”毒親”に悩み続けるOL。子供の死より自分を優先した母

”毒親”に悩み続けるOL。子供の死より自分を優先した母

”毒親”に悩み続けるOL。子供の死より自分を優先した母の画像

 母親は私の死より、友達への言い分を優先させた―――。

「私が死んだかもしれないということよりも友達にどう説明するかの方が重要な母でした」と話すのは、東京都千代田区のIT系企業で働く海東さん(20代後半)。彼女はいわゆる「毒親」の元で育った。

 毒親(Toxic parents)という言葉は、20世紀後半にアメリカで生まれたもの。毒親には子どもの人生を自分の思い通りにしようとする行動が見受けられる。

 日本でも徐々に認知度が上がり、2019年の4月にはNHKのクローズアップ現代が毒親について放送している。

◆自己中な親 自分のことしか考えない

「母親が自分の安否よりも、友だちにどう説明するかを心配する」

 愛知県出身の海東さん。大学卒業まで同県内で暮らした。

 こんな出来事が起きたのは海東さんがまだ乳児の頃だった。手違いで母親が家から閉め出され、海東さんが自宅に一人取り残された。

 幼児期の子供は自分で寝返りを打つことができない。うつ伏せになった時に窒息死の恐れが生まれてしまう。赤ちゃんが寝返りをできるようになるのは、生後7ヶ月後とのこと。厚生労働省や消費者庁も、この時期乳児がうつぶせ寝にならないように親に注意喚起をしている。

 海東さんの泣き声が聞こえている間、母はどうにかして家に入る手段を探していた。が、止んだ途端に海東さんが亡くなったと思って諦めてしまった。そして悲しむよりも、周囲の人にこの出来事をどう説明するか”言い訳”を考えていたという。

◆親に決められた人生で”生きなさい”

 他にも、エピソードには事欠かない。小学生のころには、「母親が原因で、イジメられていた」という。原因は、母親が「安全ピンを使う名札の使用を禁止した」から。

 海東さんが通っていた小学校では、安全ピン付きの名札の使用が義務付けられていた。母はそれを聞き、なぜか猛反発。「心臓付近に針を付けるなんて衣類の上からでも危険だ」とのことだ。

 その結果、洋服に名札を直接縫いつけては外し、再度付けるの繰り返し。だが、母は体調を崩す時が多かったため、週2〜3回は縫って貰えなかったらしい。名札を付けていないヤツということで、イジメの対象になってしまったのだ。

 先生に相談したものの、具体的な解決に至ることはなかった。母には「きちんと毎日名札を縫い付けて」と何回もお願いをしたが、体調を理由に断られ続けた。安全ピンを使う許可など当然降りることはなかった。小学生に難しい家庭の事情などわかるはずもなく、嫌味を言われ続けるだけの日々を、海東さんは過ごした。

 こうした母に対し、「父がとやかく言うことはありませんでした」と海東さんは話す。

「恐らく母親のヒステリーが怖かったのだと思います。また母は拗ねると極端な行動に出るので、仕事が忙しい父にはそれが負担だったのでしょう」

 その後は市内の公立中学校へ進学。中学3年生の時、母に「指定校推薦の枠が多く、周りの評判も良いから、A高校に進学しなさい」と言われ、県内の進学校である私立A高校に入学。その後、母の思惑通り、大学は指定校推薦で合格し、県内の”お嬢様大学”に進学した。

「進路は親が用意するものだと思っていました。親が人生のスタンダードプランを設計し、その範囲内で選ぶものだと」

◆県内のお嬢様学校に進学 違和感に気付いた大学時代

 高校卒業までの18年間、海東さんは親に対して一切の違和感を持たなかった。初めておかしいと思ったのは、大学2年生のとき。

 通っていた大学の国内留学制度を利用し、京都にある同志社女子大学にて1年間学んだ。愛知県から京都府まで通うことは難しいため、府内で下宿生活をスタート。口座には30万円を割らないように、両親がこまめにお金を入れてくれたため、バイトの必要もなかった。下宿生活をしているうちに、1人の男友達ができた。

「彼はうつ病を患っていて、彼の現状を見て、精神の不調を抱えている人って普通にいるもんなんだなって知ったんですよ。世界の多様性を学んだ。その目で実家を見たら、あれ、これはもしかして……?と感じました」

 京都での学びを終え、愛知県に戻ってきた大学3年生時。海東さんは、ピンク系の明るくて可愛い車を買い与えてもらったそうだ。自分が希望した訳ではない。両親が勝手に買ってきた。小さい頃から、両親の価値観のみで作られた”良い”タイミングで、家具や衣類を買ってきたことが多々あったと話す。

◆就職を機に東京へ いまは親から連絡はくるの?

 海東さんは就職活動をキッカケに、上京することを決意。だが、両親は、地元で就職するものだと思っていた。父親は親戚に「実家に帰ってくるものだと思っていた」とこぼし、母親も「この子東京に行くっていうんですよ。どう思います?」と話していたとのこと。車は、娘が実家に帰ってくることを想定して買っていたという。勿論、海東さんに事前の”今後についてのヒアリング”はなかった。

「親は地元の企業に就職するもんだと思ってましたね。それも、大学が紹介してる求人で就職するもんだと思ってました。だから、うちの父親はマイナビやリクナビをすごく警戒してて。企業に個人情報なんて渡すもんじゃないって。エントリー時点でいくじゃないですか?

 そんなんじゃ就活できんよ!って。全くの悪意なく、とんでもないことを言うんですよ。マイナビ・リクナビ使わないなんてありえないじゃないですか、何考えてんの!?って」

 海東さんに就職先を東京にした理由を聞いてみると、憧れだったとのこと。大都市に出てみたいといった願望はもともとあり、名古屋、東京、関西で絞っていたそう。東京が一番、街の規模が大きいと気づき、東京へ行くことを決めた。

 海東さんは現在、上京して4年目。最後に、両親の反対を押し切って出てきたため、今の関係性と連絡の頻度を聞いてみた。

「上京して3年間、全く連絡を取っていなかったです。実家にある荷物を取りに帰ったときに会ったら、驚いたようでした。私が実家を嫌っていたことに初めて気が付いて、振る舞いを見直したらしく、物腰は慎重になっていました。連絡を全く取らなかったことで、こんな変化を受けるのかと自分もびっくりで。でも今も大変ですよ、付き合っていくのは。だって自分にとっては、辛いエピソードですし、思い出してしまうから」

 また、母親が必要最低限しか外出したがらなかったため、、家族で出かけることがなかったという。虐待ほど過酷ではなくとも、エキセントリックな両親に過保護に育てられれば、後の人生に尾を引きかねない。海東さんは現在もカウンセリングを受けて、親との関係について相談しているという。

<取材・文/板垣聡旨>

【板垣聡旨】

学生時代から取材活動を行い、ライター歴は5年目に突入。新卒1年目でフリーランスのライターをしている24歳。ミレニアル世代の社会問題に興味を持ち、新興メディアからオールドメディアといった幅広い媒体に、記事の寄稿・取材協力を行っている。

関連記事(外部サイト)