献血ポスター騒動を機に見直すべき、日本の血液事業の負の歴史と立ち返るべき「原点」

献血ポスター騒動を機に見直すべき、日本の血液事業の負の歴史と立ち返るべき「原点」

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◆「宇崎ちゃん」ポスター騒動で浮上した血液事業もう一つの争点

 前回、「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボレーションキャンペーンポスターについて主たる論争となっている女のコの描写ではなく、吹き出しの中のセリフに大きな問題があると指摘しました。

 今回は、論争となっている記念品が報酬にあたるのではないかという点と、売血で良いのではないかという議論について日本における血液事業の歴史*を踏まえて論じます。

<*輸血の歴史 日本赤十字社、血液事業の歴史 日本赤十字社 大阪府赤十字血液センター>

◆あり得ない売血という選択肢

 前回、ポスターに関する議論の中で、少なからず売血を導入しろという意見が出てきたことを示しました。

 売血とは、文字通り血を売る人がおり血液事業体が血液を買うことによって血液需要を満たすことです。

 日本では、1948年東大病院における輸血による梅毒感染事件を契機に、GHQの勧告によって1952年に日本赤十字社東京血液銀行業務所が開業し献血事業が始まりました。

 これによって現在に近い保存血液による輸血が始まったと言って良いです。それ以前は、枕元輸血(まくらもとゆけつ)といって、その場でドナー(血液提供者)から採血してそのままの血液(生血:なまけつ)を輸血するものでした。結果、感染症や拒否反応の危険を大きく伴うものでした。GHQの勧告による保存血輸血事業によって、輸血は安全になり、供給も安定することが期待されていました。

 しかし前後して現れた数多くの商業血液銀行による売血事業によって日赤の献血事業は機能を失ってしまいました。日赤によると1952年に949人、1953年に1,614人と推移した血液提供者は、商業血液銀行による売血事業に押され、1958年には254人まで減っていたと言うことです。

 商業血液銀行の多くは、製薬会社、医療商社、医療器具メーカーなどの子会社、関連会社で、商業血液銀行事業が無くなった現在も親会社などの多くは存在しています。

 商業血液銀行は、預託期限を3年に限って預託した血液の分量だけ素性の知れている預託血液を優先的に輸血することが出来るというシステムを持っていました。実際には、血液需要が多い為に預託血液ではなく売血による血液が混ざることが多々あったようです。また、血液通帳*の売買が行われていたことはよく知られています。

<*血液通帳と預血思想が名実ともに一掃されるのには、1982年4月までを要している。筆者が手にした献血手帳からは、「あなたやあなたのご家族が輸血を必要とされるとき、この手帳で輸血が受けられます」と言う記述が削除されていた>

 輸血用血液の盛んな需要の為に商業血液銀行にとって血液はたいへんに商品価値の高い商品であり、血液確保の為に売血が盛んに行われていました。

 結果として山谷や釜ヶ崎といった場所では売血の斡旋手配師と常習売血者が溢れ、月に7〜8回(年間80回以上)という異常な常習高頻度売血者が多数いるという状態になっていました。このような人たちの血液は赤血球数が著しく少なく、血漿成分が大部分となり、「黄色い血」と広く知られていました。更に、暴力団のシノギとなっていたことが後述するルポルタージュなどで指摘されていました。

 この当時、輸血を伴う大きな手術をすれば50%を超えるというきわめて高確率で血清肝炎を発症したのは常識的なことであり、手術をするために輸血をし、輸血をすることで最悪死に至る病気になると言う状況でした。

 よく知られるのは、1954年にビキニ水爆実験で被曝した第五福竜丸の久保山愛吉氏が被曝による再生不良性貧血治療のために行った輸血により肝炎を発症し死亡したことです。第五福竜丸の乗組員23人は、1995年に追跡調査できた13人のうち12人がC型肝炎と診断されており、死因も肝臓癌が特異的に多かったとされています*。かつて日本人にはC型肝炎とウィルス性肝臓癌が多く、過去には一種の国民病とも風土病とも言える状態でしたが、これは売血血液による医原病であったと言っても良いのです。

<*ビキニ事件・半世紀の刻印:/5 大量輸血で肝炎発症 毎日新聞 2004/03/05>

◆ライシャワー事件を機に売血廃止に向かう

 こうしたなか、合衆国駐日本大使であったエドウィン・O・ライシャワー博士*が、合衆国在東京駐日大使館前で暴漢に刺され重傷を負う「ライシャワー事件」が1964年3月に起こりました。ライシャワー博士は、日本での大量輸血により九死に一生を得ましたが、ウィルス汚染血のために肝炎に感染・発症し、結局1990年にこのときの肝炎が悪化した結果亡くなっています。

