オウム事件の「風化」に言及しても「風化」の実情は報じない新聞・テレビ

オウム事件の「風化」に言及しても「風化」の実情は報じない新聞・テレビ

地下鉄サリン事件の現場の一つとなった東京メトロ霞ケ関駅で報道陣の取材に応じる被害者遺族の高橋シズヱ氏(3月20日・若田部修撮影)

◆地下鉄サリン事件から25年……

 オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から25年を迎えた3月20日。数日前からメディアがオウム事件や現在の問題について様々な報道を行なった。19日には、地下鉄サリン事件被害者で後遺症により寝たきりの生活を余儀なくされていた浅川幸子さんが亡くなったことも報じられた。

 毎年、この時期になると、メディアの報道に「風化」という言葉が散見される。警察や公安調査庁による「風化防止キャンペーン」の報道もあれば、サリン事件被害者など当事者による発信活動を紹介する報道や当事者へのインタビューもある。

 今年は、産経新聞が17日に「【地下鉄サリン25年】被害者遺族 「時間が経過したという意味での風化は小さなこと」」と題する記事を掲載した。地下鉄職員だった夫を地下鉄サリン事件で亡くした高橋シズヱ氏のインタビュー記事だ。

 インタビューの末尾にこんな言葉があった。

〈時間が経過したという意味での風化は小さなこと。発生から長い時が経ったということを「風化」という言葉でくくるのは失礼なことだと思う。〉(記事より)

 これを見て、ふと思った。「風化」をめぐるメディアの報道は、これでいいのだろうか。「風化」に抗う人々の活動を紹介したり、公安調査庁の発表を垂れ流したり、被害者遺族に「風化」について語らせたり。そんなもので、メディアは「風化」に抗ったことになるのか?

◆新聞・テレビの「風化」報道

 新聞記事等のデータベースで、「オウム真理教」「風化」という2つのワードを含む報道を検索し、年別に整理してみた。

 新聞やテレビで「風化」という言葉が増えるのは、地下鉄サリン事件から10年、15年、20年といった節目の年や、逃亡していた容疑者の逮捕、刑事裁判の終結といった大きな動きがあったタイミングだけ。たとえば地下鉄サリン事件から20年にあたる2015年は最多で72件あったが、翌2016年には9件しかない。

 検索の対象としたのは、通信社、テレビ、全国紙4紙、北海道新聞などの全国ニュース網(JWN)8紙。年別に1月1日から3月20日(地下鉄サリン事件の日)の期間を検索した。結果は以下の通りだ。2020年だけは、記事を検索した3月20日当日の報道がデータベースに反映されきっていないため、現時点では実際より少ない数値と思われる。

 検索してみるまで私は、多少の増減はあっても年を追うごとに増えているのではないかと予測していた。しかし実際には、「風化」という言葉は節目の年や大きな動きがあった際に思い出したかのように登場する、まるで枕詞のようだ。それ以外の年は、「風化」という言葉自体が風化している。

 事件から20年にあたる2015年は、警視庁が内部記録用に撮影した地下鉄サリン事件関連の写真の展示会を開催。警視庁関係者がメディアの取材に対して「決して風化させてならない事件」とコメントした。必ずしもメディアが無理やり「風化」という言葉を使っているわけではない。節目の年には実際に「風化」という言葉が登場する出来事があったり、その言葉を使う人々がいたりする。

 これをもう一歩進めて、「オウム真理教」という言葉だけで検索した場合のグラフと重ねてみた(数値は右端の縦軸)。また、「オウム真理教」のうち「風化」が登場する割合(「風化」報道率)も算出し、5.0%を超える年を赤字にした。

 2012年は、当時逃亡していた信者の平田信受刑者の逮捕、2014年にはその裁判開始が、1月1日から3月20日の間にあった。それが地下鉄サリン事件の日に合わせた報道に加わっているため、「オウム真理教」報道の数が跳ね上がっている。

