トランスジェンダーの人々を「精神疾患」と見なす医療規範。当事者がより良い医療を受けるためには?

トランスジェンダーの人々を「精神疾患」と見なす医療規範。当事者がより良い医療を受けるためには?

写真はイメージです。

◆緊急入院先の診察室で聞かされた医師の一言

 4月上旬、意識がもうろうとしながら診察室で医師の診察を私は聴いていた。向精神薬とアルコールの離脱症状の兆候がみられ、救急入院でこの精神病院に来た私は藁にもすがる思いでいた。

 一通りの身体検査の後、医師は私の「自分史」をかなり詳しく尋ねてきた。「自分史」というのは精神科医療においてジェンダー問題に特化したクリニック(通称、ジェンダー・クリニック)が患者にまず問う、自らのジェンダーの歴史である。

 私は、ジェンダー・クリニックではない総合の精神病院でも「自分史」を聴いてくれるのかと、幼い頃から現在までの私のセクシュアリティやジェンダーの変転を伝えた−例えば、さまざまなジェンダー、セクシュアリティの人々と交際をもったこと、異性装をして曖昧な自分の性を他者に伝えるようにしていること。

 すると医師は「普通は」と切り出して「男子は母親の愛情を同性に求めます。しかし、これは成功しません」、「そして複数人の依存できる同性の友人のグループを作ることができるようになり、初めて当人は母親から自立し、異性を愛せるようになります」、と言い、私の「自分史」に精神的異常を指摘した。

 正直、最初は頭の理解が追い付かなかった。少なくとも、マイナー・トランキライザーが作用し、身体拘束を受けた閉鎖病棟の隔離室で私はやっと事態を飲み込んだ。端的に言えば、医師にとって私は「発達障害」という精神疾患なのである。定型的に発達してゆく「男子」がみせるセクシュアリティやジェンダーの発達ではないというのだ。

 この医師の発言に基づくならば同性を愛し続ける人々(ex.L・G・B)はセクシュアリティの発達障害であり、ジェンダーのあり方を変えてゆく人々(ex.T)はジェンダーの発達障害だということができる。

 L・G・B・Tは社会的な「性の多様性」の象徴であり、このような医療規範によって病理化されたものからは程遠いものだったのではないのか。ここでは、そんな疑問に特に国内の「トランスジェンダー」の(脱)病理化の流れから答えてみたい。

◆性同一性障害特例法の制定と医療

 まずは国内医療の法的な規範の観点に関してである 。90年代を境に様々な運動、活動、法的な動きがあった後、00年代前半にかけて戸籍上の性別変更を法的に認めるよう求める当事者たちの運動が活発になった(2001年に『3年B組金八先生』で上戸彩がFTM(female to male)トランスジェンダーの学生の役柄を演じたのを記憶されている方々も多いのではないだろうか)。

 そして、2003年に制定されたのが「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下、「特例法」)である。国内の当事者はこの特例法の要項に基づいて戸籍の性別を変更できることとなった。特例法が戸籍の性別変更にあたって定めている五つの要項は以下のようなものである。

一  二十歳以上であること。

二  現に婚姻をしていないこと。

三  現に未成年の子がいないこと。

四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

 二項は国内では同性婚が法的に認められていないため、パートナーのどちらかの性別が変った場合、その婚姻関係が認められないためである。三項は「子がいる当事者に性の変更を認めると、「父=男性、母=女性」の図式が崩れて家族秩序に混乱を生じさせ、子に心理的な不安やいじめ・差別の被害などが生じるおそれがあり、子の福祉に影響を及ぼしかねない」 という、極めて理不尽な理由から設けられている。

 そして、四項に至っては強制不妊や強制断種を正当化する非人権的要項である。

 この特例法の問題をここでは「医療」に集中させたい 。確かにホルモン治療や性別適合手術(SRS)を必要とする可能性のあるトランスジェンダーの人々が医療と切っても切り離せない関係にあるのは事実である。

 しかし、医療に関わる特定の処置や技術を受けるからといって、その医療を受ける者に何らかの規範を押し付けてよいことにはならない。例えば、性別適合手術を望むこと(医療現場への関り)が、婚姻の権利のはく奪や強制不妊や強制断種を正当化させること(規範の正当化)には繋がらない。

 このように、現行の戸籍の性別変更をめぐる法制度は医療を受けようとする当事者を「特例法」の要項という規範の下に置いているといえる。

◆「特例法」の存在が医療現場に投げかけるもの――脱病理化と医療化

 次に、特例法と特に精神医療との関りだ。アメリカ神経精神医学会が出版し、日本の精神医学の指標ともなっている『精神疾患の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)の第五版(2013)、通称「DSM-5」では「性同一性障害gender identity disorder」の代わりに「性別違和gender dysphoria」という言葉が用いられるようになった。

