現代日本において、「個」を貫くことの困難と意義――映画『i -新聞記者ドキュメント-』をめぐって

現代日本において、「個」を貫くことの困難と意義――映画『i -新聞記者ドキュメント-』をめぐって

(c)2019「i −新聞記者ドキュメント−」製作委員会

 森達也監督の新作『i -新聞記者ドキュメント-』が11月15日に、全国の劇場で公開された。ゴーストライター問題で追及された音楽家・佐村河内守を追った『FAKE』から3年。満を持しての長編ドキュメンタリーの新作は、東京新聞社会部に所属する新聞記者・望月衣塑子にスポットライトを当てる。

 菅義偉・官房長官の会見において、ややまくしたてるような、しかし核心をついた鋭い質問を繰り返す姿で話題を呼んだ望月記者だが、森監督は「望月さんが特殊だとアピールするよりも、むしろ彼女のような存在が稀有となっている社会に警鐘を鳴らしたかった」と語る。今回森監督にお話を伺う中で見えてきたのは、メディアにとどまらず、組織における「個」が埋没する危険性について深く考察する姿だった。

◆タイトルの「i」とは何か

 まず、気になっていたのはタイトルだ。「i」という言葉は「私」、つまり「個」を連想させるが、森監督はそうした連想を煙にまくように、「まず思い浮かんだのは衣塑子(いそこ)のiです」と話す。

「『A』や『311』を見ればわかるように、僕の映画のタイトルは数字とアルファベットしか使われていません。だから望月さんの名前と、これまでの自作との統一を意識したことが大きかったんですけど、ただ、シンプルにすることでさまざまな連想が生まれますよね。iに該当する言葉だと、今おっしゃられた“私”のほかに、アイデンティティとか、インディペンデントとか。そうした狙いがあるのでは、と言う人もいますね。言われたらそうなのかな、とも思います。まあどっちでもいいです」

 さっそく一本とられたようにも感じたものの、しかし映画を見る中で感じるのは、やはり望月記者の「個」を貫こうとする姿勢だ。作中において、「質問は簡潔に」といった官邸報道室長の遮りにも動じることなく、納得のいく回答を求めて菅官房長官に食い下がる姿や、沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移設や森友・加計学園問題について、事件の関係者に「どうして答えられないんですか」と追及を続ける姿は観客に強い印象を残す。

 ただ、望月記者の質問は前置きがやや長いため、時間が限られた会見の中で「簡潔に」と言われてしまうのも仕方がないと感じる人もいるだろう。しかし仮に望月記者の誠実さが空回りを見せているとしても、それ以上に劇中で印象的なのは、そうした質問に対する菅官房長官の回答の“中身のなさ”、また「あなたに答える必要はない」という拒絶の姿勢だ。

◆ジャーナリズムには何が必要か

 「ジャーナリズムは民主主義を成立させるうえでのもっとも基本的な要素です。では、ジャーナリズムの根底にあるものは何かと言えば、それが“個”ですね。言いかえれば現場性です。自分の目で事件や事故の現場を見て、多くの人の言葉、悲鳴や怒りの声を聞く。それに対して、自分も何かしらの形で感応し、文章や映像を作っていく。視聴率や部数には必ずしも還元されないとしても、現場性のないジャーナリズムなどはありえない」

 本作のプレス資料において、「確かに今のメディアはおかしい。ジャーナリズムが機能していない」と森監督はコメントした。その根底にあるものも、「個」の衰退であると語る。先述の菅官房長官の会見において、同じ質問を何度もするなと官邸スタッフに窘められたとき、「納得できる答えをいただいていないので繰り返しています」と即答した望月記者。「本来、当たり前の言葉であるはず」(森監督談)なのに、政権の不誠実さに怒りを見せる記者は会見ではほかに見当たらない。その背景には何があるのだろうか。

「当たり前という言葉は、僕の今までの歩みにも当てはまります。20年前、許されざる悪としてオウム真理教を描くのではなく、その内部のあり方を探った『A』を撮って発表しました。あの時期にオウムの信者に接触したり施設に入ったりすることは、メディアの一員として当たり前の行動のはずなんです。でもなぜか僕以外の誰もやらなかった。だから『A』が突出した。作品として優れていたというよりも、誰もやった人がいなかったからだと思っています。さらに今は、当たり前が機能しない状況が加速し続けている、と感じています。

 同調圧力のようなものが、日本では特に強いと思います。必要以上に他人の目を見て萎縮してしまう。メディアの人も、もっとわがままになっていいと思うんですけどね。…と言いつつ、僕は『A』を撮った際、所属していた会社から契約を切られたけれど(笑)」

◆「個」が弱まる日本社会

 こうした「個」の埋没は、メディアに限った話ではなく、日本社会全体に通底する傾向であると森監督は語る。なぜ委縮は起こるのか。オウム事件を契機として「隣人」に対する不信の感情が肥大化し、自身の身を守るための「集団化」が進んだことが大きいという。

 日本の犯罪発生件数はここ20年で減少の傾向を見せており、他国と比べても治安は良好であると言えるが、報道やSNSでは、ことさらに危機をあおるような発言ばかりがクローズアップされるのが私たちの日常だ。その結果、体感として危機感ばかりが強まっているのが今の日本なのかもしれない。

 言うまでもないことではあるが、森監督もまた、「個」の人である。フリーでの活動を続けていること、これまで人が撮らなかった題材に挑み続けていることの次元にとどまらず、表現の次元においてもそれは指摘できる。

 本作は終盤におけるアニメーションの使用や、森友・加計学園問題で火中に立たされた籠池泰典・諄子夫妻の微笑ましいやりとり、また望月記者のチャーミングな一面などにスポットを当てていることなどもあって、単なる社会問題を告発する作品には終わっていない。

 フリーで活動する理由については「ドキュメンタリー映画はそもそも市場原理から外れていて、組織になりようがないから」と苦笑する森監督だが、含蓄のある作品づくりの背景には、「被写体とどう向き合うか」を意識することが大きいという。

「ドキュメンタリーにもたとえば、“ダイレクト・シネマ”といった形式はあります。ナレーションをなくすとか、カメラの存在を消すようにするといったものですね。ただ、形式がどうというのは、あくまで二の次なんですよ。目の前にいる人に対してどのようなアプローチがいいかと考えて、これまでの自分がやっていなかったような表現も生まれてきます」

◆「望月さんは“よく道に迷う人”」

 少し雑談のような形で望月記者の特色を聞いたところ、「よく道に迷う人」という言葉が出てきた。これは文字通りの意味ではあるが、決められた「道」、言い換えれば既定路線をそのまま歩むのではなく、自分の「道」を切り開こうとする彼女らしいエピソードかもしれない、と感じた。同時に、これは森監督の姿勢にも通底するものだろう。「望月さんや僕が特殊なのではなく、ただ、周りがこれまでやっていなかったことをやっただけ。逆に言えば望月さんみたいな人が当たり前になれば、この映画の役割は果されたことになります」

 最後に、本作で登場する、森監督自身が語る「ある言葉」を紹介したい。

 ――一人称単数の主語を大切にする。持ち続ける。きっとそれだけで、世界は変わって見えるはずだ。

<取材・文/若林良>

【若林良】

1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。

関連記事(外部サイト)