自動車期間工は「現代の蟹工船」。エリート商社マンからまさかの転落人生

自動車期間工は「現代の蟹工船」。エリート商社マンからまさかの転落人生

※写真と本文は関係ありません cba / PIXTA(ピクスタ)

◆肉体的、精神的に最もキツかった自動車期間工

「いろいろな派遣先を経験しましたが、肉体的、精神的に最もキツかったのが自動車期間工です。現代の“蟹工船”と言ってもいいと思います……」

 言葉を絞り出すように語るのは、製造業や配送業、コールセンターなど様々な派遣先を転々と渡り歩いている山田啓二さん(42歳、仮名)だ。

 自動車期間工とは、3か月や半年間など一定期間の契約で、寮に住み込んで自動車や関連部品メーカーの工場でフルタイムで働く短期派遣社員のこと。そして、彼の言う“蟹工船”とは、船上で缶詰に加工する工場施設を備えたカニ漁船における労働者搾取の実態を暴いた昭和初期のプロレタリア文学代表作、小林多喜二の小説『蟹工船』のことだ。

「寮の飯はクソまずい。仕事は1週間ごとの昼夜二交代制なので、うまく睡眠がとれなくなる。毎日が同じ作業の繰り返し。でも、ミスをすればライン全体が止まってしまう。だから現場の正社員はパワハラまがいの言動でプレッシャーをかけてくる。ストレスでおかしくなりますよ。実際に、おかしくなって工場の隅や寮で何かを叫んでいた期間工も何人かいました」と山田さんは自動車期間工として過ごした過酷な日々を振り返る。

◆「歯車になって働くと何も考えられなくなる」

「歯車になって働いていると、何も考えられなくなるんです。でも、ある日、寮と工場を往復する送迎バスの中で気づいたんです。これって“蟹工船”だって。小説では工員たちが臭気で充満する船室を“糞壺”と自嘲する描写がありますが、全く同じなんですよ。夏場の夜勤明けなんか、ものすごい臭いなんです。想像してみてください。夜勤を終えた臭いのきつい汗だくの男たちが、補助席まで使い切った満員のバスに押し込まれ、朝日が差し込む中で泥のように寝落ちしている光景を。僕たちは磨けば使い続けてもらえる歯車ですらないんですよ。使い捨ての“ぼろ雑巾”なんだって」

 言葉の端々からインテリな雰囲気が漂う山田さん。実は30代後半までは大手商社や大手広告代理店の系列企業などで勤務していたエリートサラリーマンだった。しかし、独立して事業を立ち上げるために2016年に脱サラしたのが、転落人生の始まりとなった。

◆脱サラをきっかけに始まった「転落」

「脱サラした直後に、友人が経営する会社の資金繰りが悪化し、『このままだと倒産する』と泣きつかれたんです。彼は憔悴しきっていて、自殺でもされたら困るので、準備していた開業資金を貸したんです。結局、全額踏み倒されてしまいましたけど。仕方なく、開業を一時断念して、物流倉庫の作業員として働き始めたのが僕の派遣デビューでした」

 収入は激減し、貯蓄もゼロ。しかし、エリートサラリーマン時代と同じような生活を送っていたため、少しずつ借金がかさんでいき、気づけば300万円を超えるまでに膨れ上がってしまった。

「借金を返しているから現金がないので、足りない生活費はカードのリボ払い。返しても返しても、どんどん借金が膨れ上がっていく悪循環に陥りました。しかし、東京にいると、どうしても付き合いがあるので交際費は出ていく一方です。それを断ち切るために自動車期間工として働くことを決心しました。地方の工場なので知り合いはいない。しかも、契約すると入社祝い金として数十万円がもらえるだけでなく、寮が用意されていて食事も出るので生活費はかからないのが決め手でした」

◆過去に在籍した商社と同じ財閥系メーカーの工場で……

 彼の期間工デビュー先となったのは、皮肉にもかつて勤務していた商社と同じ財閥系列の自動車メーカーだった。

「履歴書を見た派遣会社の人は驚いていましたが、もうプライドなんてないですよ。とりあえず、借金がなくなってきれいな状態になりたい。それだけです」

 3か月の期間工勤務で100万円近くを貯めて、山田さんは再び東京に戻ってきた。貯蓄は全額返済に充てたが、まだ200万円ほどの借金は残ったままだ。新たな派遣先を探している間に、むしろ少しずつ借金が増え始めてもいる。山田さんは「現代の蟹工船」と自ら言っていたにも関わらず、残りの借金を清算するため、再び別の自動車メーカーの期間工になることを決めた。

「もう40代なので、働けるところが限られているんですよ。期間工は健康な男だったら誰でも雇ってくれるし、手堅く稼げる。僕にはこれしかないんです」

 小林多喜二の『蟹工船』には、こんな一節がある。「彼らはそれ(蟹工船の工員)を何度繰り返しても、出来の悪い子供のように、次の年にはまた平気で同じことをやってのけた」。山田さんが自動車期間工のループから抜け出せる日はやってくるのだろうか。

<文/中野龍>

【中野龍】

1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿。

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