ユニークフェイス問題のパイオニアが語る、「今日まで、そして明日から」

ユニークフェイス問題のパイオニアが語る、「今日まで、そして明日から」

石井政之さん

◆通りすがりに「私があんな顔だったら自殺しちゃうわ」と言われる

 あなたの顔の半分に赤いアザがあったら、どんな人生になっただろう?

 あなたの子どもが顔に治せない問題を抱えて生まれてきたら、何ができるだろう?

 顔のあざや奇形、アルビノ(※生まれつきメラニンが欠乏することで皮膚や毛などに色がない遺伝子疾患)などの「顔面問題」によって社会的に排除され、外出や就職、対人関係などに困難を抱えている人は少なからずいる。

 この問題に苦しむ当事者を“ユニークフェイス”という造語で表現し、当事者の苦しみを日本で初めて本格的に社会に訴えたジャーナリストがいる。石井政之さん(54歳)だ。

 石井さん自身、生まれつき顔に血管腫があり、子どもの頃は学校でひどいいじめに遭っていた。

 大卒業後、顔にアザやキズがある当事者の取材を始めた彼は、やがてその取材に疲れ、報道カメラマンに憧れて中東へ取材に飛んだ。だが、レバノンで顔に赤アザのある女の子に出会い、顔のために苦しむ人の問題をライフワークにすると決意した。

 1996年、ニューヨークに飛んだ石井さんは、顔面問題に関する英米のNPOを取材する一方、学術論文や専門書を集め、1999年に自伝的ノンフィクション『顔面漂流記』(かもがわ出版)を執筆した(※2004年に『顔面バカ一代 顔にあざのあるジャーナリスト』に改題されて講談社文庫に収録)。

 すると、読者のユニークフェイス当事者から多くの手紙が届いた。そこで、当事者たちが本音で語る場所がないことに気づいた彼は、外見に疾患・外傷・先天異常などの当事者を集め、自助グループ活動を本格的に始めた。

 当事者には、「気にするな。顔より心だ」と言われたり、自殺を思いつめる人もいた。石井さん自身、通りすがりの人に「私があんな顔だったら自殺しちゃうわ」と不意打ちを食らわせられて落ち込んだこともあった。当時、顔の問題を研究している学者は日本に一人もいなかった。

 そこで石井さんは、ユニークフェイスをNPO法人化し、当事者向けのピアカウンセリングの定期開催、一般向けのユニークフェイス説明会、当事者を被写体とするドキュメンタリー映画『ユニークフェイス・ライフ』の制作・上映のほか、企業・自治体・大学などで講演会活動なども精力的に行っていた。

 しかし、2007年に結婚して東京を離れ、静岡県浜松市に移住。サラリーマン生活と出産・子育てを経験し、2015年にはNPOを解散した。活動中止の理由について、石井さんはこう答えている。

「人材も運営資金もギリギリで、身も心もすり減っていました。持続可能な組織ではありませんでした。そんな時、自分には縁がないと思っていた結婚をしました。家族を養うため、収入が不安定なフリージャーナリストをやめ、静岡県の一般企業に就職しました。活動から逃げてしまったという後ろめたさもありましたが、当時の判断は間違っていなかったと考えています」(withnews2018年11月23日より)

 その後、11年の結婚生活を経て離婚。今年から神奈川へ単身移住した石井さんに、ユニークフェイスをめぐる状況の変化と今後の展開を尋ねた。

◆「ふつうのルール」に振り回され、孤立化する当事者たち

―― 石井さんがNPO活動を辞めてから、ユニークフェイス当事者の悩みは変わっていないのでしょうか?

石井:学校でのいじめ、就職差別、恋愛・結婚差別。この3大困難は、今でも当事者が個別に戦っているでしょう。でも、「誰にもこの悩みを言えない」という当事者がすごく多く、家族にも誰にも悩みを話せていない。

 身体障害者と比べればたいしたことないからと、深く考えないユニークフェイス当事者も。周囲から「あなたの悩みは大したことがない」と軽く言われるので、自分でもそう思い込もうとして、思い込めないので、気持ちがだんだん落ち込んでいく。日本社会のふつうのルールに振り回されてしまうんです。

 身体障害者の中には片手の漫画家もいれば、経営者もいるし、パラリンピック選手もいる。しかし、ユニークフェイスには、そういう目指すべきモデルがいないに等しい。だから、孤独の中でメンタルを病んでいき、助けを求めない。孤立感は大きい。

 20年前の初期のユニークフェイスの集まりでも、一言二言しゃべらせるのに一苦労したし、「同じ悩みを持ってるのだから言わなくても察してほしい」と。僕より年上で顔に悩んでいる人は、ほとんど沈黙してますから、どこにいるかもわからない。ネットにも出てこないし、名前と顔を徹底的に隠してます。

―― 石井さんが結婚し、子育てをしながらサラリーマン生活を10年以上も続けたことは、他のユニークフェイス当事者に一つの希望を与えたように思いますが…

石井:僕より年下で結婚願望がある当事者は、希望に感じたでしょう。たった一人の恋人や結婚相手を見つけるために、どんだけ工夫すればいいのかと思うし。平均的な日本人ではない自分のオリジナルの生き方を模索しないと、ハッピーになれない。

 これには、まず練習が必要。常識に縛られて頭でっかちになって動けない人を大勢見てきましたから。小さな努力を大切に、コンプレックスや生きづらさが生きることを邪魔してる。

