京都大学で学生処分に反対する集会が開かれる。「オルガ像処分」学生や教授が大学当局に抗議

京都大学で学生処分に反対する集会が開かれる。「オルガ像処分」学生や教授が大学当局に抗議

アピールする北村さん

◆京大で今月10日に開かれた「熊野寮生3名無期停学撤回集会」

 今月10日の昼休み、京大・吉田南キャンパス総合人間学部棟前(通称:総人広場)は異様な熱気に包まれていた。着ぐるみやお面で仮装した学生が何人も現れ、門前ではカレー・豚汁・スイートポテトが無料で配られ、学生はもちろん学外の市民などもそれを広場に持ち込んで食べていた。

 学園祭か何かと見まがう光景だが、その中心でマイクを手に取って学生たちが訴えていた内容は極めて切実なものだ。この集会は、今年の9月に「不審者を取り押さえようとする職員の行為を妨害した」等の理由で3人の学生に下された無期停学処分を撤回するよう訴える目的で開かれたのだ。

 集会では「オルガ像処分」の記事で紹介した理学部4年生のNさんも発言した。また学生だけではなく京大・総合人間学部教授の細見和之氏・江田憲治氏も教員の立場から抗議の訴えを行った。そして集会には無期停学処分を下された3学生のうちの一人である工学部4年・北村剛さんも登場した。北村さんを学内から排除しようと現れた京大職員を取り囲んで学生たちが一斉に抗議し、学生の力で職員を追い返す一幕もあった。

 大学は学問の府として憲法により自治を保障されているとされるが、それは決して大学が社会から孤立した閉鎖空間であることを意味するものではない。今月の初めには学生団体が都内で記者会見を開き、就活セクハラ問題への対策が全社会的問題であると訴え話題を呼んだ。大学で学生が直面する問題は同時に社会的な問題でもある。この記事ではそのような観点から今回の集会の意義を考え、そこで訴えた学生らの声をお伝えしていきたい。

◆「オルガ像処分」当該のNさんの訴え

 Nさんは今年の入試当日に「折田像」ならぬ「オルガ像」を設置した際、現場での職員とのやり取りが問題にされ現在処分を検討されている。Nさんは以下のように発言した。

「僕は今年の入試でオルガというアニメキャラクターの像を立てたことで停学処分になりそうになっています。そもそも何故オルガ像を立てたのかというと、僕が受験生だった頃、当時『ごちうさ』(編集部注:漫画作品『ご注文はうさぎですか?』のこと)の立て看などがあって元気づけられ、僕も同じことをやって受験生を励ましたいということでオルガ像を立てました。

 像を立てると職員から注意され、何故像を立ててはいけないのかと抗議したら、『職員の指示に直ちに従わなかった』ということで呼び出しを受けることになりました。職員に従わなかったら、抗議したら処分されるなんてことが許されるようでは、大学は独裁国家のようになってしまいます。

 僕はこの前オルガ像を立てた当時の入試の委員長に会ってきたんですが、『オルガ像はまったく入試の妨害にはなっていなかったし、報告もされていなかったからそんなことは知らなかった。問題がなかったことを問題にして処分にしようとしているんだ』と言ってました。さらに、入試当日にオルガ像を撤去したあと、入試時間中に職員が折田先生像や他の立て看板を撤去したことに対して委員長は怒っていて、それに抗議する報告書を出しているんです。しかしそれは印刷されずにもみ消されたそうです。

 委員長の目から見て入試を妨害していない僕が処分され、入試の妨害と見られる行為をした職員が処分されないというのはおかしな話です。

 何故こんなことになってしまっているのか。学生への停学処分や立て看板撤去などの問題の根本は、総長や他7名の理事の意向として行われている点にあると思っています。総長や副学長だけでなく、他の理事のやっていることにも学生は目を光らせていてほしい」

