ユーミンの「醜態」と評価をめぐる地殻変動<史的ルッキズム研究8>

ユーミンの「醜態」と評価をめぐる地殻変動<史的ルッキズム研究8>

Facebook上で謝罪した白井氏

◆ユーミンに吐かれた「暴言」

 

 この記事が掲載される頃には旧聞になっていると思いますが、京都精華大学の政治学者・白井聡氏による松任谷由実批判が、物議をかもしました。

 歌手の松任谷由実氏がラジオ放送のなかで、安倍首相の辞任会見に触れ、「見ていて泣いちゃった。切なくて」と感想を述べたことに対し、白井氏は自身のFacebookで強く非難します。「荒井由実のまま夭逝すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」と書いたのです。

 この発言については、さすがに大学の品位にかかわる問題になるので、京都精華大学が白井氏に厳重注意を行い、本人も発言を謝罪しています。「死んだほうがいい」発言についてはこれで一件落着です。

◆ユーミンに「醜い」と言うことの新しさ

 ところで、発言が撤回された上でも心に残るのは、松任谷由実氏が醜態をさらしているという指摘です。私の記憶が正しければ、松任谷由実氏がこれほど強く批判されたのは、おそらく初めてのことです。10年前であれば、こんなことはぜったいに起きなかったことです。彼女のファンはたくさんいましたし、ファンでない人であっても、彼女を指して「醜態」とまで言う人はいませんでした。

 ああいう歌が好きな人もたくさんいるんだから、わざわざ意地悪な指摘をすることもないだろうと、ほっておかれたのです。「多くの女性に支持されるユーミン」という構図に手を突っ込む人はいませんでした。しかし今回、白井氏はこの構図に異を唱えたのです。ユーミン醜いぞ、と。これはとても重要で画期的なことだと思います。

◆文化人の評価をめぐる変化

 同種の変化は他の「文化人」でも起きています。ユーミンに限らず、80年代からバブル期のあたりまで代表的だった文化人の「醜態」を、私たちは現在目にすることが多くなっています。

 たとえば、コピーライターの糸井重里氏が「つまらないやつ」という評価をされるようになったことです。かつて糸井重里氏は「おもしろい人」でした。そして彼を非難する人はほとんどいませんでした。彼には彼の商売があって、それをおもしろがっているファンの人がたくさんいるのだろうから、わざわざ横から水を差すような指摘をすることもないだろうと、ほっておかれたのです。

 しかし、糸井氏が福島復興政策にからんで桃の販売促進キャンペーンを始めたあたりから、彼への猛烈な批判が始まりました。「おまえ自分がおもしろい人のつもりか」と、公然と批判されるようになったのです。

 学術の世界では、社会学者・上野千鶴子氏の評価が一変しました。かつて10年前であれば、「フェミニズムといえばまず上野千鶴子」という世間的な了解があり、その構図に異論を唱える人はほとんどいませんでした。

 しかし、「慰安婦」問題やアダルトビデオ問題の議論のなかで、上野氏のフェミニストとしての権威は失墜します。現在では、数多いるフェミニストから批判され、総スカンです。「あんなものがフェミニズムなら私はフェミニズムやめるわ」ぐらいの勢いで、上野氏は猛烈に批判されているのです。

◆世間的な了解に同調してやりすごせなくなった

 10年前であれば疑いなく受け入れられていた「定番」の構図が、この数年で少しづつ崩れはじめています。「多くの女性に支持されるユーミン」とか、「糸井重里はおもしろい人」とか、「上野千鶴子はフェミニスト」という世間的な了解が、崩れていきます。私たちはそうした世間的な了解の構図に同調してやりすごすことができなくなったのです。世間的な評価に配慮したり、忖度したりしない。「こいつバカじゃねーの」と思ったら、躊躇なく「バカじゃねーの」と言うようになったのです。

こうした変化を引き起こしたのは、なんでしょうか。SNSの普及からなのか、それとも、経済的に二極分化した格差社会のためか。あるいは、放射能汚染を解決しないまま福島復興につきすすんだ公害隠し政策のためか。公害隠しのオリンピック招致のためか。

 この10年間、民主党政権から自民党長期政権にまたがって、いろいろな矛盾が噴出しました。その大きな変動のなかで、ユーミンは、「素敵なもの」から「醜態をさらすもの」へと、評価が一変したのです。振り返ってみれば、ずいぶん薄っぺらいものをありがたがっていたんだなあと、長い夢から覚めたような感慨をおぼえます。

<文/矢部史郎>

【矢部史郎】

愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。

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