「絵」の力で仲間を励まし、戦い続ける入管被収容者。収容所内の非常で劣悪な現状を訴える

「絵」の力で仲間を励まし、戦い続ける入管被収容者。収容所内の非常で劣悪な現状を訴える

ペニャさんが描いたデニズさんの首つり写真

◆支援者に届いたショッキングなイラスト

 茨城県にある東日本入国管理センター(牛久入管)の収容施設から、支援者にある封書が届いた。中には、首つりをしている男性の衝撃的な絵が入っていた。

 絵の中の男性は、トルコ国籍クルド人のデニズさんの姿だった。デニズさんは2007年に来日。反政府活動をしていたため、身に危険を感じ日本に来たが、難民として認められていない。また2011年に日本人の女性と結婚しているが、それでもいまだに在留資格を得ることができない。

 2016年から収容され3年2か月が過ぎた。仮放免されてもわずか2週間でまた収容の繰り返しで、いつまでも自由の身になれない。気丈な性格のデニズさんは、職員と口論をしては集団で暴行を振るわれ罵倒されることがあった。生きることに絶望し、自殺未遂をしては保護室と称した24時間監視付きの懲罰房に連れて行かれることを繰り返していた。

 だんだん自殺する頻度は増えていく。とうとう幻聴や幻視などの症状に苦しめられ、誰もいない部屋なのに、「死ね、死ね、ここはいい所、早くおいで」という声が聞こえてきては、デニズさんもそれに従って自殺を図ってしまう。ビニールを飲み込んだり、缶をねじ切り、手首や首を傷つけたり、時には便器に自ら首を突っ込み、溺死しようとした。この首つりの絵もそのひとつだ。収容施設の壮絶さを物語る。

 最初は意識して自殺していたが、だんだんと無意識になり自分でもわからないうちに自殺を図っているのだと言う。時には目の前に色とりどりの花が目の前に現れ、それはそれは美しい光景だったと語る。病院では「不眠、幻聴、幻視」と診断が出たが、薬をもらうだけで服用してもまったく効かないらしい。

 時には職員たちに暴行を受けたとき、親指でデニズさんの首を執拗に突いてきた職員の声が(人間のクズ、死ね!)と明確に聞こえてきたが、はっと見渡しても部屋の中には誰もいなかった。それも幻聴だったのだ。症状はどこまでも悪化する一方だった。

◆収容仲間のチリ人、ペニャさんが描いたデニズさん

 この絵を描いたのはデニズさんと同じく牛久入管に収容されているチリ国籍のペニャ・クラウディオさんだった。

 ペニャさんは、収容仲間の間では非常に親切な有名人だった。ボランティアに対しては面会のお礼だと言っては綺麗な絵をかいて送るほど律儀な人柄を見せた。

「面会をしてくれるお礼に私の絵をあげるので、売って自分たちの活動の資金にしてください」と、支援者に手作りカレンダーを送ってくることもあった。支援者はカレンダーをカラーコピーして売り、売り上げ全てをペニャさんに差し入れた、しかし結局、同室にいる自主出国する人に餞別としてお金を全部上げてしまうほどのお人よしだった。

◆震災で人生が狂ったペニャさん

 ペニャさんが日本へ来たのは1995年のことだった。チリの情勢に危険を感じていたペニャさんは、まずヨーロッパに来ていた。ペニャさんはヨーロッパでたまたまま知り合った日本人がいた。日本人は日本でチリ料理店を経営していた。

 しかし調理人が足りなくて困っている様子だった。チリにいた学生時代に調理師の資格を持っていたペニャさんは、その日本人と意気投合した。ぜひ日本へ来て、自分の店で働いてほしいという誘いに喜んでペニャさんは応じた。

 それからオーナーのもとビザを更新しながら15年も同じ店で働き続けた。しかし、2011年に起きた東日本大震災3.11が彼の運命を狂わせてしまった。保証人であったオーナー夫婦が原発を危惧して国外へ避難してしまい、そのまま海外へ永住してしまったのだった。急に保証人を失ったペニャさんは何度も入管に出向き相談したが「新しい保証人を探してください」と親身に取り合ってはもらえなかった。

「3.11の直後だったから職員も忙しくて、それどころではなかったのだろう」と職員を気遣う面も見せる。

 しかし、ついに在留資格を失いオーバースティになってしまった。同年7月に一度目の収容となってしまった。2年と18日も収容施設で過ごし、やっと外に出られたが、2017年10月、難民申請が却下され2度目の収容となる。そして現在、すでに2年5か月も収容されている。

◆職員によるイジメや勝手に変えられるルールをやめてほしい

 いつも冷静で大人しい彼だが「一度だけハンストをしました。仮放免のことだけじゃない、職員のイジメ、職員によって変わるルール、職員により勝手に決められるルールをやめてほしかった」と語る。

 デニズさんの絵に関しては「それは優しい担当さんがいて、その人に様子を聞きながら再現しました。料理の勉強はしたけど、絵の勉強はしたことがありません」

 デニズさんはペニャさんの描いた絵について「ピッタリです」と感想を述べていた。

 その後、デニズさんは3回目の仮放免が許可をされ、外に出ることができたが、これから先どうなるのかはわからない。デニズさんは収容をされなければ、ここまで病気になることはなかっただろう。今回、命こそは落とさなかったが、健康は元に戻るのだろうか。

 デニズさんのように限りある人生を意味もなく破壊され、命ギリギリまで追い詰められている外国人はまだまだ地獄の収容施設には大勢いる。

 デニズさんやペニャさんは本当にここまで収容されなければならない人であっただろうか。なぜ彼らをこんな残酷な目に合わせるのか、それに答えられる入管関係者はどこにもいないのである。

<文/織田朝日>

【織田朝日】

おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)を11月1日に上梓

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