終戦から75年、戸籍のないまま生きてきた人たちの今。『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』<映画を通して「社会」を切り取る25>

終戦から75年、戸籍のないまま生きてきた人たちの今。『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』<映画を通して「社会」を切り取る25>

?Kプロジェクト

 フィリピン残留日本人と中国残留孤児の現在の姿を描くドキュメンタリー『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』が、ポレポレ東中野で公開されています(8月上旬から全国の劇場で順次公開)。

 「私を日本人と認めて欲しい」。そう訴える残留邦人がフィリピン全土に今もおよそ1000人存在している。彼らは、太平洋戦争で激戦地となったフィリピンで、戦前から移住していた日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子どもたち。

 日本の敗戦を境に、日本人の父親と生き別れ、反日感情の激しいフィリピン社会で身を隠すように生きてきた。父との血縁を認められたい、そして日本国籍を得たいと願う人たちに、日本政府は支援の手を差し伸べずにいる。平均年齢80歳を超えた彼らに残された時間は少ない。

 「私は日本人。でも言葉がわからないの!」。一方の中国残留孤児は、1972年の日中国交回復後、両国政府による帰国支援事業により日本への帰国定住を果たしたが、言葉や文化の壁を乗り越えられず貧困に陥り、一時は日本政府を相手取り2,000人規模の集団訴訟を起こすまでに追い詰められた。政治的解決を得て、現在は生活の基盤を保障されたものの、そのほとんどが言葉の壁によって日本社会に溶け込めないまま老後を迎えている。

 映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』は、2つの国の残留者たち、 そして彼らを救おうとする市民たちの活躍を描きながら、私たちが生きる"日本という国の今"を浮き彫りにしてゆく。国民の保護者である国家には残留者たちに果たすべき使命がある。日本人の忘れものとは何か?戦後75年目。日本政府は救済に動き出すのか――

 監督は、CMなどを中心とした映像制作を手掛けて来た小原浩靖さん。今回は、小原監督と企画・製作を担当した弁護士の河合弘之プロデューサーに、映画製作の過程や映画に込めたメッセージなどについてお話を聞きました。

◆知られざるフィリピン残留日本人

――この映画を撮影し始めたのはいつだったのでしょうか。

小原:2018年3月でした。3週間フィリピンに行き、フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)の事務局長の猪俣典弘さんの調査に同行したんですね。その次は中国残留孤児の方に会いに介護施設の一笑苑に行ったり、施設の利用者さんのご自宅でお話を聞いたりして撮影していました。

 中国残留孤児の方々は国策により満州に移りすんだ日本人の両親の間に生まれた人たちですが日本語を話せません。一笑苑の介護士の三上貴世さんに通訳をしてもらったのですが、彼女がいると認知症も調子がいいという方がいるぐらい、みなさんが心を開いている人でした。三上さんなしでは撮影は出来なかったと思いますね。

――この映画の撮影がきっかけで問題解決に向けた動きがあるとも聞きました。

小原:昨年の7月にトマサ・ヘラルデスさんという女性が登場するシーンをDVDに収めて家庭裁判所に提出したのですが、2度目の申立てで就籍許可が下りました。

 1回は却下されていた事案でしたが、家庭裁判所の裁判官は映像で「こういう状況にある人なんだ」と分かってくれたのではないでしょうか。それまでは陳述書と写真だけでしか彼女のことを知れなかったところ、映像を見せることで心証が変わったのではないかと。

 なぜ2回目の申立てで就籍が認められたのかは分かりませんが、映像には「実際に会う」感覚に近いものがあるのではないかとも思いました。やはり実情を知ってもらうには目の当たりにすることが大事なのではないかと。そうしたこともあって、この映画は国会議員にも配っています。

 また、昨年の春、劇中にも登場するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の駐フィリピン事務所代表に就任したばかりの久保眞治さんにフィリピン残留問題の20分ぐらいの短編を作って渡しました。久保代表も「フィリピン残留日本人」と呼ばれる人たちの存在は知っていたものの、具体的な人物像についてはわからなかったとのことでした。このビデオを見てから、本腰を入れて問題解決に取り組むということになったんです。

◆国家による救済とは

――映画を作り始める前と作り終えた後で政治に対する見方に変化があったのでしょうか。

小原:改めて政治は国民のためにこそあるべきものだと感じました。フィリピンや中国で戦争のせいで国籍もなく路頭に迷っている人たちを救済する。それは当たり前のことではないのかと。

 河合弁護士に最初に会った時に、映画の冒頭にも登場する「自国民の保護は、国家の根本的な義務である」という言葉について説明を受けました。言われてみればそうなのですが、「国家が国民を保護する」と捉えたことはなかった。この映画はそこに対する気付きから始まっていますが、映画を作り終えてその思いはより深くなっています。

 また、コロナ禍でこの映画は今日的なテーマの映画になったと感じています。緊急事態の今、国がコロナから自分を守ってくれていると感じている人は少ないですよね。最初はコロナの感染拡大防止よりオリンピックを優先しようとしていましたし、休業に対する補償の不十分さや、10万円の給付金が未支給であるなどの問題もあります。 国は国民に対して「自己責任」を押し付けているのではないかと。

 この映画は2月に参議院議員会館で政治家も含めた200人規模の試写会をしたのですが、その時からコロナ禍を想起した人は多かったです。

――確かに、残留孤児問題もコロナ禍も緊急時における国家による国民の救済が問題になっていますね。

小原:この映画に登場するフィリピン残留日本人も中国残留日本人も、戦争という国家の事情によりある意味祖国を失った人たちです。しかしながら、彼ら彼女らは国が自分たちを救済してくれると信じていたのではないでしょうか。