―― 日本には、自分と違うというだけで排除する文化がありますからね。

石井:同じような顔でないと落ち着かない。同じ制服でないと落ち着かない。リクルートスーツのサラリーマンとして、靴の色も表情も話題も同じでないと落ち着かない…。

 僕のような顔の人間が面接試験に行く時は、他の多くの日本人と同じように同じ話題で同じ服で合格するだろうかと考えるんです。同じ構えなら僕が負けるルールに乗っかるのと同じ。だから自分のルールで生き残ることを考えながら生きざるを得ない。

 顔面問題を抱える人は国内に80万人くらいいるはずで、治療で簡単に治らず一生その顔と付き合う人は40万人はいるでしょう。潜在的な仲間、同じ境遇の人間は少なからずいる。でも、当事者による悩みや困りごとの発信はまだ少ないんです。

◆iPhoneが出て、世界が変わった

―― 石井さんはサラリーマン時代に人前に出る営業マンをしていたそうですが…

石井:警戒心を抱かせず、相手の本音を聞き出すのは、初対面の人に話を聞く取材と同じでした。営業は基本的に無視される仕事なので、子どもの頃に無視されてたことを思い出し、嫌われるという点でも同じ。

 相手の第一印象は、「ヘンな顔をしたやつが来た」。それでも、顔にあざのある僕が「どうもー」と入っていくと話を聞いてくれる。他の営業マンと違ってしつこくせず、「じゃあ帰ります」と言うと、「ちょっと待て」と。

 そうやって車も太陽光発電も保険も売りました。自分なりの方法を模索していくと、日本社会のスタンダードなルールや常識に飲み込まれない方法を獲得し、自分の暮らしが成り立っていくんです。

 時間単価に見合わないことは趣味だと割り切れるし、ユニークフェイス活動もそうであって結構。そういう構えでやっていくのも人間の営みとして正しいと、割り切りがしやすくなりましたね。

―― 東京を離れてからの11年間、ユニークフェイス界隈は変化しましたか?

石井:マイフェイス・マイスタイル(※ユニークフェイス問題の解決を掲げる東京のNPO法人)が引き金になって、若い当事者がしゃべり始めたことは評価できる。スピーカーに育てた功績がある。変化が劇的にありえたのは、スマホとSNSの普及によるものが大きい。

 僕が浜松に移住した後にiPhoneが出て、世界が変わった。当事者各自が自学自習していき、自分の好みの当事者とコミュニケーションをとれるようになり、自発的にセルフヘルプができるようになり、口唇口蓋裂友の会とか、医者が顧問の患者会などの古いタイプの組織にすがる必要がなくなった。

 若手で期待している活動家は、和歌山在住の氏家志穂さん。彼女は2児の母親で、顔の半分に赤あざがあり、「あざと共に生きる会 Fu*clover〜フクローバー」という団体で12年間も当事者支援を続けてます。でも、当事者の活動家は増えてません。外川浩子さん(※前述のNPOの代表)のようなサポーター的な活動家も、他にいません。

 当事者が書いた本も数冊しかない。他のマイノリティの運動を見ると、20年もあれば、当事者の書いた本は数え切れないほど出てるのに。ユニークフェイス当事者はまだ語り始めたばかり。僕だけ書いていてもしょうがない。みんなもっと書いてほしい。

◆ユニークフェイス当事者は、まだ語り始めたばかり

―― ユニークフェイスの問題を解決するアクションに、希望はあるのでしょうか?

石井:LGBTなどの他のマイノリティがぶつかる壁は、ユニークフェイスにもいつか起こるでしょう。顔面差別的な就職裁判も、いじめ裁判も。そういう時は一緒に戦える人間になりたいと思う。ハッピーな人間は、ヤバい状況にある人を眺めてるだけで助けないから。日本社会にはノブレス・オブリージュの文化もないのでね。

 僕は、ユニークフェイス研究者としての位置づけをしつつ、文章の力で社会にゆさぶりをかけていくことに集中していけば、残りの人生を無駄にしないでいられると思う。新たに法人化して活動することは考えてないです、今は。

 個人の言葉の力を信じる原点に戻り、在野の研究者として本を書き、勉強会を作り続けていきます。もっとも、自分の顔の絵を自分で描いたり、アーティストに描いてもらうような自画像プロジェクトはやってみたいですね。当事者自身にアクションしてほしい気持ちは残っているので、自分の感情に正直に表現していきたい。

 100年、200年のスパンでものを考えたい。まだこれからなんです。本もちゃんと売らないと、日本社会からユニークフェイス問題に関する関心なんて忘れ去られてしまいます。今の時代にフィットした言葉をもう一度作り直さなきゃいけない。

◆ユニークフェイスへの理解を広める活動を今後も継続

 石井さんは現在、『顔面漂流記』からの20年間の人生を描く本を来年出版するために執筆中。マイノリティから見た日本を生き抜く方法についての本も、企画を詰めてるところという。

 こうした執筆以外に、川崎や横浜などで当事者交流会を開催してきたが、今年から当事者どうしが気軽に交流できる「ユニークフェイス・BAR」を新宿・歌舞伎町の「バーナカザキ」でも開催。今後は在野研究者のための読書会も川崎や横浜で開催予定だ。

 10月25日には、高校内居場所カフェを運営するoffice ドーナツトーク代表・田中俊英さんと一緒に、川崎のシェアハウス MAZARIBAで「劣化するNPO」をテーマにトークライブを行う。非営利活動の困難を学ぶところから、ユニークフェイスの問題をめぐる新しい解決アクションに目覚める若い世代が生まれてくることを期待したい。

●石井政之ブログ

●ユニークフェイス研究所

<取材・文/今一生>

【今一生】

フリーライター&書籍編集者。

1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。

その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。

著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。

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