元実習生の不審死事件 ─ 彼女はなぜ命を落としたのか

元実習生の不審死事件 ─ 彼女はなぜ命を落としたのか

ズンさんの葬儀(撮影/月刊日本)

◆ベトナム人技能実習生女性の死

 2019年8月17日、いくつかの新聞に小さな記事が掲載された。

 「栃木の用水路に女性遺体 事件の可能性も」(産経新聞)

 17日午前9時35分ごろ、栃木県足利市堀込町の農業用水路に女性の遺体があるのを水量調査中の団体職員が見つけ、119番通報した。県警足利署によると、女性は20〜30代とみられ、身長約150センチ。ブラジャーとスパッツのような衣類を着用していたが、シャツや靴は身に着けていなかった。署は、事件の可能性も視野に、身元や死因を調べる。」(産経新聞ネット版)

 実は、この女性は失踪したベトナム人の元技能実習生だったのだ。名前はヴィ・ティ・トゥイ・ズン。28歳の若さだった。なぜ彼女は命を落とさねばならなかったのか。遺体の引き取りから葬儀、その後の捜査まで密着取材した。

◆顔には殴られた跡

 9月4日、栃木県足利警察署を訪ねた。警察署のロビーで待っていると、日本人の男性に伴われたベトナム人の女性が現れた。ズンさんの妹であるホアイさん(27歳・仮名)だ。姉妹は技能実習生として日本に来ていたが、この日、妹は実習先の上司と共に姉の遺体を引き取りにきたのである。その表情は極度の緊張で強張っていた。なぜこんなことが起きてしまったのか。

「姉は埼玉県の会社で技能実習をしていたんですが、2019年6月に実習先から逃げ出していました……姉は子どものために日本に来たのですが、お給料が少なくて、これでは子供が育てられないと嘆いていて……仕事内容は部品の組み立て作業だったのですが、ノルマもきついと愚痴をこぼしていました。ところが、それを会社の人に聞かれてしまったようで、いつ帰国を強制させられるか分からないと怯えていて……実際に以前、そういう事例があったと話していました」

「毎日家族で連絡を取り合っていたのですが、8月16日に連絡が取れなくなって、どうしたんだろうと思っていました。2〜3日経っても連絡が取れないので、19日に姉の住んでいる家まで行きましたが、誰もいなくて……会社の方に相談して警察に連絡をしてもらったら、次の日に来てほしいと言われて……そこで姉と会いました」

 警察は17日に遺体を発見したが、身元が特定できないでいた。遺体はブラジャーとスパッツしか着用しておらず、はだしだった。顔には複数回殴打された跡があった。発見現場の用水路は幅約10メートル、深さ約1メートルで、発見時の水深は約23センチだった。行方不明になった16日夜には、近隣住民が女性の悲鳴を聞いたともいう。

「実は、姉は失踪後に働いていた職場にいた上司に言い寄られていて、どうしたらいいか悩んでいました。上司の奥さんにも目をつけられて、嫌がらせを受けていたそうです。8月16日には仕事を辞めてくると言っていたのですが、その日の夜に行方が分からなくなって……」

 医師による検案の結果、死因は溺死と判断された。遺体の引き取り時、足利警察はホアイさんに「現時点では事件か事故か判断できない」と説明した。元刑事に意見を求めた。

「死体はブラジャーとスパッツしか身につけておらず、顔には殴られた跡がある。何らかのトラブルがあったことは間違いないだろう。しかし溺死だと事件化するのは難しい。相手が用水路に突き落としたのかもしれないし、相手から逃げる途中で誤って自分から落ちたのかもしれない。目撃者や防犯カメラの映像が残っていない限り、真相は分からない可能性が高い」

 ズンさんの遺体は足利警察からホアイさんに引き取られた後、そのまま葬儀社に預けられた。

◆葬儀、火葬、骨上げ

「ナンモーアージィダーファ、ナンモーアージィダーファ……」(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏)。

 9月6日、埼玉県某所の葬儀場でベトナム語の読経が響いた。この日、浄土宗寺院「日新窟」がズンさんの葬儀を執り行った。残暑とは思えない暑い日だった。遺族のホアイさんを除いた参列者は、ベトナム人男性1名(姉妹の友人)、ベトナム人女性1名(妹の送り出し機関職員)、日本人男性1名(妹の実習先の上司)、筆者の4名だった。