<*ライシャワー博士は、日本生まれの日本育ち、駐日大使時代までの半分以上の期間を日本で過ごした日本語話者で、たいへんに公正な人格でもあり合衆国最大の日本理解者であった。ライシャワー事件による肝炎発病後、公務継続困難となり、1966年に大使を辞任、帰国した。その後ハーバード大学に教授として帰任したが、日本で罹患した肝炎には生涯苦しむこととなった。晩年は、後遺症によって日本語日常会話も困難になったと語っていた。(NHK教育テレビスペシャル ライシャワー・日本への自叙伝1982年 番組中本人談による)>

 それまで売血による汚染血液問題を見て見ぬふりをしてきた日本政府と医学界は、完全に面目を失い、ライシャワー事件後、半年も経たない1964年8月21日に「献血の推進について」(政府は、血液事業の現状にかんがみ、可及的速やかに保存血液を献血により確保する体制を確立するため、国及び地方公共団体による献血思想の普及と献血の組織化を図るとともに、日本赤十字社または地方公共団体による献血受入れ体制の整備を推進するものとする。)という閣議決定を行いました。

 結果、日赤の献血事業が息を吹き返し、1968年には輸血用血液については商業血液銀行による売血がほぼ無くなりました。

 1948年から1968年という僅か20年間に汚染血液を蔓延させた売血は、その後血漿分画製剤をはじめとした血液製剤の原料血調達で生き残り、C型肝炎禍や薬害エイズ禍を1990年代まで大規模に引き起こしています。これらもその危険性が指摘されていたにもかかわらず、日本政府は対応が徹底的に後手に回りました。薬害エイズ禍では、旧西側先進国でのなかで日本とフランスが特異的に事態を悪化させたことが知られています。

 売血は、社会と医療を致命的に腐敗させます。そして日本政府にそれを抑止する能力も意思も無い事は歴史という事実が証明しています。

 売血は、選択肢として絶対にあり得ないのです。

◆血液事業の倫理綱領からの逸脱があってはならない理由

 参考までにライシャワー事件の起きた1964年の売血相場(中抜き・ピンハネ後)は、400mlあたり1,650円でした。当時のカツ丼が一杯120円、新聞代が一月450円、公務員の初任給(大卒)が19,100円でした*。結果、昭和39年当時に輸血に供された血液の97.5%が売血由来となり、これが輸血後発病率50%という驚異的な肝炎の蔓延をもたらしたのです。勿論これは典型的な医療災害であり広義の薬害です。

<*帝国データバンク史料館 昭和39年の物価などより>

 ライシャワー事件を契機として東邦大学医学部生12人が売血の実態を潜入取材した素晴らしルポルタージュがあります。本稿は、このルポルタージュを多く参考にしています。是非ご一読ください。

◆『売血 若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか』佐久友朗1995/12 近代文藝社

 すでに絶版ですが、公立図書などに収蔵されています。また、著者の佐久友朗氏と近代文芸社の許諾によって全文がホームページに掲載*されていましたもののリンク切れです。<*全文掲載 売血 若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか 佐久友朗、近代文藝社リンク切れ/インターネットアーカイブ>

 日本における血液事業の負の歴史を省み、繰り返される血液由来の大規模薬害(医療災害)を正視することが献血を巡る議論には必須ですし、その上で売血などと言う選択肢は、絶対にあり得ないというのが筆者の考えです。であるからこそ血液事業の倫理綱領からの逸脱は、あってはならないのです。

◆献血の記念品は過剰か

 今回の論争の中で、血液提供者への宇崎ちゃんグッズなどの記念品提供は、過剰な報酬にあたるのではないかという派生議論が起きていました。

 筆者は、HTLV-1(ヒトTリンパ好性ウイルス)汚染地域である南九州出身且つ、ワクチン集団接種での日常的な針の使い回しを目撃した(高校3年の末に長年の針の使い回しを認識した)為に、以後それまで積極的に行っていた献血を自粛し*、大都市の献血ルームに行ったことはありません。そのため精々、三角パックみかんジュースと僅かの菓子パンをもらった程度でした。

