混迷する共通テスト、どこに責任があるのか<短期連載:狙われた大学入試―大学入学共通テストの問題点―>

混迷する共通テスト、どこに責任があるのか<短期連載:狙われた大学入試―大学入学共通テストの問題点―>

CORA / PIXTA(ピクスタ)

 3回に渡り(1、2、3)、大学入学共通テストの「記述式」回答について、筆者の専門である数学に絞ってその問題点を解説してきました。最後に、これまでの経緯と現状を踏まえて建設的な意見で締めくくろうと思います。

◆数学と国語の記述式は「テストの体をなしていない」

 今ある現状は、すなわち、2021年1月実施の共通テスト、特に数学と国語の記述式については到底「テストの体をなしていない」というものでした。「テストの体をなしていない」という点でのもっとも重要な点は「50万人を公平に採点ができない」という点です。これをできると言い張ることが、実施者への不安要素を深く重くするのでした。

 再度の指摘ですが、公平性についてはほんの一例として次のような場合があります。

 「◯と×をn個一列に並べるときに両端が同じである並べ方は何通りか」という問題の正解は、2^(n-1)通りです。2^(n-1)通りであって、2^n-1通りではありません。これを下図のように書いた解答があったとします。(※なおサイトによっては図が表示されない場合があります。その場合はHBOL本体サイトで御覧ください)

 みなさんは1〜6のどれを正解にしますか。これは、採点者によって判断が分かれるところです。ですので、通常は似たような答案を持ち寄って合議するのです。しかし、共通テストの記述式の問題でこのような問題が出題されたとき、北海道、東京、九州で現れるであろうこのような区別のつきにくい答案を本当に同じ基準で採点できるのでしょうか。

 また、ここに来て文科省側から「自己採点をする力」「自己採点力」という用語が出てくるようになりました。自己採点をする力も養うべきだというものです。

「『記述式では自己採点ができない』という反対意見もあるが、自己採点できないことこそが課題。自分の解答と模範解答を比較し、検討する力がないということだ。生徒に自己採点をする力を付けるにはどうするかが重要」(荒瀬克己大谷大教授2019年11月27日付けの東京新聞朝刊の中で)

 荒瀬克己教授は、これまで文科省高大接続システム改革会議で中心的な役割を果たし、中央教育審議会委員を務める方です。

 これは自分の解答を客観的に評価できる力をもたなければならない、採点基準と自分の答案を見てそれが同じかどうかを判断できる力を養わなければならないということなのでしょう。しかし、これには反論が多く、そもそもこの共通テストの記述式では、

採点者ですら、答案の中には正しいか誤りであるかの判定が難しいものがあるのに、受検する人達にその力を要求するのはおかしい

のです。もちろん、受検者が自己採点できる力をもつことは理想かもしれません。しかし、採点者よりも上の能力をつけることが当然のように言われる試験はあまり聞いたことがありません。

◆文科省は民間業者のほうではなく、試験を受ける人のほうを向け

 採点に関してですが、野党の議員が萩生田光一文科相への質問の中で、ベネッセ主催の模試の採点経験者からの内部情報として次のようなものを紹介しました。以下は、採点経験者の声ということになっています。

?「正しく採点できたか自信がない」

?「マニュアルがよくわからないまま本番の採点をした」

?「不明な点はあとから説明すると言われたが、放置された」

?「新人の採点者は基本的な質問をしている」(そんなこともわからないのかという質問をしている)

?「採点中に昼寝をしている人もいた」(緊張感がない)

?「質のいい採点者をクレームの多い高校にあてる」

?「アルバイトも入れ替わり立ち代わり採点会場を出入り」(セキュリティーがあまい)

 これに関しては、ベネッセ側の反論の機会も与えるべきとは思いますので、参考程度に捉えてください。ただ、私のところにも同様なずさんな採点状況の情報がいくつも寄せられています。

 このように、共通テストの記述式の部分は、きちんと公平に採点される見込みは少なく、それを文科省側が否定するのであれば、「企業秘密」(≒考えていない?)を理由にするのではなく、積極的に具体的な情報を開示し説明する必要があります。

 きちんと採点されない試験は、到底受検者の学力を反映していません。そのような試験は到底、

そもそも試験の体をなしていない、試験と呼べるものであるかどうかも怪しい

ということになります。そのようなものは、

もはや大学入学を希望する人たちが、大学の個別試験(国公立大の2次試験など)を受検する前の単なる儀式にすぎず、採点業者に受検料という寄付行為を行ってから受検する仕組み