 「性別違和」は「臨床的問題としての不快」 と記述され、「精神疾患」というレッテルも見直されている(もちろん精神疾患全般のレッテルを見直す必要があることは言うまでもないがここでは割愛する)。2018年には、WHOが改訂した「国際疾病分類」(ICD-11)において「性同一性障害」は「精神疾患」から外され「性の健康に関連する状態」に分類されることとなった。

 このような事実からトランスジェンダーの「脱病理化」が果たされたと指摘する識者や当事者は少なくない。しかし、依然として精神疾患の書物であるDSMにトランスジェンダーのありようが記述されているし、その特例法の記述内容をガイドラインとしつつ「特例法」は制定され存続している。「性同一性障害」という既に国際的には存在しない精神疾患の名前の診断に基づかなければ、国内では戸籍の性別変更が認められないことも事実なのだ。概念として変わった事象が、必ずしも現場を強く変化させるわけではない。

 私が出会った医師もこのようなトランスジェンダーの人々をめぐって数十年に渡って体制化された医療規範、特に精神医療の規範に素朴だったのだと推察される。脱病理化がすすめられたとしても、特例法のような規範の存在がある限り、当事者のQOLについて医療現場とより良く対話ができるといった意味での「脱医療規範」は果たされない。

◆精神科とジェンダー・クリニックの溝は埋まるのか?

 また、筆者は精神医学を専門としている精神科・心療内科と性のことを専門としているジェンダー・クリニックとの間の溝に対しても、「脱医療規範」の観点から危惧を抱いている。確かに、今回私が救急搬送されたのは私の精神疾患によるものだったが、もしこの病院にWHOが定めるような「性の健康に関連する状態」に詳しい精神科医ないしその専門家がいたら私の処遇は異なっていたのではないか。

 私のような緊急時ではなくとも、精神科・心療内科とジェンダー・クリニックを行き来する当事者は少なくない。性的マイノリティ(弱者)という立場は社会的貧困を生み出すだけではなく、心をも蝕む。他者に自らが望む性を語れない、表現できない苦しさから、精神疾患を同時に抱え込むケースなどがある。

 しかし、精神医学、臨床心理学とジェンダー、セクシュアリティについての医学的知識を兼ね備え、かつ包括的サポートを行うことのできるような医療機関は殆どない。

 当事者の心のケアをしつつ、様々な観点から当事者の性をケアすることのできる現場づくりもまた今後のトランスジェンダーの人々をめぐる医療との対話、「脱医療規範」の第一歩だと考える。

◆「現場」との対抗戦略と視座

 こう考えてみると、私が入院の際に医師から直截に「発達障害」と指摘されたことは理由のないことではない。言葉や活動の上でトランスジェンダー当事者への「脱病理化」が進んでいるとしても、トランスジェンダーの人々が「医療」というさまざまな問題、規範を繁殖させたまな板のうえから取り除かれたわけではない。

 それゆえ、トランスジェンダーの人々と医療との緊張関係を考えた時、言論、概念上の医療改革だけではなく、医療「現場」で私も直面した医療規範への対抗戦略が必要になる 。同時に、医療現場への「視座」も必要だ。そもそも退院をし、このような記述を可能にさせてくれたのは、現場の看護師やスタッフの方々の細かな配慮によるものだった。新型コロナウィルスも理由であったが、ミサンドリーの強い私に特別に個室生活を与えてくれ、閉鎖病棟内を歩く際には異性装やメークも認めてくれた。入院中、私の性的マイノリティとしての人権、尊厳はある程度保たれて生きることができた。

 特例法に顕著なように、文字はそれ単体としては生きた心、「性」を失っている。しかし、その文字に参与しているすべての人々がその意味での「性」を忘れず、対抗し、実践に移していくならば、トランスジェンダー医療の状況は改善してゆく余地を残していると感じられる。私がこうして生きて文字を紡げていることがその査証である。

<文/古怒田望人>

【古怒田望人】

古怒田望人(こぬたあさひ) 大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程所属。専門は、トランスジェンダー・スタディーズ、クィア理論、哲学、現象学、フランス現代思想。院生として研究をする傍ら、当事者、非当事者の垣根を越えて集うことのできるサロンやカフェを運営、またライター活動を行う。自身のジェンダーは広くトランスジェンダーであるが「男女どちらの性に対しても『あたりまえnormal』という規範normを姿かたちから切り崩せる」ようなスタイルを模索している。その一環としてフリーモデルも行う。

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