大林宣彦監督が、人生をかけてこの世界に伝えようとしていたものとは

大林宣彦監督が、人生をかけてこの世界に伝えようとしていたものとは

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◆最後の作品を完成させた直後に亡くなった大林監督

 現代は病院が医療の場の主役です。病院には医学に関する教育と訓練を受けた専門家たちが集い、昼夜を問わず診療業務にあたっています。昼も夜も、あらゆる人たちのあらゆるニーズに対応する病院は、暮らしを守り、地域を守るために極めて重要な場です。ただ、現代の医療体制だけではすべてのニーズに対応できるわけではなく、医療現場は疲弊しています。

 では、今後求められる新しい医療の場は具体的にどういうものでしょうか。どのような場が、現代医学としての病院を支え、守り、「いのち」を守る医療をより深く広いものに充実していけるのでしょうか。

 そのことをうまく伝えるために、大林宣彦監督のことを記したいと思います。大林宣彦監督は、最後の作品を完成させた直後に亡くなられました。命日の2020年4月10日は、遺作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の封切り予定日でした。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、3月31日に公開延期が決まり、その直後に亡くなられました。

 映画の神に生命を捧げるように生きた大林監督が、人生をかけてこの世界へ伝えようとしていたのは何だったのでしょうか。

◆「フィロソフィー」を大切に共有し、ともに悩み、考え続ける

 大林監督の演出方法は独特なもので、役者は脚本通りに演技することを封じられたそうです。「役を演じる」のではなく「役を生きる」ことを求め、監督は「フィロソフィー(哲学)」を提示する存在として、演技の模範解答を提示しませんでした。

 現場の変化に応じて考えなさい、と呼びかけながら脚本自体も常に変化したそうです。おそらく「映画」という現場における創造行為を全員が共同創造者として参加して考えることを求めていたのでしょう。

 俳優はもちろんですが、カメラマンの方も音声の方もアシスタントの方も、すべてのメンバーが映画を創る創造行為の一員として全員が平等に悩み考え、心動していくことを求めたのだと思います。

 大林監督が映画を介して現代に遺し伝えたかったことも、映画の現場だけではなく、社会という場も医療の場も、「フィロソフィー」をこそ大切に共有して、そこに関わる人たちは全員が創造者の一員としてともに悩み、考え続けることを呼びかけていたのではないでしょうか。

 そして、これからの時代で守るべきフィロソフィーは「いのち」というフィロソフィーなのではないでしょうか。

◆誰にも「いのち」の可能性を追求する権利があり、実現する場が必要

 自分が求めている新しい医療の場は、大林監督が映画を作っていた現場と同じようなものです。「いのち」を中心にして、役割や立場から自由になり、共に考え共に創造する場こそが、新しい医療の場になるのではないだろうかと。

 もちろん、医療や介護や福祉の専門職はそのメンバーとして重要です。ただ、「いのち」を思い仕事についている人は他にもたくさんいます。そもそも、生きている人は誰もが「いのち」の可能性を追求して生きています。

 誰もが「いのち」の可能性を追求する権利があり、実現する場が必要であり、それこそが新しい医療の場ではないでしょうか。具体的な形が大事なのではなく、その中心に据えた見えざる哲学こそが大事です。

 一見すると銭湯のようで、お寺のようで、美術館のようで、保養地のような場かもしれません。そのことを『いのちは のちの いのちへ』(アノニマ・スタジオ)の著作の中で記しました。

◆「いのち」の可能性を探求し表現し実現できる場が必要

 さらに「祭り」のようにわたしたちの祖先が伝えてきたものも、同じような思いがあったのではないでしょうか。筆者は、2020年9月にオンライン開催となる山形ビエンナーレという芸術祭の芸術監督を拝命しました。「芸術祭」も、「芸術」と「医療」とが交わる新しい場として、「いのち」のフィロソフィーを共有できる場になるのではないかと、考えています。

 多様な個性が出会いぶつかりあい、「いのち」という「フィロソフィー(哲学)」を全員が強く抱きして大切にしながら、その中心軸からぶれないようにみんなが心を寄せ合い、「いのち」の可能性を探求し表現し実現できる場。わたしたちは、生き続けている限り、生きることを自由に追求する場が必要であり、生きる全体的な営みを共有する場が必要です。

◆失われた全体性を取り戻す営み

 そうした場を創り上げていくプロセスこそが、新しい医療の形の一つになるだろうと思います。「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2020」が、そうした場の一つになれればと思っています。

 医療も芸術も「失われた全体性を取り戻す営み」として同じ働きがある、と自分は思っています。「いのち」に対して開かれている芸術祭、「いのち」というフィロソフィーを共に共有する芸術祭。

 ドイツ政府は、コロナ禍の中で「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と呼びかけ、アーティストの支援をはじめました。自分も「アーティスト(アート)は必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と思っています。

 その理由は、食は体のエネルギーを供給し、芸術(アート)は心のエネルギーを供給するからです。心のエネルギーは目に見えないからこそ必要性を感じにくいものですが、心身一如である体は心とつながりを持つ一体のものです。

◆医療と芸術をつなぐ「芸術祭」が今こそ求められている

 心のエネルギーが枯渇すると体は動かなくなります。そうした心のエネルギーを供給するのがアート(芸術)であり、媒介となるのがアーティストである、と。

 医療従事者は生命を助ける仕事をして懸命に働いています。医療従事者も人間であり、身心が疲労し前に進めなくなるほど心が折れそうになることもありますが、そうした医療従事者の心を支えているのはアートを含めた文化や芸術の力です。だからこそ医療と芸術をつなぐ「芸術祭」が今こそ求められているのではないかと、思っています。

 あなたの体と心がバラバラにならないよう、二つの世界をつなげてくれるものは、何でしょうか?

【いのちを芯にした あたらしいせかい 第6回】

文・写真/稲葉俊郎

【稲葉俊郎】

いなばとしろう●1979年熊本生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014〜2020年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(山形ビエンナーレ2020 芸術監督 就任)。在宅医療、山岳医療にも従事。未来の医療と社会の創発のため、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。著書に、『いのちを呼びさますもの』、『いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―』(ともにアノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)、『からだとこころの健康学』(NHK出版)など。公式サイト

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