 ズンさんがいた会社や監理団体の人間は誰もいなかった。社長は「失踪後のことだから関係ない」と言って葬儀費用の供出を拒み、ズンさんの監理団体も同じ対応だったという。それでもズンさんの同僚は葬儀に出席したいと申し出たが、会社に許してもらえなかった。外では日差しが眩しいくらいだったが、がらんとした葬儀場内は薄暗く、どこか寒々しかった。

 日新窟の尼僧ティック・タム・チーさんの声に合わせて、ホアイさんも念仏を唱えた。赤く腫れ上がった目を固く瞑りながら、眉をしかめ、嗚咽の混ざった震える声で阿弥陀仏の御名を繰り返していた。「ナンモーアア、ギィ……ダーファ……」。

 葬儀が終わって出棺の時間になった。葬儀社の社長は通訳を介して「どうしてもと言うなら棺の窓を開けるが、遺体の状態が悪いから見ない方がいい。きれいなお姉さんのまま覚えてあげた方がいい」と伝えた。ホアイさんは黙って頷いた。

 火葬場に着いた。黒い喪服に日差しが照り返って白く見えた。火葬炉が棺を呑み込み、ゴーッという音を立てはじめた。ホアイさんは仕切り窓を叩きながら、「なんで、なんで。なんで死んじゃったの。こんなにいきなりじゃ何も分からないじゃない。ねえ、教えてよ、どうして死んじゃったの、お姉ちゃん、お姉ちゃん」と泣きじゃくった。待合室に行く途中、ホアイさんは口元を押さえて駆けだした。トイレで嘔吐してから、火葬が終わるのを待った。

 骨上げの時間になった。ベトナムでは遺骨を拾う風習がないようで、ホアイさんは緊張していた。ホアイさん、友人、職員、上司、筆者の5人でズンさんの遺骨を拾った。ホアイさんは放心したように骨壺を抱えた。骨壺は日新窟で安置された後、ホアイさんがベトナムの家族の元へ届けた。その後、足利警察の捜査結果を待った。

◆足利警察はどこまで捜査したのか

 ところが、足利警察の捜査は一向に進まなかった。12月になってもホアイさんの元に詳しい連絡はなかった。ホアイさんは捜査の進捗状況について足利警察に説明を求めているが、いまだに実現していない。

 筆者は12月中旬、足利警察に電話で問い合わせたが、「雑誌社の取材は原則的に受けつけていない。この件に関しては他のメディアも含めて一切取材を受けつけていない」と断られた。

 足利警察はズンさんの件を事件ではなく事故あるいは自殺として見ているらしいが、どのような捜査をしたのかは明らかになっていない。ズンさんに言い寄っていた上司に事情聴取をしたのか、近隣住民に聞き込みをしたのか、捜査の詳細は分からない。ズンさんの携帯電話すら「パスワードが解除できない」「個人情報の問題がある」などと言って解析ができていないという。司法解剖の結果が出るまで通常3カ月程度かかると言われているが、それがどうなったのかも分かっていない。

 遺体を引き取った後、ホアイさんは「足利警察から姉のことは事故だったかのような説明を受けましたが、納得できていません……姉はああいう形で亡くなったので、事件だと思っています。もし事件だったとしたら、犯人が新しい被害者を生んでしまうかもしれない。警察の方々には、どうか、きちんと捜査してほしい。姉がどうして死なないといけなかったのか、本当のことを教えてほしいです……」と話していた。

 前回、失踪した元技能実習生がどのような生活を送っているのかを伝えた。だが、失踪した元技能実習生は様々な危険に晒されている。女性となれば猶更だ。日本社会で不当に危うい立場に追いやられている人々がいることを忘れてはならない。日本社会は彼らの尊厳を守らねばならない。

 ズンさんの無念やホアイさんの悲しみを思い出す度に、どこからともなく「ナンモーアージィダーファ……」というベトナム語の念仏が聞こえてくる。ホアイさんの震えた声が忘れられない。足利警察がズンさんの尊厳をどこまで守れるか、ホアイさんの思いにどこまで応えられるか、最後まで見届けたい。

◆ルポ 外国人労働者第5回

<取材・文/月刊日本編集部>

【月刊日本】

げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

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