と見えます。

 資源の乏しいこの国にとって、教育は、将来のためのいろいろな意味での原動力でありますから、民間企業に(金銭だけでなく、この役割を持つことの)利益を与えている場合ではないのです。今回の責任は?と問われれば、この状況を作ってしまった文科省にあると言いたくはないですが、言わざるを得ません。ですので、文科省には、民間企業の方を向くのではなく、試験を受ける人達の方を向いて今後進めてもらいたいと期待します。

◆非専門家の発言が混乱を増幅する

 2019年11月1日に英語の民間試験の延期が発表されました。その決定を聞いて、複数の高校の校長先生が、

「わが校では、ケンブリッジ英検の準備をやってきたのに、何てことしてくれたんだ!」

という発言をしました。

 この発言には、私は少し疑問です。本来、公教育である高校は、特定の民間試験の勉強をする場ではありません。学習指導要領に従いきちんと学習していれば自然に民間試験のスコアを取れるというのが本来の姿ではないでしょうか。

 とはいうものの、この校長先生には若干同情するところもあります。それは、例えば私立の中高一貫校などの場合、大学の合格実績が翌年の募集に影響するからです。毎年、春に東大合格者数のランキングが掲載されます。東大合格者数は一つの指標ではあるので、それを私立学校の経営者は強く意識します。その校長先生は思わず本音が出てしまったのでしょう。ですから建前を忘れるくらいの動揺だったのかもしれませんが、公教育は軸足を誤ってはいけないと思います。

 同じように、共通テストの数学と国語の記述式についても、

「きちんと準備してきた人がかわいそうだから、実施すべきだ」

と発言する人もいます。これも同じことです。記述式のために勉強するのではなく、きちんと学習していれば、記述式であってもマークシート方式でも点数は取れるのです。だったらどちらでもよいではないかということにはなりません。記述式は公平な採点が危ぶまれる、自己採点ができない人がいる、一社の価値観に支配されていくという点が問題だからよくないのです。そして、数学の記述式の問題では「きちんと準備する」とは、どのようなことをするのかよくわかりません。

◆声がでかいだけの非専門家の声を取り上げるメディア

 後半は、非専門家の発言ですが、このような考え方を個人がもつことは自由です。なお、非専門家の中には、数学の記述式の件で言えば、数学者を名乗るものの、数学教育そして数学からも離れた人も含みます。問題なのは、非専門家のこうした発言をメディア等が大きく取り上げすぎて、専門家の多数の意見を消してしまうことです。

専門家の100の意見を発信力のある非専門家の思い付きによる発言がそれらをすべて吹き飛ばしてしまう

 これが残念な実情です。教育の問題はいろいろな方が参加しやすい問題で、それはよいのですが、発言は自由であったとしても、多方面で活躍していても教育に関しては素人同然の方の意見がこの問題を混乱させることがこれまで多々起こっています。

◆「共通テストありき」で反対意見が封殺された会議

 私は、これまでの共通テストに関連する会議のほとんどを直接傍聴あるいは代理人を遣わし、その都度、会議の内容と各委員の立場を検証してきました。その中のいくつかを簡単に紹介しましょう。

【高大接続システム改革会議】

 高大接続システム改革会議は、2014年12月の中央教育審議会の答申を受け、2015年3月から2016年の3月まで高大接続改革の実現に向けた具体的な方策を話し合う会議です。2016年3月に最終報告をし、その後具体的な検討・準備グループ等が設置されました。座長は安西祐一郎氏で当時の肩書は、独立行政法人日本学術振興会理事長、文部科学省顧問となっております。この会議の設置当時は、大学入学共通テストは「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼ばれていました。

 この中で、第8回の場面を紹介します。

 第8回目は、2015年11月30日に14:00から16:00までの予定で開催されました。なお、このような会議はほとんどの場合は定時にピタリと終わる会議です。2つの議題があって、1.多面的な評価検討ワーキンググループにおける審議の進捗状況、2.「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」についてでした。このうち1つ目の議題にほとんど時間が費やされ、2.については20分程度しか残っておりませんでした。また、この会議が開かれる段階では、将来の共通テストありきの状況です。この中で五神真東京大学総長が次のような趣旨の発言をしました。

(a)50万人の試験にどのくらいの自由度をもたせた試験が許されるのだろうか。

(b)センター試験の中にも思考力を測るのに適した問題があったはずだ。それをまず検証することが大切だ。過去の良問をもう一度検討すべきだ。

(c)センター試験は思考力を見る方法も蓄積されているのでは?