 「オルガ処分阻止」は三学生への無期停学処分と並ぶ今回の集会の眼目であり、集会には「学生は止まるんじゃねぇぞ」と書かれたノボリが出現した。他にもオルガ団長のお面をつけた学生や、Nさんに大学から送られてきた文書に記載のある「ギャラルホルンさん撮影やめてください」等の「問題になった言動」を書いた傘を持参した学生もいた。

◆細見和之教授「私の背後には最低20人の教員が控えている」

 今回の集会では二人の教員からの発言もあった。フランクフルト学派などのドイツ哲学を専攻する細見和之教授は次のように述べた。

「総合人間学部の教員の細見です。私は京大に着任して4年になりますが、この4年の間にずいぶん京大は変わっていったなという気がします。

 総合人間学部の教員のなかには今の京大に非常に強い危機感を持っている者もいます。特に今回の無期停学処分については、いくらなんでも重すぎるというのが教員の大半の意見でした。処分の理由になった、学生たちが抗議文を届けに行った時の出来事が文章になっているのを読んで私が思ったのは、なんでこれが処分の対象になるの?ということでした。これくらいでは口頭注意すらいらないだろうというのが半分くらいの教員の考えでした。

 大学の執行部は、『教員に対して学生が抗議したり抵抗したりするのはいいが、職員に対してそれをやるのはいけないんだ、なぜならそこに侮蔑があるからだ』などと言っていました。これは非常にずるい考えです。都合の悪いことはみんな職員にやらせればいいんだということになってしまう。

 私はおそらく大学の執行部からしてみたら、のこのこ現れた1匹のゴキブリのようなものだと思います。これは卑下して言っているのではなく、私は小さい頃からゴキブリが1匹いたらその背後に最低20匹のゴキブリが潜んでいると教わってきました。私はこれまでの経験上、その通りだと思っております。つまり私の背後には最低20人の教員が控えている。そのことをご理解いただきたいと思います」

 また細見教授の後には中国の政治思想や労働運動を研究している江田憲治教授が「どうも、2匹目のゴキブリです」と切り出し、以下のように発言した。

「今から半世紀ほど前、京大はある教員(筆者注:竹本信弘を指している)を処分するために時計台で理事会を開き、それを学生に妨害させないためになんと機動隊を呼びました。私もそれを見ていた野次馬の一人でした。機動隊はジェラルミンの盾を縦に振りかざし、学生を暴力的に排除しました。私の隣にいた学生は頭を殴られました。

 しかし、そんな頃の京大に比べても今の京大はもっと自由が失われていると思います。だからこそわれわれは、少数派であっても声を上げなければならないのです。アメリカでも、私の専攻している中国でも、自由な見解と多様な価値観の表明が難しくなっています。しかし、我々にできずに誰にそれができるのかと思います。皆さんには声を上げていただきたいし、我々もお力添えができることがあればやっていきたいです」

◆無期停学処分者の北村剛さんが構内に登場

 三学生に対する無期停学処分の撤回を訴えることが今回の集会の目的であったことは既に述べた。しかし、そもそも無期停学処分とはどのような処分であるのかはほとんど知られていないのではないだろうか。ある学生は集会で無期停学処分の内実について述べ、その在り方自体がハラスメントなのではないかと訴えた。

「私は今回の三学生の処分で、無期停学処分とはどのようなものであるかを知りました。無期停学処分を受けると、大学に通えなくなります。これは大学の授業を受けられなくなるというだけではなく、大学の構内にすら入れなくなるのです。食堂でご飯を食べたり、図書館を利用したり、友達と待ち合わせをすることすらできないのです。それなのに、授業料だけは払い続けなければならない。処分を受けた学生は、学生の本分であるはずの教育の機会を失われている状態で、学費だけは払い続けなければならないんです。

 私にはこの処分が妥当かどうかさえ疑問の余地が残るのに、処分された3人が金銭的な負担さえ強いられるというのは悪質なハラスメントの構図に映ります。ただでさえ精神的な負担が大きい中で、金銭的にも締め付けていく。こんな理不尽なやり方を許していいのでしょうか。三学生への処分撤回のための署名、オルガ処分撤回のための署名をお願いします」

 そして今回の集会で最も盛り上がりを見せたのは、無期停学処分を受けた三学生のうちの一人である北村剛さんが大学当局から出入り禁止にされている構内に入り、勇気をもって発言した場面だろう。北村さんのアピールは以下の通りだ。

 「皆さんこんにちは!今日はハイテンションで最後の発言やっていきたいと思います!