 興味深いのは「風化」報道率だ。「オウム真理教」の報道が少ない年にも割合が高かったケースがあるが、それ以外で5.0%を超えるのは全て地下鉄サリンから10年、15年、20年、25年の節目の年だ。「風化」という言葉が節目の時期の決り文句になっている傾向が見て取れる。

 また2015年以降は、「オウム真理教」報道の推移と「風化」報道の推移がきれいに一致している。ここ数年特に、地下鉄サリン事件が近づくと「オウムと言えば風化」が決り文句のようになっている。

 前述のように、メディアが無理やり「風化」と書いているとは限らない。もちろん、メディア側が「風化」について語らせたくて水を向ける場面もないではないかもしれないが。

◆現状はすでに「風化」をはるかに超えている

 「風化」とは「ある出来事の生々しい記憶や印象が年月を経るに従い次第に薄れていくこと」(大辞林)。オウム真理教の問題や事件について、多くの人が忘れてしまい語られる機会が減る。それが「風化」だ。

 新聞やテレビは、オウム問題で大きな動きがあれば報じるし、例年、地下鉄サリン事件の近辺や当日には関連報道を行なっている。十分かどうかはともかくとして、新聞・テレビは彼らなりに「風化」に抗ってはいる。

 問題は、「風化」の具体的な内容が深く追求されていない点だ。

 私の目から見て、オウム真理教をめぐる話題はすでに「風化」しすぎて、デマすらもほとんど批判されずに堂々と公の場で語られるような状況になっている。人々が忘れて語らなくなっているだけではない。それをいいことに、事情に詳しいかのような態度で事実に反したニセの歴史を公の場で語る人々や、オウム残党の活動に加担する人々がいるのだ。

◆被害者団体を中傷する麻原三女

 2018年6月。教組・麻原彰晃の死刑が執行される約1カ月前。麻原の死刑執行に反対し「病気の治療」を主張していた三女「アーチャリー」こと松本麗華氏が、都議会議員・音喜多駿氏(現・参議院議員)らが主宰するサロンで講演した。(参照:音喜多駿都議らのイベントで麻原三女がオウム被害者団体を中傷|やや日刊カルト新聞)

「(被害者の会は)“子供を返せ”って言っているんですが、その子供というのは大人です。はたち過ぎた大人のことを“子供返せ”と言っている活動。子供もいたんですが、そういう活動なんです」(講演での麗華氏の発言)

 実際には、被害者の会は未成年者の出家問題が会結成の発端だった。未成年の子供が出家し、親が「子供に会わせろ」と教団施設に足を運んでは新実智光元死刑囚など対応に出た信者に追い返される。その中で親たちが互いに連絡を取り、1989年に結成したのが「オウム真理教被害者の会」(現・同家族の会)だ。

 同会の設立に尽力した坂本堤弁護士も、未成年で出家した子供を取り戻したいという親からの相談を受け、オウム側と交渉していた。「被害者の会」設立時から現在も「家族の会」の会長を務める永岡弘行氏も、活動を始めたきっかけは自身の息子が未成年で出家したことだった。

 麗華氏の発言は、事実に反して当時の「被害者の会」関係者たちを貶めるものだ。

◆麻原裁判で裁判所が司法を歪めたというデマ

 麗華氏は当時、精神科医・香山リカ氏や作家・雨宮処凛氏とともに、麻原の死刑を回避するための活動を開始。3人は映画監督の森達也氏や社会学者の宮台真司氏らを巻き込んで「オウム事件真相究明の会」を結成した。

 同会は2018年6月、麗華氏とは無関係の活動であるかのように装い、参議院議員会館内で結成記者会見まで開いた。会見で森氏らは、当時の12人の死刑囚の刑執行には反対せず麻原についてのみ死刑の執行に反対する主張を展開した。

