コロナ禍の間に、要りもしないガラクタを買うための「クソくだらない仕事」を見直せ

コロナ禍の間に、要りもしないガラクタを買うための「クソくだらない仕事」を見直せ

カネを動かすだけの仕事が賞賛されたり憧れられたりしているが、それこそ「ブルシット・ジョブ」だ。人類にとって「虚」しい「業」であり、かねてから「虚業」と呼ばれてきた

◆コロナでも休めない業種=意味ある仕事

 コロナ禍で様々な業種がテレワークなどになったり、休業になったりしている。一方、休めない方々もたくさんいる。社会インフラを維持継続するために働く方々だ。

 医療従事者、介護従事者、運送に携わる方、ごみ収集に携わる方、食品を扱う方、第一次産業従事者(農業者や漁業者など)、生活必需品を販売するお店の方、それらの生産に携わる方、などなど、ほかにもたくさんいらっしゃるに違いない。

 これらの仕事は、世界が危機に陥っている今でも絶対に必要な仕事と考えていい。人々が生きてゆくうえで欠かせない仕事だからだ。しかし、労働環境が悪かったり収入が少なかったりする職種も多い。コロナ禍の最中にあって、こうした仕事に就く方がもっと多くの収入と良好な労働環境を得るべきだと思わないだろうか。

 1968年、ニューヨーク市でゴミ収集作業員7000人がストライキをした。ふさわしい報酬や、蔑まれた待遇の改善を要求したのだ。当初は見向きもされなかったストライキだが、その9日後に街はゴミだらけになった。社会的損失が極度に達し、ついに要求は受け入れられた。現在、ニューヨーク市のゴミ収集作業員は平均より高報酬の「尊い仕事」となっている。

◆なくなっても問題ない、なくなったほうがいい仕事もある

 さて、裏返して考えてみよう。人々が生きていくうえで欠かせない仕事以外は、「過分な仕事」と考えることもできる。世の中に必要不可欠でない仕事が幅を効かせるようになってしまったのが、今の経済社会だ。

 なくなったとしても、世界が貧しくなったり、街が汚くなったり、生活環境が酷くなることがないような仕事が多い。もっと言えば、なくなったほうが世の中が良くなる仕事もある。

 誤解を恐れずに言えば、例えば○○コンサルタントとか○○アドバイザーといった仕事など、実際にモノを作ったりサービスを提供している人よりもはるかに給料がいい職種の人々……、それらの仕事が本気でなくなってもいいと思っているわけではないが、「なくてはならないものか?」と聞かれたら疑問が残る。武器製造などに関わる仕事は、どんな屁理屈をつけてもまったく必要がない。

 役職という面から見ても、巨大企業の経営陣や経営コンサルティングや中間管理職がいなくなっても、サービスやモノを生み出す現場のほうが必要だ。口と指示だけしか出さない人ほど著しい高収入というのも、オカシイと思わないか?

 彼らのおかげでものごとが改善することも多々ある一方、彼らがいることでものごとが複雑で厄介になることもある。もっと言えば、わざわざ複雑にすることで彼らの存在意義と役割を無理繰り作り出しているとも言えるかもしれない。

 また、1人の仕事の中でも、1日8時間を費やす必要のない仕事があるかもしれないし、上司が残業するから帰れずに仕事しているフリをしなければならないこともあるだろう。上司や経営陣が降ろしてくる理不尽に時間と労力を取られて、顧客に向けるべき仕事ができない場合もあるだろう。

 社会人類学者のデヴィッド・グレーバーは、そういう仕事を「ブルシット・ジョブ」と名づけた。「ブルシット」の訳は「牛の糞」。要は「クソくだらない仕事」という意味だ。牛にも糞(土に落ちて大地を肥やす存在)にも失礼だが、皮肉った表現とすれば非常におもしろい。

◆過分な生産・消費主義が、世界のさまざまな問題を生んでいる

 経済学者のケインズは「20世紀末には1日に3時間だけ働けばいい社会になる」と書いた。ところが、現在の人はもっと働かざるを得ない状態になっている。その原因は明快。さらなる消費を促されるようになったからだ。より買うためには、より働かねばならない。それが「過分」と言うことである。

 自分のやっている仕事に全く意味がない、自分の仕事の存在意義さえ疑っていると思っている人は、イギリスで37%、オランダで40%、ベルギーで30%。日本でもそれに準ずる調査で、自分の仕事が世の中に役立っていないと答えたのが41%。

 概して言えば、3〜4割が「自分の仕事は世の中に必要ない」と思っているというわけだ。ブルシット・ジョブを減らして、必要ある仕事をワークシェアできれば、理論上は労働時間を今より3〜4割減らせる。どうだろう、あなたの仕事は「ブルシット・ジョブ」ではないか? 

 そうは言っても、必要不可欠ではない仕事に翻弄されて生きているのが俺たちの残念な社会だ。何のために? 収入を得るためである。「少しでも過分に収入を得たい、過分に消費したい」と憧れる。それができなければ劣等感が膨らんで、落伍者扱いもされる。だが、このままでいいのか?

 その過分な生産主義と消費主義によって、必要ない争いや悲劇が生まれ、地球環境が壊され、格差と貧困が圧倒的に広がり、その報いが大災害やパンデミックという形で人類を脅かしていることを、そろそろ言い訳せずに認めよう。

 今、世界的危機の中でさまざまな価値観が変わる時である。自分の仕事について考えてみてはどうだろう。アナタの仕事は本当に必要なのか。必要不可欠な仕事なら見合う収入が得られているか。

 テレワークができる世の中になるのは大歓迎だ。一方で、それらの仕事は必要不可欠ではない仕事かもしれない。だとしたら、そろそろ「ブルシット・ジョブ」を卒業して、人や世の中に役立つ仕事を増やしていこう。そうでないと俺たちの社会はもっと疲弊し、もっと大きな危機を繰り返すハメになる。

◆不要なものを過分に作る人は、人類の存続に対する“加害者”

 今、消費がそうそうできない。生産もそうそうできない。だが、たくさんの時間ができた。生きるうえで何が必要で、何が必要でないのか、嫌が応にもわかるはずだ。アナタの仕事が必要ないものを過分に作り出すものだとしたら、アナタは人類の存続に対して“加害者”の側面が大きいということだ。

 だとしたら、人々が生きるうえで必要な仕事に移行してみないか。そして必要以上は働かないことにしてみないか。収入が減っても大丈夫だ。必要ない消費を減らせばいいだけなのだから。ブラッド・ピットはこう言った。「要りもしないガラクタを買うために、嫌な仕事をしている奴が多すぎる」。

 こんなことを言っていると、「アフターコロナにV字回復しないと、経済を大きくしないと、もっと働かないと、もっと稼がないと、もっと消費しないと、自分も世の中も良くならないじゃないか!」という問いが飛んできそうだ。

 最後に、歴史学者ルトガー・ブレグマンの言葉を拝借しよう。

「テレビの視聴時間が長いのは、アメリカ、トルコ、日本など労働時間が長い国。本当に疲れている時、余った時間でできるのはテレビを見ることくらいです。一方、より多くの人がボランティア活動に従事し、子どもやお年寄りの世話、作曲や芸術活動に携わるのは、労働時間が短い国なのです」

【たまTSUKI物語 第25回】

<文/坂勝>

【坂勝】

1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に『次の時代を、先に生きる〜まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など。また、筆者の「誰にでも簡単に美味しい料理ができる」調理方法とレシピをYoutube「タマツキテキトー料理 動画&レシピブック」で公開中。

【sosa project】

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