日本語しか話せない9歳の妹を「在留不可」とする入管法のおかしさ

日本語しか話せない9歳の妹を「在留不可」とする入管法のおかしさ

スリランカ国籍のダクシニさん

◆ある日突然、在留資格が剥奪される。不安定な外国人の立場

 2019年は、法務省の出入国在留管理庁(以下、入管庁)が管轄する収容施設で起きている実質「無期」ともいえる長期収容問題、それに起因する集団ハンガーストライキ、加えて、餓死や自殺、わずか2週間だけ仮放免(一時的に収容を解く措置)しての再収容など、入管問題が広く報道された年だった。

 日本には入管庁の入国管理施設が17か所ある。このうちの9施設で、2019年6月末時点で1253名の外国人が収容されている。最多が東京出入国在留管理局(東京都港区。以下、東京入管)の425名、それに次ぐのが牛久入管の316名だ。収容されている外国人には在留資格がないか、付与されていない。

 大ざっぱに説明すれば、牛久入管ではその3分の2が祖国での迫害を逃れ日本で難民申請をした人たちだ。だが、難民認定されなかったため「退去強制令書」(出身国への送還命令)が出されたが、還れば迫害が待つために帰国を拒否。「本国送還の条件が整うまで」との前提で収容されている。残り3分の1は、在留資格があるがオーバーステイしたなどで収容されている人たちだ。

「何のルール違反も犯していなければ、在留資格がある外国人は日本で安心して暮らしているか」というと、そうとは言えない。ある日突然にその資格が剥奪され、本国への退去命令が出される事例もある。

◆突然、在留資格を取り消されたダクシニさん一家

 スリランカ国籍をもつダクシニさん(21歳)は現在、国立千葉大学3年の女性だ。来日は2003年、5歳のとき。父が就労ビザを取得し、ダクシニさんは、母、姉(24歳)、そして日本で生まれた妹(12歳)とともに「家族滞在ビザ」を付与されてきた(年齢は現在)。

 父は車の部品の輸出業務に就いていたが、2012年に独立を決意。新たに「経営・管理ビザ」を付与された。だが独立はしたが、税金も納められないほどに業績は芳しくなかった。

「おそらくは、それがマイナスポイントになったのかも……」とダクシニさんは振り返る。2017年3月のビザ更新手続きで、入管は家族全員の在留資格を取り消し。「3月中の帰国」を命じた。

 父と母と小学生の妹は、命令に従いスリランカに帰国した。両親は、その翌月に千葉大学に入学するダクシニさんの晴れ姿を目にできなかったのだ。

 ダクシニさんと姉は「家族滞在ビザ」の更新時期が8月だったため、8月までは日本に残ることができたが、その5か月間は短かった。いかにして日本に残れるかを必死で模索した毎日だった。

 姉妹は4月、「定住者ビザ」を申請する。そして、定住者ビザの審査中に当初の退去予定だった8月が過ぎたことで、姉妹には11月半ばまで滞在できる「特例期間」が与えられた。

◆サインをしなければその時点で不法滞在、という入管の“脅し”

 ところがその特例期間が切れるわずか2日前、姉妹は東京出入国在留管理局(当時は東京出入国管理局。以下、東京入管)の呼び出しに応じて出頭する。そして、担当審査員から、定住者ビザの付与は「不許可」と告げられた。理由は2つ。

 一つが、どちらも「学生という身分では、経済的に不安定である」ということ。もう一つが「日本滞在に必要な保証人が、血縁関係のない者だから」ということ。この理由にダクシニさんは納得ができなかった。

「私は奨学金も受給しているし、授業料免除も受けています。その証明書を提出したのに、『経済的に不安定』との判断は不合理だと思いました。保証人だって、なぜ血縁関係のあるスリランカ人でないとダメで、昔からの知人である日本人ではダメなのでしょう」

 さらには「出国準備期間」という在留資格を受け入れることに同意するよう、サインを要請された。これは、本国に帰るまでの猶予期間として与えられるビザだ。期間はわずかに30日間。ダクシニさんはその要請を受け入れることができなかった。

「こんなビザを受け入れることはできません!」

 しかし、入管は“脅し”ともとれる言葉を発した。

「サインをしなかったら、その時点で不法滞在になります。そうなると警察を呼ぶことになりますよ」

 この言葉に、ダクシニさんは泣く泣くサインをした。姉妹には退去強制令書が発令され、11月15日から12月15日までの30日間が「出国準備期間」として与えられた。その1か月はとてつもなくきついものだったという。

「在留資格がなくなったことで、住民票がなくなりました。私は“日本に存在しない人間”になったんです。健康保険証もなくなるから病院にもかかれない。アルバイトもできなくなりました」

◆日本語しか話せない9歳の妹を、なぜ他国へ送るのか

 それでも姉妹は諦めなかった。「定住者ビザ」の再申請と同時に「留学生ビザ」も申請した。

「もう失うものは何もない。これでダメだったら裁判をしよう」

 そして、2017年12月14日。出国準備期間の終わる前日、ようやく「留学生ビザ」が下りたのだ。綱渡りのような1年だった。ダクシニさんの姉は就職先が内定し、2019年4月からは新たに「就労ビザ」を獲得して就労した。

 だが、ダクシニさんはいまだに納得ができないという。

「親の失敗が原因とはいえ、それが一家全員に帰国命令を出すほどの過ちなのでしょうか。誰にも失敗はあります。その救済制度がないことが問題だと思うんです」

 まだ21歳のダクシニさんには夢がある。大学院にも行きたい。違う国にも留学したい。だが日本への留学生である以上、他国に留学はできない。

 市民団体「入管問題救援センター」の代表を務める木下洋一さんは、元入管職員。その木下さんが2019年11月18日、一般市民向けに「入管問題とは何か」というセミナーを開催した。そのゲストスピーカーとして登壇したのが、ダクシニさんだった。

 ここで書いてきたことは、彼女が木下さんとの対談で語ったものだ。

「私自身を外国人と意識するのは、鏡での顔を見た時だけです。5歳のときから日本で暮らしてきた私の、生活の土台は日本です。その私がなぜ今『留学生』として扱われているのでしょう。私の妹は日本で生まれて、日本語しか話せません。なのに、なぜ当時9歳の妹は母国の日本から他国へと送られたんでしょう」

◆外国人の人生を狂わせる入管法を変えたい

 ダクシニさんは今、奨学金の受給、授業料免除、そしてアルバイトで生計を立てている。だが留学生の場合、「アルバイトができるのは週28時間まで」と決められている。時給1000円だとしても、月に12万円いくかどうかだ。

 さらにダクシニさんはその一部を、スリランカにいる両親に仕送りしているという。両親は国に帰ってはみたものの、就労の厳しさという現実に直面しているのだ。

 入管には「経済的に不安定だから定住者ビザが認められない」と言われたが、入管こそがダクシニさんを「経済的不安定にさせた」張本人ではないだろうか。

 ダクシニさんには願いがある。まずは「日本語しか話せない妹を日本に呼び寄せること」。そして「外国人の人生を狂わせる入管法を変えて、一般市民の意識を啓蒙し、在留資格のありかたを変えていくこと」だという。

<文・写真/樫田秀樹>

【樫田秀樹】

かしだひでき●Twitter ID:@kashidahideki。フリージャーナリスト。社会問題や環境問題、リニア中央新幹線などを精力的に取材している。『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)で2015年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。

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