(d)記述式になるとマークシートと違い多様な解答があるので、「まちがっている」「あっている」の二者択一ではなく、その中間も存在する。それを評価しないようではまずい。

 今の共通テストの混乱ぶりを見ると、このときの五神委員の意見はかなり的を得ていた指摘であることがわかります。この発言を冷ややかに見ていた(ように見える)安西座長の発言は、次のようなものでした。

「思考力」には「演繹的思考力」と「帰納的思考力」があり、今はどちらを見ているのかがわからない状態にある。また、今のセンター試験では、「この中に必ず正解がある」という仮説のもとに成り立っているが、それがあるかないかでは問題は大きく違うという発言があった。

 一見するとかみ合っていないように見えますが、「だから、今のセンター試験はだめなんだ」と言いたかったのだと思います。時間もなかったこともあり、五神委員の意見はこのあと議論されることもなく終了しました。しかし、この段階で、「共通テストありき」に疑問をもつ声は出ていたわけで、委員の中には、この会議に参加できるだけで舞い上がっている人もいましたが、慎重な意見もあったのです。私が会議を傍聴していた印象では、その後の第9回〜第11回の会議で問題例や採点方式の実現性を議論していく中で、やはり記述式は無理なのではという声が大きくなっていったように感じます。実際、第11回では五神委員から記述式の公正な採点は難しい課題であるというような趣旨の意見書面が提出されています。しかし、最終報告をまとめる期限が決められており、その時間的制約から、否定的な意見が採用されることなく報告がまとめられたように感じています。

 この後の別の会議でも英語の民間試験の利用について反対する委員も存在しましたが、少しずつ会議の中では声も小さくなりました。なお、英語の民間試験の利用については、高大接続システム改革会議では、「民間の知見を活用する」ということでしたが、その後の検討・準備グループの議論で決まった実施方針では「外部試験を活用する」となりました。

 現在に至るまでにも共通テストに対する様々な抵抗はあったということです。

◆問題だらけの文科省の役員選考と自覚なき委員たち

【民間業者のすり寄り】

 高大接続システム改革会議が開催される2015年3月の時点で、参考までですが、安西座長は2014年11月に設立されたベネッセ傘下とされる(ベネッセ東京本部(西新宿)の建物の一部にある)「進学基準研究機構(CEES)」の評議員に就任されておりました。設立当初からの評議委員ですが、この以外にも、ベネッセは元文科省の事務次官などを理事長に添えるなど(それ以外でも)盤石な人事配置をしております。もちろん、このことは法に触れることなくベネッセが決めたことであれば、それを外部の人間がどうこういうことではありません。力のある民間会社は同じようなことをするでしょう。疑問なのは、これを引き受けた方の判断です。

 これ以外にも、名前は出しませんが、ベネッセと関係が深い委員も複数いて、そのような方が、英語の民間試験の活用などを積極的に牽引しています。繰り返しになりますが、ベネッセがこのような「有力な人」にすり寄るのは、ある意味民間企業の本能のようなものですが、文科省側は役員の選考などにこのような点に注意をすべきであることと、各委員が自覚をもつことがすべてであると思います。「私はベネッセとは関係があるが、会議での発言はベネッセとは関係ない」と言ってもそうは見てくれませんし、そのような人が決めた共通テストは気分のよいものではありません。多くの人は、

狙われた大学入試

と見ることでしょう。

◆過ちを繰り返さないために

 現在、多くの方が共通テストの記述式について、さらには共通テストそのものについて疑問を投げかけております。その一つとして、2019年11月24日に東京大学で緊急シンポジウムが開かれました。ここでは大学の教員、高校の教員、予備校講師が登壇者として並び、共通テストの中止を様々な角度から訴えておりましたが、ここにはこれまでにはあり得ない光景があります。それは大学の教員と予備校の講師が並んで訴えている点です。

