グローバル資本主義が招く災厄と、行き着く4つの未来像。〈コモン〉を重視する社会への転換を<『人新世の「資本論」』著者・斎藤幸平氏>

グローバル資本主義が招く災厄と、行き着く4つの未来像。〈コモン〉を重視する社会への転換を<『人新世の「資本論」』著者・斎藤幸平氏>

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◆グルーバル資本主義が引き起こしたコロナ禍

―― 斎藤さんは新著『人新世の「資本論」』(集英社新書)で、新型コロナウイルスの感染拡大は「人新世」(ひとしんせい)の帰結だと指摘しています。そもそも「人新世」とは何でしょうか。

斎藤幸平氏(以下、斎藤):  人新世とは地質学の新しい時代区分として提唱されているものですが、近年、人文学や社会科学を含めた、様々な分野で注目を集めています。一見難しそうな言葉なのですが、意味するところは非常に単純で、地球の最新の地層は、人間の経済活動の痕跡が堆積したものだということです。

 実際、地球は人の手で大きく変えられています。地表はビルや工場、道路、農地、ダム、ゴミ捨て場などで埋め尽くされ、海洋にはプラスチックが大量に浮遊し、大気には二酸化炭素が増加している。

 要するに、人新世とは、手つかずの自然はもはや残っていない時代のことなのです。それは同時に、人類が地球規模での開発によって、地球全体に前代未聞のダメージを与えるようになった時代を指します。

 新型コロナウイルスの感染拡大はこうした、「人新世」の矛盾が、顕在化したものです。言い換えれば、パンデミックは、グローバル資本主義の産物です。

 例えば、グローバル・アグリビジネスは大規模農場経営を行うため、次々に森林を伐採しています。その際、自然の奥深くまで入っていけば、当然、未知のウイルスと接触する機会は増えていく。しかし、人の手で切り開かれたモノカルチャー経済は、自然の複雑な生態系とは異なり、ウイルスの抑制ができません。グローバル経済の人とモノの流れに、そのウイルスが乗っかれば、瞬く間にパンデミックに発展してしまうのです。このパンデミックは、拡張を続ける人間の経済活動抜きには考えられないのです。

 さらに、気候変動の原因も、無限の利潤獲得と成長をめざす資本主義です。グローバル資本主義は、大量の化石燃料を用いることなしには不可能だからです。

 しかも、気候変動による被害は、コロナ禍よりもはるかに甚大になると予測されています。たとえば、平均気温が2℃上昇すれば、サンゴが99%死滅すると言われていますが、そうなれば、漁業に大きな被害が出るでしょう。降雨パターンも変化し、干ばつや洪水によって農業が立ち行かなくなる地域も出てくる。当然、台風やハリケーンの巨大化は各地に大打撃を与えることになります。また、グリーンランドや南極などの氷が溶けて海面上昇が起これば、東京の江東区や墨田区などが、高潮で冠水するようになると言われています。世界では、食糧危機や海面上昇によって、億単位で移住を迫られる人が出てくると予測されています。

 新型コロナウイルスの場合は、ワクチンが開発されれば、ひとまず感染拡大を食い止められます。一方、気候変動にワクチンはありません。そのため、「気候変動と比べればコロナ禍はささやかなものだった」と言われる日が来たとしてもおかしくないのです。

◆グルーバル資本主義の暴走を止められなかったら……

―― コロナ禍が続き、気候変動が止められなかった場合、社会はどうなっていくのでしょうか。

斎藤: 下図は気候危機が避けられなかった場合に、予想される未来を分類したものですが、同じ分類はコロナ対応にもあてはまります。(縦軸は権力の強さ、横軸は平等性)。

 まず、@気候ファシズムは、経済活動を最優先し、超富裕層だけが特権的な恩恵を独占する社会です。コロナ禍でいえば、感染抑制の行動制限を行わず、貧困層など社会的弱者がどうなろうと、それは自己責任だと突き放す。リモートワークで自己防衛でき、高額の医療費を支払える富裕層だけが救われれば良いという発想です。アメリカやブラジルは@に分類できるでしょう。現在の日本もこれに近づいています。

 それに対して、@よりも平等性の強い、B気候毛沢東主義は、コロナ禍でいえば中国や欧州諸国の対応に近いものです。つまり、国家権力を強力に発動することで、全国民の健康を重視する一方、ウイルス抑制を理由に、移動や集会の自由などを制限する。ただ、これは香港やハンガリーで顕著なように、政府への抗議活動を抑圧するための名目として悪用され、民主主義を危機に陥れています。

 しかし、@やBの国家がコロナ禍や気候変動に対応できるという保証はどこにもありません。実際、安倍政権も、コロナ禍の二転三転する対応を批判され、退陣に追い込まれてしまいました。もし、このような統治に失敗した状態で、感染爆発が生じれば、人々は自分の身を守ろうと必死になり、社会はA野蛮状態に転落し、「万人の万人に対する闘争」が始まるでしょう。

 これは、決して誇張ではありません。日本でも、スーパーや薬局の買い溜めが生じ、店員に詰め寄る大勢の客がいました。アメリカでは、銃の売れ行きが伸び、ミシガン州では、ロックダウンに抗議する武装市民が州議会に押し寄せる騒動が起きました。さらに、危機が深まれば、生活をかけた闘争・競争はさらに増すでしょう。つまり、@の自己責任型競争社会は、秩序なき野蛮状態へと一気に転落していくのです。

 これは避けたい。だから、私たちが目指すべきはC脱成長コミュニズムです。強い国家に依存せず、人々が民主的な相互扶助の実践を展開する。コロナや気候変動を、奪い合う社会から分かち合う社会への転換点にすべきなのです。その際には、経済成長を追求することをやめ、公正で持続可能な社会を実現する。これが私たちの進むべき道です。

◆〈コモン〉から生まれるコミュニズムへ

―― ただ、脱成長に向かうというのは、難しい選択肢に思えます。

斎藤: もちろんです。ただ、今のままの経済成長戦略と技術楽観主義ができるのは、問題の先送りでしかありません。そのような先送りは将来の危機を悪化させるだけです。

 2050年までの脱炭素化に向けて、二酸化炭素排出量を今すぐ大幅に減らすためには、脱成長しか道はないのです。そして脱成長を実現するには、資本主義に緊急ブレーキをかけるしかない。けれども、現実を直視しないで、資本の側にとっての時間稼ぎに加担すれば、数十年後に待つのは、1%の超富裕層は別として、庶民が苦しむ分断型格差社会です。

―― しかし、コミュニズムとなれば、ソ連の失敗を繰り返すだけではないですか。

斎藤: ソ連を目指そうという話ではありません。私が重視するのは、〈コモン〉です。

 資本主義社会では、地球上のありとあらