ロボットの活用が始まった高輪ゲートウェイ。「映える」駅舎で明朝体が炎上した理由とは

ロボットの活用が始まった高輪ゲートウェイ。「映える」駅舎で明朝体が炎上した理由とは

折り紙をイメージしたという駅舎デザイン。こちらの駅名表示も明朝体。

◆高輪ゲートウェイ駅、明朝体の謎

 高輪ゲートウェイ駅がコロナ禍のなかで3月14日に暫定開業した。JR東日本が進める「品川開発プロジェクト」という構想の中で設置された駅で、山手線の30番目の駅に当たる。

 そして先月から、駅構内の消毒や利用客の手荷物の搬送などにロボットを活用するという実証実験も行われている。高輪ゲートウェイ駅は、これからの都市空間をどう作るのかの先駆的な実験が繰り広げられる空間でもあるのだ。

 開業はすでにしばらく前のこととなってしまったが、当初話題を読んだのは、駅舎においてその名が明朝体で記されていて視認性が悪い、ということだった。そして、その原因として、まるで明朝体が諸悪の根源であるかのような表現も、ツイッターなどで多く見られた。曰く、看板はゴシックであるべきだ、看板に明朝体を使うのはおかしい、などと。

 明朝体よりゴシック体の方が視認性が高い、というのは一般的な理解としてあるのも事実であり、駅舎の看板や駅名標は大概ゴシック体で記されている。明朝体がここまで攻撃されるのには、心も痛むのだが。

◆明朝体や隷書体で書かれた駅名標

 しかし、明朝体で駅名を表示する例もなくはない。

 たとえば京王電鉄高尾線の終点、高尾山口駅がそうだ。ここは駅の入口だけではなく、ホームの駅名標も明朝体である。だが高尾山口駅のそれに対するバッシングが見られた、という話は聞かない。

 また、みなとみらい線の馬車道駅、元町・中華街駅も駅名標を明朝体で表示している。

 高輪ゲートウェイと同じ路線であるJR山手線でも、渋谷駅、原宿駅の駅舎は駅名を明朝体で記している。もっとも、原宿駅の場合は明朝体の駅名の下に、ゴシック体で駅名を記しているのだが。

 だから、明朝体で駅名を記す例がなくもないし、それが少なくとも高輪ゲートウェイ駅のように炎上したともあまり聞かない。明朝体とは異なるが、箱根登山鉄道も駅名標や駅舎での表記にゴシック体ではなく隷書体を使用しているが、これも別段不満の声は上がっていないだろう。

◆駅名やAIへの不満が「明朝体」に向けられた

 では、なぜ高輪ゲートウェイだけがあそこまで大騒ぎになったのだろうか。

 まず考えられるのは、高輪ゲートウェイ駅が完成するプロセスに問題があるのではないかということだ。

 たとえば、駅名の選定過程などだ。2018年6月、JR東日本が山手線の新駅について名称を公募した際、6万4052件の応募数一位で8400票を獲得した「高輪」、二位で4265票の「芝浦」などではなく、それをかなり下回る130位、獲得票数36票であった「高輪ゲートウェイ」が選ばれたのである。

 JR東日本は名称の選定理由を以下のように述べる。

「この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。 新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました」

 では得票数の多さにはどういう意味があるのか、民意って一体なんなのかという疑問も出るだろう。ウェブでは駅名撤回運動も繰り広げられ、支持を受けた。

 JR東日本の誰がどのように駅名を決定したのか、そのプロセスの不明瞭さも問う声が出ていた。

 鉄道は公共性が高いし、またJR東日本がいうように「この地域の歴史を受け継」ぐならば、それこそ高輪とか芝浦がいいのではないのか、という考え方があるのも当然だろう。

 駅の案内を行うAIが、男性駅員がリアル系なのに、女性駅員だとアニメ系であることも論議を呼んだりと、とにかく波乱を呼んだ高輪ゲートウェイ駅。注目すべきは人々の不平が高輪ゲートウェイの「駅名が明朝体」であることに向けられたということだ。

 先に述べたように、観光地としての要素がある駅ならば、駅名が明朝体でも不満は出ないのに、高輪ゲートウェイ駅の場合には不満が上がったことには、作られるまでのプロセスの他にこの駅が持つ位置付け、性格をあげてみても良いのではないだろうか。

◆駅自体の「映え」が優先された駅舎

 高輪ゲートウェイ駅は東京のビジネス街の駅だが、その駅舎は通勤電車の駅について人々が考えるだろう一般的なイメージを超えるものになっている。

 同駅の駅舎は、全体的に構内の見通しがよく明るい。デザイン性も重視され、イメージされたのは「和」。ガラス張り、折り紙をイメージしたという駅舎に吹き抜けのホーム。ざっくりした言い方で言えば「映える」駅である。監視カメラも多く配置され、視覚上の死角がない。また最近では、先述のような実証実験も行われている。同駅の主役はAIとロボットなのだ。

 高輪ゲートウェイ駅で重要なことは駅自体が「映える」ことであり、利用者である人間は、その空間の主役ではない。そのことを人々が感知したことが「明朝体の可読性」の問題として現れたと考えたら少々オーバーだろうか。しかし、駅名の表示の見やすさよりもデザイン性や「映える」を重視されたことに、人間としての何かを脅かされたように感じたというのは考えられなくもない。

 駅が設置されるまでのプロセスと、その結果どのような位置付けで新駅が生まれたのか。それに対する人びとの反応としての「明朝体」問題である。

<取材・文/福田慶太>

【福田慶太】

フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。

関連記事(外部サイト)