづらさを訴える子どもたちが多いなかで、愛されて育った土さんの自己肯定がまぶしい。母親の穂子さんのキャラクターも強烈だが、それ以上にみごとな子離れ・親離れの物語になっていることに感動。この春亡くなられた祖母の加納実紀代さんは、作品を見て『娘と孫を誇りに思う』とことばを残して逝かれたとか。間に合ってよかった。リスペクトしあう家族。惜しみなく口にすればよい」

<取材・文/今一生>

【今一生】

フリーライター&書籍編集者。

1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。

その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。

著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。

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