 僕は9月に無期停学になりました。本当は学内出入り禁止で入っちゃいけないんですけど、今回はどうしても皆さんに直接訴えたくて入っています。

 今回処分されたんですけども、処分理由は職員に対して抗議したことなんですよ。具体的に言ったら熊野寮生が厚生課へ要求書を提出した時、ある学生が職員10名くらいに羽交い締めにされて暴力を振るわれていたんですよ。そこへ割って入って、『おかしいでしょ、暴力やめてください』と言ったら、職員の業務、暴力を振るうという業務を妨害したとして処分になったんです。これは本当におかしい。

 これまでの処分には、ほとんどこの類いのでっち上げなんですが、職員への暴行や建造物侵入などの法的根拠・大義名分がありました。しかし今回の僕ら熊野寮生3名への無期停学処分は、職員に対して抗議したというだけの理由です。これだけで無期停学処分になるというところまで来ているんです。オルガ処分の件を見ても分かる通り、京大は誰でも処分対象になり得るというところまで来てしまっているんです。

 僕一人だけが無期停学処分を解除するだけならそんなに難しくないんです。具体的には、大学に対して『僕のやったことは全部間違ってました。ごめんなさい。二度としません』と言って誓約書にサインして出せば処分は撤回されるでしょう。しかし、そんなことをしても今後起こる学生への処分、またタテカン規制、自治寮潰しなどの管理強化は止まるわけがないんですよ。だから今回の僕達の処分は、学生は大学の言う事を聞いて黙っていなさいという見せしめの処分だと思っています。だからこそ僕は、これを僕ら3名だけの問題ではなく、みんなの問題として一緒に考えていきたいと思っています。

 京大では今、一部の理事会だけが意志決定を行い、学生や教授の意見をくみ取らずに決定したことをすべて押し付けているんです。学生の言う事はまったく聞き入れず自分たちのやり方だけは無理矢理通す、これが京都大学の現状です」

◆ここで職員が北村さんを排除しに登場。学生たちが抗議して追い返す

 北村さんがここまで話したところで、今回の集会には姿を現さなかった大学職員が構内に現れた。京都大学では「学内集会規定」によって、許可のない無断の集会は禁止とされている。近年京大で行われた政治的な集会には、職員が「ただちに集会を中止して解散しなさい」と書かれたプラカードを掲げて現れるのが恒例になっている。この集会規定はレッドパージの嵐が吹き荒れた51年に制定されたもので、長らく死文化されていたが、ここ数年のあいだに再び持ち出されるようになっている。その運用が恣意的なものであることは、今回の集会が無許可であるにもかかわらず、ここで初めて大学職員が現れたことからも明らかだ。

 職員がやってくると着ぐるみを着た二人の学生が北村さんを取り囲み、一旦は門前へと誘導していった。北村さんはその間も職員の排除の不当性を力の限り訴え続けた。北村さんと職員の周囲で処分反対コールが沸き起こると、職員は退却していった。出禁者の北村さんを構外へ排除するという目的を果たして職員が帰っていったと見ることもできるだろう。しかし、北村さんは職員がいなくなった後再び構内に戻り、「いくら弾圧されてもおかしいことにはおかしいと言わなくちゃいけない。一人一人が何が正しいか考えて一緒に議論、討論していきましょう」と最後までアピールをやり抜いた。