 そう感じたのは、ミンダナオ島にある日本フィリピン歴史資料館で、出征前夜の男性が妻と幼い娘に残した遺書を発見した時でした。遺書の内容は「自分は今から兵隊に取られていくけれども何かあったら日本国が守ってくれる」という内容なんです。

――汝もし一身上の事で思案に及ばざる事あらば、(中略)日本帝国政府に懇願し、援助を受けよ。

天皇の国・大日本帝国は即ち汝等の父の国にして、同時に汝等の保護者たる事疑いなし。

 2018年3月に23日間ロケに行って、フィリピンで戦後75年にもわたって国籍もなくひっそりと生きてきた方々を目の当たりにして、この大きな問題をどのようにして映画のサイズに収めれば良いのかわからなかったんです。フィリピン残留日本人と中国残留孤児という2つの問題を1つの映画の中でどのように描いたら良いか悩んでいたんですね。

 ところが、この遺書を見た時に映画ができると思いました。遺書の「国が守ってくれる」という言葉と河合弁護士から聞いていた「自国民の保護」という言葉が重なって、2つの問題に共通した何かを感じたんですね。中国残留孤児のお母さんも、フィリピン残留日本人のお父さんと同じように自分の子どもを現地の方に託した時に「きっと国があなたを助けに来てくれる」という思いがあったのではないかと感じました。

◆日本政府の対応を核に

――長年CMを中心に映像を制作してきたとのことですが、今回、初めて映画を作ってみていかがでしたか。

小原:大学卒業後、CM制作会社を経て、28歳の時から28年間フリーランスでやってきました。広告は長くても30分、映画は2時間という長さの違いはありますが、それに対して構えることはなかったです。自分はいわゆる雑食の人間でCMなのかプロモーションビデオなのかドキュメンタリーなのか、敷居がありませんでした。何でもやりたかったんですね。

 ただ、広告の仕事でも商品の開発者や生産農家にインタビューする比較的長時間のCMなどは制作していましたので、そういう意味でインタビューシーンの撮影は慣れていましたね。

――映画を制作するにあたり、どのような点に気を付けたのでしょうか。

小原:この問題を目の当たりにして欲しいという気持ちがあったので、スクリーン越しに「残留者の方々に会っている感じ」を出すようにしました。

 また、この映画の制作はフィリピンや中国に未だに残る問題の周知が目的なので、問題について知る機会の少ない小中学生でもわかる映画にしたかったんですね。フィリピン残留日本人と中国残留孤児の映像をシャッフルしていく中で、問題の核は日本政府の対応にあるということを浮き彫りにしようと思いました。

 チラシも、ドキュメンタリーは数多く登場人物が掲載されるのが普通ですが、それだと難しい印象になってしまうので、デザイナーと相談して、今回は劇映画のようなシンプルなものにしました。今回のチラシはフィリピン残留孤児の赤星ハツエさん一人をフィーチャーしています。

 赤星さんは日本人の父親と生き別れていましたが、PNLSCの調査で父親の身元が判明し、2013年に就籍が許可された方です。映画の最初と最後にも登場しますが、赤星さんが象徴となるような群像劇にしたかったんですね。この問題は容易には解決しませんが、映画の中では見た方が「物事が良い方向に動いて良かった」というカタルシスを得られるような構成にしています。

――この映画はある意味政治的なメッセージを持つ映画ですが、そうした作品の監督をすることについて感じていることはありますか。

小原:例えば原発問題などもそうなのですが、僕たちフリーランスのCMディレクターは広告主さんに雇われる立場にあるので、政治的なイシューに関わる活動は自粛するような雰囲気を感じることもあります。でも、自分の職能でメッセージを届けられるのであれば、積極的にやるべき時代だと思いますね。

――次はどのような作品に取り組みたいと考えていますか。

小原:劇映画をやりたいです。戦争、災害など被害に遭った人たちは個人では克服することのできないダメージを負っていますが、そのダメージに対して不思議な力が克服していく手助けになる、というストーリーを考えています。震災で亡くなった人たちの家族が、自分の霊体験を話すことによって浄化されていくという話を読んで思い付きました。前向きになれるファンタジーを作ってみたいです。

◆映画には社会を変える力がある

――作品に込めたメッセージについてお聞かせください。

河合:『日本人の忘れもの』というタイトルは「70年も日本政府、そして日本人全員がこの問題を忘れているのではないか?」いう意味を込めて付けました。

 フィリピン残留日本人の方々はご高齢なのでこれ以上待たせることはできません。問題の消滅を迎えるのではなく、問題の解決が必要なんです。そのためには世論の盛り上がりが必要です。映画に登場する方々をみなさんの力で助けて欲しいと思っています。

小原:今、政治家などの不祥事が世の中を騒がせていますが、この映画には残留者の方々を救済しようとする弁護士、リーガルサポートセンターのスタッフ、国連職員、ジャーナリスト、通訳など多くの方々が登場します。

 格好良くない大人が目立つ世の中で、困っている人たちを何とか救いたいと強い意思を持って活動している人たちがいるんですね。サポートする大人を描くことで「日本にはやるべきことをやっている格好いい大人がたくさんいる」ということを小中学生にも知って欲しいです。

 多くのドキュメンタリーのゴールは問題を伝えることですが、この映画は問題を伝えて社会を動かすことがゴールです。「映画には社会を変える力をある」という言葉がありますが、この映画で世の中が動くということを証明したい。そのためにも、より多くの方々にこの映画を見て欲しいと思っています。予備知識なしで見てもらえる映画です。

<取材・文/熊野雅恵>

<撮影/鈴木大喜>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。

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