尖閣前原証言に踊らされた人たちと、それを拡散させたSNSによる「不作為」に潜む危険性

尖閣前原証言に踊らされた人たちと、それを拡散させたSNSによる「不作為」に潜む危険性

前原誠司氏(時事通信社)

◆前原誠司さんの与太話

 過日、産経新聞のとある記事がTwitterのトレンド欄を賑わせました。国民民主党(当時)所属の前原誠司さんのインタビュー記事で、「(2010年発生の尖閣中国船衝突事件で逮捕された中国人船長の釈放は)菅直人首相の強い指示によるものだ」という証言が採録されています。

 尖閣中国船衝突事件発生当時、前原さんは海上保安庁を所管する国交大臣を務めていました。事件発生直後に内閣改造があったため、「菅首相から強い口調での指示があった」と証言する2010年9月21日時点、前原さんは外務大臣に転じています。あの事件の前後に、国交大臣と外務大臣を歴任したのですから、前原さんはまさに「当事者」と呼んでいい立場におられました。その当事者証言です。確かにビックニュースではありましょう。

 しかし、注意深く記事を読めばわかるように、前原さんの証言内容そのものは、実に子供じみたもの。結論からいえば与太話の類にすぎません。

 記事の証言部分を引用しましょう。

“前原氏によると、国連総会に出席するための22年9月21日の訪米出発直前、首相公邸に佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部とともに勉強会に参加。その場で菅氏が公務執行妨害容疑で勾留中の船長について「かなり強い口調で『釈放しろ』と言った」という”

 この証言が真実だとすると、菅直人首相は、「外務大臣と外務省幹部」に対して「釈放しろ」と「強い口調」で言ったことになります。

 なんだか不思議な話ですね。あの事件の被疑者である中国漁船船長は、すでに検察の手中にあったわけで、いかに総理といえ、「外務大臣と外務省幹部」に「釈放しろ」と怒鳴ったところでなんともならないではありませんか。ましてや、「外務大臣に強い口調で言う」ことが、検察への指揮権発動になどあたるわけがありません。

 引き続き、記事を引用しましょう。

“前原氏が理由を聞くと、菅氏は同年11月に横浜市でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議があるとして「(当時の中国国家主席の)胡錦濤(こ・きんとう)が来なくなる」と主張。中国側は船長の釈放を要求し、政府間協議や人的交流の中止などさまざまな報復措置をとっていた。釈放しない場合、胡氏が来日しなくなることを懸念したとみられる”

“前原氏は「来なくてもいいではないか。中国が国益を損なうだけだ」と異を唱えたが、菅氏は「オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ」と述べた。前原氏はその後、当時の仙谷由人官房長官に「首相の指示は釈放だ」と報告した”

と、「菅首相から強い口調で釈放を指示された」後に、前原さんがとった行動も前原さんの証言として添えられています。

 しかしこの証言とて、実にいい加減なものです。

 この証言が真実だとすれば、「首相が外務大臣に法務省管轄の事案を指示し、その指示をうけた外務大臣が官房長官に報告」ということになります。なんだかよくわかりません。よしんば「首相の指示」があったとして、それが「外務大臣を経由して」官房長官にもたらされるというのも、役職の指揮命令系統から考えておかしな話ではありませんか。

 しかもこの証言に登場する仙石氏は物故者。死人に口なしで「そんな不可解な報告が当時の前原外務大臣から仙石官房長官にあったかどうか」を裏付けることはもはや叶いません。記事には、もう片方の当事者である菅直人元首相の証言も採録されています。その内容は「記憶にない」というもの。事案の登場人物のうち、バイネームでその身元が明らかなのは、仙石氏と菅直人氏のみ。そのうち一方はすでに亡くなっており、もう片方は「そんな記憶はない」と言っているのです。その状態で、「前原さんがこう言っているから、それが真実だ」と結論づけてしまうのは、あまりにも早計です。もし、「前原証言があるから、これは間違いのない事実だ」とするならば、「籠池さんが『安倍さんから百万円もらった』と証言しているんだから、安倍さんは総理も国会議員も辞めるべきだ」という理屈も成立するはずではありませんか。当事者証言が食い違い、確証のとれない物ばかりである以上、前原さんの証言は、どこまでいっても「言った言わない」の泥試合になるだけの代物でしかないのです。