<*実際にはHTLV-1スクリーニングが数年遅れて始まっており、以降、血液提供者が仮に感染していても血液は破棄された。10年ほど後に複数回の検査の結果、筆者はHTLV-1陰性であったが、その後の海外居住歴などのために現在も血液提供者(ドナー対象者)から外れている>

 ここで、前回抜粋した「献血と輸血に関する倫理綱領」の第一項目から、報酬の禁止(忌避)に関する箇所を抜き出します。

1) 移植用造血組織も含めて、献血はいかなる場合も無償でなされるべきである。

2) 現金ないしは代替品とみなされる形の報酬を受け取らなかった場合に始めて、その献血が無償と判断される

3) この報酬の範疇には献血および移動に要する適正な時間を超える休業時間も含まれる。

4) ただし、少額の御礼の品、飲み物・スナック、直接掛かった交通費の返済は自発的かつ無償の献血という定義に矛盾しない

 1)〜3)は報酬の禁止ですが、3)は報酬としての休業時間の提供で、とても厳しいと感じます。4)が交通費の実費返済と、記念品・お礼品、軽飲食を認める条項です。

 歴史的に売血は、アルコール依存と強い関係がありましたので、献血でアルコールの提供は流石に不味いと思いますが、菓子類やドリンクバーの提供が「無償の献血」という定義に反するとはとても考えられません。

 記念品類も精々食器・茶器や文房具、キャラクターグッズ程度で、多数回の献血記念に日赤から贈られる食器・茶器類にも金銭的価値はたいしてありません。

 触れたくはありませんが、売血での血液の想定相場(おそらく400mlで数万円)と拘束時間によるドナーの遺失利益から考えると、献血において供される軽い飲食や記念品の金銭的価値は、その一割にもなりません。従って筆者には、クリアファイル如きで売血だ、報酬だ、過剰な返礼だと論じる意味が全く理解できません。

 なお2002年の「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(血液法)制定によって献血の礼品や記念品として図書カードなど金券が配布できなくなりました。この影響については、政策研究大学院大学で研究報告が公開されており、返礼品から金券が無くなったことで有意に血液提供者が減少しているというかなりショッキングな分析結果が出ています*。

<*平成 14 年血液法改正における献血者数の変化についての研究 2011年2月 政策研究大学院大学 まちづくりプログラム 小野寺容資>

 研究報告者は、金券配布の再開が血液提供者を直接的に増やすであろうと報告していますが、これについては「献血と輸血に関する倫理綱領」や血液法との整合性を取らねばなりません。額の多寡を問わず金券は流動性と換金性が高いため、筆者はこの案には否定的です。

 献血での記念品が過剰な報酬にあたると言う議論について筆者は、とても本質的な議論であるとは考えられません。むしろポケモンGOなどの中年層が多くはまっているゲームとコラボ*して、そこだけのモンスターを配ればなどとアイデアが泉のように湧きますが、この記事の執筆中に、筆者自身がどうやっても国内では献血できないことを思い知りましたし、献血のしすぎで死人が出るほどの強烈なインセンティブになりかねませんのでここ止めておきましょう。

<*実際にアメリカ赤十字社ではバンダイ・ナムコの吸血鬼ゲーム、CODE VEINとの移動献血車でのコラボレーションを行っている。Twitch Conというゲームショーの会場でのプロモーションで、イラストの利用にもゾーニングの上での配慮が認められる。日本のコミケ等でも同様の企画がなされており、ノウハウは十分にある>

◆おわりに

 今回、宇崎ちゃんポスター論争という形で献血のあり方、日赤のあり方が図らずも人々の議論の俎上にあがりました。

 今回筆者は、国際輸血学会の献血と輸血に関する倫理綱領に照らして問題があると指摘しましたが、HBOL執筆者の井田真人氏が、法的視点からの問題点を提起しています。

◆「宇崎ちゃん献血ポスター」のもう一つの問題点。 法に触れている可能性も 井田真人2019/10/28

 日赤の血液事業が陥っている苦境は、今後の加速度的且つ破滅的な人口減少で更に厳しくなるとしか考えられません。

 そういったときであるからこそ、日本における血液事業の暗黒史と言っても良い負の歴史を振り返り、献血や臓器提供の原点、原則に立ち返るべきと痛切に感じます。

◆コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」緊急シリーズ・日本赤十字社献血コラボポスターに見る日赤の基本原則からの逸脱2

<文/牧田寛>

【牧田寛】

Twitter ID:@BB45_Colorado

まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中

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