「裁判では、リムジン謀議、井上(嘉浩)死刑囚が証言したこれを唯一の証拠だとする。これを証拠だとした。ところが井上自身が、そのリムジン謀議を自ら否定しています、後に。NHKが3年前かな、Nスペでオウム真理教特集やりましたけど、そこにディレクター宛に井上死刑囚が寄せたその手紙の中でも井上死刑囚は、実はリムジンの中では何も喋ってませんと何度も否定してるんです。ということは、麻原を地下鉄サリン事件について共同正犯にする根拠が崩れてるんです。動機がわかんないんです。動機を語れるのは麻原だけです」(会見での森氏の発言)

 しかし当時放送されたNHKスペシャル「未解決事件 file.02」では、井上死刑囚の手紙には森氏が主張の根拠としている部分の後につづきがあった。

〈実はリムジンでは、たとえサリンで攻めても強制捜査は避けられないという点で終わったのです。しかし、何もしなければただ終わってしまうだけだ。ハルマゲドンを自ら起こし、麻原は予言を成就させようとしたのです〉

 結局は麻原の指示だという文脈の手紙なのだ。森氏の主張は、この文章の前半部分だけを抜き出して文脈を違えることで、麻原の指示があったかどうかを疑問視するというものにすぎない。

 オウム事件真相究明の会の記者会見では、登壇者たちが「麻原を吊せ」という世論に押された裁判所が不当に裁判を終結させたために死刑判決が確定したかのように主張した。これもデマだ。

 麻原の裁判は、控訴の際に弁護団が期限内に控訴趣意書を提出せず、起源が延長されてもなお提出しなかったために裁判所が裁判を打ち切り、死刑が確定した。責任があるのは弁護団であって、世論でも裁判所でもない。ルールに則った対応であって、世論によって不当に裁判が終結したという事実はない。

 いずれも、オウム事件をめぐる事実関係を無視した主張だったが、産経新聞はネット配信記事で無批判に会見内容を報道。日頃「フェイクニュース」問題を取り上げているハフィントンポストでも、同会呼びかけ人である雨宮氏自身が記事を書き同会の結成をアピールした。

 森氏は、2011年に著書『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞した際にも批判されている。同書が地下鉄サリン事件について麻原の指示ではなく「弟子の暴走」として扱う箇所があったことから、日本脱カルト協会などが講談社に抗議文を送り記者会見まで開いた。

 このとき、長年オウム裁判を傍聴してきたジャーナリストの藤田庄市氏と青沼陽一郎氏も連名で抗議文を送り、記者会見でも登壇した。ジャーナリストが同業者への授賞に抗議して記者会見まで行うのは異常な事態だ。しかし講談社は授賞を取り消さなかった。

◆坂本堤弁護士を中傷する宗教学者

 昨年12月、宗教学者の大田俊寛氏が立教大学内で〈「人文学と知」われわれは宗教や「カルト」の問題にどのように向き合うべきか??オウム真理教の事例を中心として〉と題する公開講演会を行なった。大田氏は、オウム残党の一派である「ひかりの輪」(上祐派)について真摯に反省していると評価し、団体規制法に基づく観察処分の対象から外すことを支持する意見書を教団の「外部監査委員会」に2度にわたって提出している人物だ。(参照:スピリチュアル・シンポに続きオウムに殺された坂本弁護士を中傷する講演会まで。どうした立教大学)

 講演で大田氏は、オウム真理教によって妻や子供とともに殺害された坂本堤弁護士について、こう語った。

「80年代以降の日本のカルト対策は、どういうものが基調になっていたかと言うと、保護説得。場合によっては拉致監禁も含むような強制的な説得方法と、あとメディアバッシング。悪評戦術を立てていく。これによってカルトを攻撃していこうというのがカルト対策の基調になっていってしまったところがある。(略)実は、こういう特殊なカルト問題の解決方法が統一教会問題からオウム問題に応用されて、それが問題を大きくしてしまったのではないかと思う」

 日本のカルト対策において「拉致監禁」と呼ばれる手法が問題視されたことはあるが、それが基調だったというほど主要なものではない。その点は評価の問題なので人によって見方が違う可能性はあるにせよ、それを坂本弁護士が応用した事実はない。