 そして、前原さんはその泥試合を避けようとはしておられません。むしろ不思議なことに、前原さんからは、泥試合のままにしておこうという意図さえ透けて見えます。

◆政府答弁は菅政権も安倍政権も、「検察の判断」で全く同じ

 なにより不思議なのは、前原さんがこの証言を「産経新聞に答えている」という点でしょう。

 前原さんが、最近の村山富市元首相や武村正義元蔵相のように、好々爺然として、「わしの若い時に、こんなことがあったんじゃ…」と証言するなら、まだ理解もできます。村山氏や武村氏は政権中央の役職を歴任したものの、いまや政界を引退した立場。ある種の「歴史上の人物」としてメディアのインタビューに答えるのは、あって然るべきことです。

 しかし、前原さんの場合はそうはいきません。前原さんは歴とした現職の国会議員。しかも、野党の国会議員です。国会における野党議員の第一義的な職責は「政府の見解、政府の方針のおかしさを糺す」ところにあります。前原さんの胸にまだ国会議員バッチが光っている以上、前原さんはまず真っ先にこの職責を果たすべきではないでしょうか。

 尖閣中国船衝突事件の被疑者である中国人船長を釈放した件に関する政府見解・政府答弁は、極めて明解。「検察の判断で釈放したもの」で揺るぎません。

 本件に関する政府見解が答弁の形で明確に国会に示された最新の事例は(筆者の調べるかぎり)2013年11月12日に自民党の鈴木貴子衆議院議員が提出した質問主意書に対する回答として出された答弁書です(平成二十五年十一月十二日内閣衆質一八五第三八号)。

 この答弁書で、政府は、明確に

「ご指摘の事件の被疑者を釈放するとの方針は、検察当局において、法と証拠に基づいて決定されたものであり、当該方針の決定に関して、関係省庁との折衝および協議が行われたことはないと承知している」

と回答しています。

 安倍政権下で出された政府答弁でさえこの通りです。「検察の判断で釈放したのであって、検察以外の意向が検察の判断を左右した事実はない」という答弁を、菅直人、野田佳彦、安倍晋三と、内閣総理大臣が変わっても、政府は維持しつづけているのです。

 前原さんは、それが「おかしい」とおっしゃる。「総理の指示があったから釈放につながったのだ」と主張されるわけです。であれば、前原さんは、国会議員、しかも野党議員の職責として「政府答弁の内容は、事実に反しているぞ!」と正々堂々と国会で政府答弁の修正を求める質問をなすべきではありませんか。しかも前原さんは、「当時俺は、国交大臣であり直後に外務大臣に転じている。だから当事者だ」と自分の当事者性を、証言の真実性の担保にされておられるわけで、前原さんご当人こそが、政府答弁の変更を求める質問者に最適任ではありませんか。

 野党議員の告発によって歴代政権が維持してきた政府答弁が変更されることはめったにありません。あれば、大殊勲です。しかしなぜか前原さんはそうしようとしない。「泉下の仙石さんに申し訳ない」などと、センチメンタリズムを開陳するばかりです。

「堀江偽メール事件の真の戦犯」としての深い反省が、前原さんの国会活動を抑制的にしているのかもしれませんが、「政府見解を否定する材料をもっている」とメディアにはぺらぺら喋りながら国会で何も発言しない前原さんの行動は、「言った言わないの泥試合のままにしておこう」という意図があるとしか解しようがありません。

◆産経新聞でさえ見限った前原証言

 いずれにせよ、前原証言の内容は取るに足らないものでしかありません。前原さん自身が国会で政府に対し正々堂々と「政府答弁は事実に反す」と論戦を挑まない限り、今後も誰も相手しないでしょう。もし前原証言にいささかの信憑性や信頼に足る要素があるとすれば、これほどの大スクープを産経新聞以外の媒体が放置するはずがありません。しかし、現実は、あの証言を後追いするメディアは、産経新聞に止まっています。各社とも後追いする価値のない与太話と判断した結果でしょう。