◆学生の実力行動と学生自治の必要性

 無期停学処分を受けた学生である北村さんが大学構内に入って発言するという行動は、本来なら大学当局によって禁止されている。そうした意味で職員の行動は大学当局の側から見れば「正当性」を持つものであり、大学当局が職員にいつも行わせている「職務」の一つだ。しかし、北村さんが敢えてそうしたのは、大学当局が下した無期停学処分の異常さと職員に課している「職務」の不当性を訴えるための実力行動が必要だと考えたからだ。

 ルール自体の不当性を告発するため、敢えてそのルールを破る実力行動の是非については、疑問を感じる人もいることと思う。実力行動に出た集会の主催者側と北村さんに対してもさまざまな意見があるだろう。しかし、例えば実力行動は今の香港で逃亡犯条例に反対するデモ隊の基本的な路線となっている。今年11月24日に行われた区議会議員選挙では香港政府・中国政府に対して「五大要求」を掲げていた民主派が圧勝し、その行動が大衆的な支持を得ていることを示した。当選者の中にはデモの先頭に立ってきた若者たちもいた。こうした実力行動を頭ごなしに否定するのではなく、北村さんの言うように一人一人その是非について考え、他の人と議論することが重要だと思う。

 今回の集会に至るまでには現にそのような場が何度も設けられた。筆者も集会の主催団体である「熊野寮生3名無期停学撤回集会」実行委員会の会議に参加し、今回の集会が作り上げられていく過程を目の当たりにしたが、さまざまな立場の学生たちが意見を出し合い、集会をどういう方向に持っていくかについて討論が重ねられていった。今回の集会で学生たちが大学当局を批判したのは、大学と学生とのあいだにそのような対話の場を設けることを拒否し、立場が違うどころか大学当局よりも弱い立場にある学生に一方的に決定を押し付ける在り方が横暴かつ卑劣だからだ。

 集会の最初に発言した学生は、「昔も今も、学生の力によって学内の問題は解決されてきた。そしてこれからもそうだと僕は思っています」「学内全体の場を扱うための場を作っていくことが必要です」と述べた。一人一人の学生の力でできることはごく狭い範囲に限られているが、学生が団結すれば強い力となり、大学の意志決定を動かすことができるのだ。かつてはそのような団体がどの大学にも存在し、自治会という名で呼ばれてきた。今こそ学生自治の復権が求められているのではないか。全学自治会という形になるかどうかはまだ未定だが、今回の集会を企画・主催した学生たちは今後も学内問題の解決に取り組み議論するための集まりとして方向を模索してゆくつもりだという。

 私は以下のように訴えたい。京大以外の大学で何も問題が起こっていないかといえば、決してそんなことはないはずだ。今の大学のキャンパスの中をよく見まわしてみると、「敷地内での注意事項」などとして、キャンパスで禁止された行為が何か条にもわたって書き記された条文が見られる。しかし、大学当局からのそうした管理は果たして本当に正しいといえるのだろうか。

 私は、今の学生はガラス張りの虫かごで飼われる虫のような存在になってしまっているように思う。その中でじっとうずくまり動こうとしない限りは、四方をガラスで囲まれ、制限・管理された現実が見えてこない。或いはそれが見えたところで動こうとしない自分には無関係な事柄に映るだろう。しかし、自由を制限された状況に対して行動することを諦めてしまえば、それはさらに狭められ、いつかはその中で押し潰されてしまうだろう。そうなる前に行動しなければならない。

 学生は大学という虫かごの中で、押し潰されることを選ぶ、都合の良い、おとなしい虫であるよりも、最後までその中で足掻き続け、自由を求めて最後まで抵抗する見苦しい虫であるべきだと私は思う。一匹だけで自由を夢想したところで、それは虚しい試みに終わってしまうだろう。しかし、大勢で団結して立ち向かえば、ガラス張りの硬い壁も打ち破ることができるはずだ。今回の京大での集会で示された学生の力は、そのような団結の力であったはずだ。

<取材・文/鈴木翔大>

【鈴木翔大】

早稲田大学在学。労働問題に関心を持ち、執筆活動を行う。

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