 これまで大学教員の中には予備校講師を露骨に蔑む発言をする人も少なくなく、例えば、2019年の3月にはある国立大学の数学の教授がtwitter上で予備校の解答の誤りを指摘し、そこまではよいのですが、それにつけ加えて予備校をおちょくるような発言、予備校を蔑むような発言をして炎上したこともありました。一見すると水と油とも思える大学教員と予備校講師の共同声明、両者並んでの会見はこの問題の大きさを表しています。

 さて、高大接続システム改革会議、「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」検討・準備グループなどの委員の名簿を見ますと、そこには役職として「◯◯高校校長」「◯◯大学長」「◯◯センター長」のように「長」で終わる肩書をもつ方がほとんどです。このような方は、ご立派な実績等を積んできた方であることは想像するに難くないのですが、このようなメンバーばかりでは偏りがあります。それは、そのような方の多くは、指示を出すが、実務からは遠ざかっているからです。

 例えば、メンバーの何人が、この2年(あるいは5年でもよい)の間に実際に授業等で高校生を教えたのか、実際に採点等で高校生の書く答案を見ているのでしょうか。高校生が登校している姿を見ているとか、学校で勉強している姿を視察しているというのは、実務をこなしていることにはなりません。したがって、現在の教育現場を知らずに理念を語ることはできますが、それを実現するには至らなかったというのが、この現状です。これを実現できる形にするには現場の意見を聞くことですが、アンケートなどで意見を吸い上げるような単発的な形ではなく、常駐する形で一貫して見ているあるいは考えている委員も必要です。さらに、このメンバーに各方面での専門家が欠けていたことも残念でした。

 高校の30代から50代の教員には非常に優秀な方もいらっしゃいますし、予備校の講師にもいます。多くの予備校講師を抱える大手の予備校などは人材の宝庫なのです。この中から、「長」のつく方の集まる委員会の下部組織でもよいので何か「実働部隊」を作ることが大切ではないでしょうか。

 本件とは少し離れますが、数学教育においても同じようなことが何度も起こっています。文科省の学習指導要領の数学については、およそ10年ごとに大きく変わります。他の教科はあまり変化をしません。このことのどこが不思議であるかですが、「数学」という学問は「古くならない学問」なのです。一部例外を除きますが、2000年前に証明されたことが現代でも通用します。もちろん、表記等は変わります。これに対して、特に理科は30年前のことが覆ることはありますので、それによって教科書の内容を変えざるを得ません。

 これに対し、数学の場合、学術的理由ではなく別の理由で学習内容が変わります。その中で、1回の課程で消えていくものがあります。最もひどいのは1994年から施行された課程ですが、数学Aでの数列の学習、三角数・四角数、因数定理の数学Bへの移行等多くあり、これは次の課程のときに戻されました。現行課程でいえば、数学Cの消滅ですが、これは次の課程で復活します。1回の課程で終わるものは、「失敗作」と見てよいでしょう。

 ここにあげたいずれのことも現場の先生には、うまくいかないことは見えていましたが、「長」の集まる会議ではその感覚はわかりません。意見を吸い上げるという単発的な対応ではなく、持続的に改革に参加できる態勢を作るべきなのです。

 最後に、今後、同じ過ちを繰り返さないために、現在活躍中の本物の専門家を多方面から集め会議を設置することと、その会議で、もう一度共通テストを設計し直し、発信力のある非専門家の意見に振り回されないようにしていただきたいということを提言します。

◆★最後のまとめ★

?現在の共通テスト、特に数学と国語の記述式については「テスト」と呼べるものではない。

?これまで、共通テストの実施内容等を決定する会議がいくつか開催されてきたが、会議のメンバーは「長」のつくメンバーではなく、専門家、現役の優秀な教員も集めるなど今現在、研究、授業等を行っている人材を混ぜた方がよい。

?その会議のメンバーには、特定の民間企業の役員である者は選ばない。また、役員であるものはその会議のメンバーにはならないようにすることが大切である。

?発信力のある非専門家とそれに別の目的ですり寄る専門家によって国家の方針が決定するしくみを変えていかなければならない。

<文/清史弘>

【清史弘】

せいふみひろ●Twitter ID:@f_sei。数学教育研究所代表取締役・認定NPO法人数理の翼顧問・予備校講師・作曲家。小学校、中学校、高校、大学、塾、予備校で教壇に立った経験をもつ数学教育の研究者。著書は30冊以上に及ぶ受験参考書と数学小説「数学の幸せ物語(前編・後編)」(現代数学社) 、数学雑誌「数学の翼」(数学教育研究所) 等。 

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