 しかも、その産経新聞ですら、前原証言を掲載した翌日、前原証言を真っ向から否定する新証言を掲載しているのです。

 この記事は、釈放を決めた当事者である検察に取材したもの。この記事のなかで、産経新聞は

“検察内部では法相の指揮権発動を求め、政治主導で不起訴処分とする選択肢も検討されたが、政治介入に前例ができるとの理由で反対された。結果として検察当局は不起訴を選択した”

“「法と証拠」に基づく検察が政治的な背景を考慮するのは異例だが、当時の状況を知る検察関係者は「政権には尖閣を守るための情報も装備も覚悟もなく、国民世論も十分醸成されていなかった。国益を考えれば司法の見えのために大事な領土を捨てることはできなかった」と話している”

と、船長釈放にいたる検察の判断過程を紹介しています。

 この記事は「産経新聞が地の文で当時の背景等を紹介する部分」と「検察の証言部分」が渾然一体となった構成になっています。しかしそこは手練れの産経新聞。小学生程度の国語力があれば、「どこが産経が補足する状況説明文か」「どこが検察の証言部分か」を判別できるよう書き分けてくれています。そして、この記事にある「検察の証言部分」だけを読むと…… 当時の検察は、「民主党政権は能力がない。中国を相手にちゃんと喧嘩できないだろう」とまず判断し、その上で「検察から法務大臣に政治主導の指揮権発動を求める」という非常の選択肢をいったんは検討したものの、それは「政治介入の前例をつくる」と排し、検察内で完結する司法プロセスの一環として、船長の釈放を判断した…と解釈するほか、余地はありません。

 この記事にあるように、検察が「民主党政権は頼りない」(筆者もこの検察の見解には大いに賛同します)と総括したことには、「検察がそんな判断をするべきではない」との批判が大いに成立はするでしょう。しかしながら、その批判を加えたとしても、この産経新聞の記事から読み取れる「検察はあくまでも検察内部で判断を完結させた」という点はいささかも揺るぎません。なにせ、「検察内部では法相の指揮権発動を求め、政治主導で不起訴処分とする選択肢も検討されたが、政治介入に前例ができるとの理由で反対された。結果として検察当局は不起訴を選択した」とさえこの記事は書いているのです。法務大臣の指示さえ拒否している以上、前原証言が指摘する「菅首相の指示」などで検察の判断が動いたとは言えないでしょう。つまりは結果的に、産経新聞が報道する「検察証言」は、「検察当局において、法と証拠に基づいて決定されたものであり、当該方針の決定に関して、関係省庁との折衝および協議が行われたことはない」という政府答弁どおりの内容なのです。

 かくて、「あの船長の釈放は菅首相の指示だ」という前原証言を大々的に紹介した産経新聞でさえ、その翌日に、前原証言を否定することとなりました。もはや「菅首相の指示で釈放が決まった」と主張する人は、前原さんだけという状態になったのです。

◆問われるTwitterの「編集姿勢」

 あれほど大々的に「前原証言」を紹介した産経新聞が、その翌日に前原証言を否定する報道をしたことは、確かに珍事ではありますが、批判するに値しません。むしろ、「産経新聞、よくやった」と褒めるべきでしょう。産経新聞は、単に「時間差の両論併記」を行なったにすぎません。産経新聞は、ブロック紙・中日新聞より発行部数の劣る弱小地方紙になったとはいえ、「前原さんの主張は主張としてご紹介するが、その翌日には、違う見方も提示しますよ」という報道機関の矜持を、産経新聞は捨てなかったのです。しかも、産経新聞は、両論併記を徹底するために、「前原証言を打ち消す検察証言記事」の内容を、東京版・ネット版と、大阪版で微妙に変えてさえいます。

 大阪版の記事本文には、東京版・ネット版に存在する

“外相だった前原誠司衆院議員も、釈放が「菅首相の指示」だとしている”