「坂本弁護士が信教の自由の否定。それから青年信者も家族が反対すれば家に帰ってもらうという仕方で、『強制的にオウムをやめてもらいますよ』ということを一足飛びに口にしてしまったということがありました」(大田氏)

 坂本弁護士は、未成年信者を家に戻すためにオウム側との交渉した際、「こちらには信教の自由がある」と言い放った上祐史浩氏(現・ひかりの輪代表)に対して「人を不幸にする自由はない」と返した。日本国憲法で保障されている「自由」は無制限ではない。坂本弁護士の発言は信教の自由を否定するものではなく、法律家としてごく当然のものだ。

 また、坂本弁護士は成人信者についても家に返してもらうという趣旨の発言をしたと伝えられてはいるが、要求として言及しただけだ。拉致監禁を宣言したわけでもなければ何らかの強制力の行使を予告したわけでもなく、大田氏が言うような「強制的にオウムをやめてもらいますよ」という主張ではない。

◆残党への警戒感も低下

 大田氏はこれまで、上祐氏やひかりの輪について、真摯に反省しているかのように評価してきた。このスタンス自体、根拠が怪しい。

 2018年に週刊新潮(7月19日号)が、〈「上祐史浩」がひた隠し! 警察も知らない「麻原彰晃」の女性信者殺害〉と題する単独スクープ記事を掲載した。90年頃に教団の金を横領した疑いをかけられた信者の吉田英子さん(当時27歳)が、麻原の指示のもと殺された。その殺害の場面に死刑になった教団幹部とともに上祐氏がいたという内容だ。これまで発覚していなかった「新たな殺人事件」である。

〈そこにいたのは、麻原、新実、中川智正、故・村井秀夫幹部、上祐氏、そして麻原側近の女性幹部だった〉(記事より)

 記事によれば、死刑執行より前から同誌が上祐氏に事実確認の取材を申し入れていたが、上祐氏ははぐらかして答えずにいたという。それが、現場にいたとされる死刑囚の刑が執行され「死人に口なし」となった2日後に、上祐氏は一転して事実を認めた。しかも自分は「見ていただけ」だという言い訳つきで。

 一連の事件を反省し総括したとしてきたそれまでの上祐氏のスタンスは、ウソだったことになる。

 前出の「スピリチュアル・シンポに続きオウムに殺された坂本弁護士を中傷する講演会まで。どうした立教大学」でもリポートした通り、上祐氏やひかりの輪の欺瞞性を示す事実はいくつもある。

◆オウム残党に群がる文化人たち

 ひかりの輪は現在「宗教団体ではない」と自称しているが、もともと「21世紀の新しい宗教」を標榜して設立され、現在も宗教的な実践活動を行なっている。にもかかわらず、田原総一朗氏や鈴木邦男氏といった「文化人」は「ひかりの輪は宗教ではない」とヨイショする。鈴木氏は2010年にトークイベントで「上祐くんは国の宝だ」とまで言い放っている。

 私自身も時折出演するトークライブハウス「ロフトプラスワン」。上祐氏のサブカル文化人化に大きな役割を果たしたのは、ロフトグループのオーナーである平野悠席亭だ。上祐氏に心酔した平野氏がネイキッドロフトで上祐氏を招いて開催したトークイベントで、上記の鈴木氏の「国の宝だ」発言が飛び出した。

 平野氏はひかりの輪が主催する「聖地巡り」ツアーに参加し、ロフトのミニコミ誌で体験記を執筆したりもした。私は彼とこんな会話を交わしたことがある。

平野氏「お前は上祐を批判するけどさ、あいつはホントにオーラがすごいんだよ!」

私「オラーがすごいウソつきなんですよ!」

 上祐氏はロフトプラスワンや系列店、別のイベントスペースなどでイベントを繰り返し、現在も続いている。上祐氏単独のイベントはほぼない。常に、一定の集客が見込める「有名人」やサブカル文化人との共演だ。5月にはNHKから国民を守る党の立花孝代表とのイベントも予定されている。