の一文がごっそり抜けており、大阪版だけをみれば「前原証言など、はじめからなかったのだ」とさえ解釈できるような工夫さえ、産経新聞は施しているのです。ここまで「時間差の両論併記」を徹底した産経新聞の態度は、実に立派だと言うほかありません。

 ですが、問題は、産経新聞の報道を二次利用した、Twitterなど各種SNSニュースやネットニュースの対応です。

 Twitterでは、9月8日火曜日に産経新聞が前原証言記事をネット配信した直後から、当該産経新聞ネット版の記事が「トレンド入り」をする事態となりました。そしてこの記事は、その日いっぱい「トレンド入り」の状態を維持しつづけます。

 Twitterの「トレンド入り」がどのようなアルゴリズムで決定されるかは知る由もありません。しかし「トレンド」なのですから、当該記事URLの言及数や言及した投稿のRT数などで決定されるのだろうとは思います。

 下の画像は、前原証言記事がトレンド入りをしていた9月8日に採取したTwitterのスクリーンショットです。ご覧のように、前原証言記事がなぜ「トレンド」として採用されているかの説明が付されています。どうやら「尖閣衝突」という語句と「さま終了」なる語句が、「バズった」ため、「トレンド入り」したようです。

「さま終了」とは、この日、前原証言記事とほぼ時を同じくして報道されTwitterでも大きな話題となった、「テレビ朝日系で放送されているさまぁ〜ずの冠番組『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』が終了する」というニュースを指すと思われます。どうやらTwitterのアルゴリズムは、「関係ない語句」まで拾ってきてしまうようですね。だとすると、極めてあやふやなものだと言わざるを得ないでしょう。

 いずれにせよ、Twitterのアルゴリズムがあやふやであれなんであれ、前原証言記事がトレンド入りしたことは事実です。そして、トレンド入りを果たしたことで、あの与太話を与太話と見抜けない能力の低い人たちが多数出現し、あの記事を根拠にさまざまなtweetを投稿し、一時の無聊を慰め、愛国戦士ゴッコに血眼になる(そんな暇ありゃ、前原さんにメンション飛ばして『政府答弁を変更させうるのは、この当事者証言をなしうるお前しかいない。お前は籠池さんと違って、国会議員なんだから、言った言わないの泥試合で済ませるな。国会で質問しろ!』と奮起を促せばいいのにね)という事態が、あの日いっぱい繰り広げられたことも事実です。

 この事実そのものは、なんの問題もないでしょう。いかに愚かな「バズり」であれ「炎上」であれ、それそのものはTwitterの風物詩。

 しかし今回の場合、それだけではすまない事態が発生しているではありませんか。

 産経新聞は、上述のように、翌日に前原証言を完全否定する別の記事を掲載し、「時間差の両論併記」を行いました。産経新聞の読者、とりわけ、紙媒体の読者であれば、「前原証言」と「検察証言」の両方に接することが可能です。これが「公正」というものでしょう。地方紙に落ちぶれたとはいえ、報道機関の矜持を産経新聞が維持してくれたおかげで、産経新聞の読者は「多角的なパースペクティブ」(笑)を、手にすることができたのです。

 ですが、「前原証言」ニュースに、Twitterで触れた人はどうでしょう?あのニュースとの接点が、Twitterしかなかった人たちはどうでしょう?

 地方紙になってしまった産経新聞の発行部数が、ブロック紙である中日新聞の発行部数よりも少ないという現実を踏まえると、「あのニュースとの接点が、Twitterしかなかった人たち」の数の方が、紙媒体の産経新聞の読者数より、遥かに多いと類推されます。

 だとすると、これは大ごとです。

 産経新聞が紹介した「前原証言」は、産経新聞みずからの手によって「与太話」と切り捨てられました。産経新聞が、「前原証言」の後に報道している「検察証言」報道で、産経新聞が「検察は検察の判断だったと証言している」と報道している以上、そうとしか言いようがないのが現実です。そして、産経新聞の購読者は「産経新聞自身が前原証言を与太話と断じた」事実を認知(正常な知性があれば)することが可能です。