 当初警察やメディアから犯人扱いされた松本サリン事件被害者の河野義行氏も、一時期ひかりの輪から事実上の広告塔として利用された。2013年に「聖地巡り」にも参加し、ひかりの輪はウェブサイトで、河野氏の聖地巡り参加を告知して参加者を募った。

 ロフトプラスワンなどでのイベントは、単に上祐氏の主張を披露し交友関係をアピールするだけの場ではない。ひかりの輪が一般の人々を勧誘する入口にもなっている。

 もともと河野氏の講演などに通っていたある女性は、ロフトプラスワンの上祐イベントに参加後、河野氏とともに聖地巡りにも参加。事実上の信者になってしまい、聖地巡りで無免許のまま運転手を繰り返していたとして2016年に警察に摘発された。(参照:ひかりの輪・聖地巡りで常習的に無免許運転か=警視庁が家宅捜索|やや日刊カルト新聞)

 河野氏は2011年に「ひかりの輪外部監査委員会」の委員長に就任している。ひかりの輪が観察処分を外すために作った「外部団体」風の組織だ。前述の大田氏が意見書を寄せたのは、この外部監査委員会が公安審査委員会に提出した報告書。河野氏は委員長を2期務めて2015年に辞任している。

 しかし前述の「河野ファン」の女性はその後もひかりの輪に関わり続け、警察に摘発された時には外部監査委員だった。外部監査委員が教団の行事で運転手を務めていたのだから、実質的に第三者組織ではなくシンパ集団にすぎないことも明らかだろう。これが、河野氏が協力していた外部監査委員だ。

 オウムをめぐる「風化」の問題は、過去についてのデマに限らない。一見「社会融和路線」のように見えがちなひかりの輪については特に、多くの人々の警戒心が緩んでいる。相当な「風化」ぶりだ。

◆公の場でデマを語っても批判されない

 ここで紹介したオウム事件関連のデマは、公の場で堂々と語られている。河野氏がひかりの輪に接近し広告塔まで務めていた事実も、別に隠されていない。ググれば誰でも確認できる。

 私自身はこれらを逐一どこかしらで記事にし、批判してきた。私だけではない。カルト問題に取り組む人々や関心を寄せる人々も、それぞれにネットなどで言及している。

 しかしそれがたとえば炎上するほどの批判に発展することはない。新聞やテレビでこれらが問題として報じられたり検証されたりする場面もない。

 決して、オウム問題が語られる機会はなくなってはいない。報道はそれなりに続いている。にもかかわらず、デマが堂々と公の場で語られ、残党と馴れ合う人々が現れ、それらが本格的な批判を受けることがない。

 メディアはその点には触れず、こうした問題ある言動や行動を取る人物たちをオウム事件報道にからめて登場させる。さすがに大手メディアで露骨なデマや残党ヨイショが語られるケースは多くはないが、たとえば前述の森氏の『A3』の問題部分は『月刊PLAYBOY』の連載がベースになっている。書籍化以前に一般の報道メディアで垂れ流されていたものだ。

 これがオウム事件の「風化」の実情だ。

 そもそもサリン事件被害者や遺族といった当事者にとって、自身や家族を傷つけられ殺された事件が「風化」するはずもない。「風化」について被害者や遺族といった当事者に語らせること自体が、メディアの欺瞞ではないか。

 勝手な解釈がすぎるかもしれない。高橋シズヱ氏の真意とは違うかもしれない。しかし私は、冒頭で紹介した〈「風化」という言葉でくくるのは失礼〉という言葉から、こんな苛立ちを呼び覚まされた気がする。

 「風化」は、被害者遺族などの当事者に問うべき問題ではない。メディア自身が向き合い抗うべき問題だ。単なる枕詞で片付けるのではなく、「風化」の具体的な表れ方を取材し問題提起することこそが報道の仕事ではないのか。

<取材・文/藤倉善郎>

【藤倉善郎】

ふじくらよしろう●やや日刊カルト新聞総裁兼刑事被告人 Twitter ID:@daily_cult4。1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)

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