 しかし、産経新聞の購読者よりも遥かに大量にいる「前原証言との接点が、Twitterだけの人」には、これを認知する術がありません。翌日に産経新聞が報道した「検察証言記事」はTwitterで「トレンド入り」しませんでした。この記事は、まったく「バズら」なかったのです。「前原証言記事を知ったのは、前原証言記事がバズったから」という人は、翌日産経新聞が報道した「検察証言記事」がバズらなかった以上、「前原証言記事を否定する検察証言記事が存在する」ことさえ、そもそも認知できないのです。

 これは極めて危険だと言わざるを得ないのではないでしょうか。

 今回の事案は、産経新聞による「時間差の両論併記」です。与太話でしかない前原証言を紹介した翌日に、それを打ち消す検察証言を紹介することで、産経新聞は、「報道の公正さ」を保ったのです。しかしこの「公正さ」の恩恵に浴することができるのは、極々限られた、「産経新聞の購読者」という奇特な人たちだけ。それより遥かに大量に存在する「Twitterがニュースソースの人たち」は、前原さんの与太話だけが記憶に残る結果になっているではありませんか。そこには、「報道の公正さ」は微塵もありません。

 そして、Twitterが、あのあやふやなアルゴリズムで「トレンド入り」する記事を決定し続ける以上、今回発生したような「片方の報道だけが大々的に流布され、それを打ち消すもう片方の報道が流布されない」という極めて不公正(不公平ではありません。そして公正さこそ、公平さより重要な価値です)な事態は今後も発生し続けることになります。

 今回発生した「片方の報道だけが大々的に流布され、それを打ち消すもう片方の報道が流布されない」事案は、「堀江偽メール事件の首謀者・前原さんの与太話」と「それを打ち消す検察証言」という関係ですから、まだ「そんな与太話を信じる方が悪い」と言える余地はあります。

 しかしもしこれが、たとえば、産経新聞が昔やらかした「江沢民死亡」のような「世紀の大誤報」と「その訂正記事」の関係ならどうでしょう?あるいは、片方の報道がだれかの人権を大いに傷つける内容であり、もう片方の報道がその救済をする内容であれば、どうでしょう?

 こう考えると、いかに「アルゴリズムが決めること」であれ、この不公正さは放置してよいとは思えません。

◆問われる「バズり」偏重のニュース抽出

 これから、産経新聞のように購読者数が減っていく紙媒体はさらに増加していくはずです。ブロック紙・中日新聞の発行部数の足元にも及ばない産経新聞の今の姿は、あらゆる新聞・あらゆる紙媒体の将来の姿です。「もう、自分から、『下野なう』っていわなくてもいいね。発行部数的にも経営的にも下野しきってるもんね」なんて嫌味を、産経新聞に言える紙媒体は存在しないはずです。そしてその紙媒体減少の原因であり、また、減少していく紙媒体の代替である、ネットニュース、とりわけ、Twitterに代表されるSNS経由のニュースは、さらにその存在感を増していくでしょう。

 しかし、ネットニュースやSNS経由のニュースが、「ビュー数」「インプレッション数」「言及数」だけを根拠にしたあやふやなアルゴリズムで記事の取捨選択をしている限り、「報道の公正さ」を維持することは極めて困難にならざるを得ません。読者には「数が稼げる記事」だけが提供され続けるわけで、より扇情的より一面的な情報だけが、流布されてしまうことになります。

 TwitterをはじめとするSNSの運営サイド、そして、ネットニュースの配信元には、いまの「数だけの判断」から一歩進んで「報道の公正さ」を意識した、記事配信を心がけてもらいたいものです。

 そうでなければ、センセーショナリズムと扇情的な内容に目が眩んで一方的な情報に飛びついた前原誠司さんが以前やらかしてしまった「堀江偽メール事件」のような不幸な出来事が、社会のあちこちで多発する悲しい未来がやって来かねないのですから。

<文/菅野完>

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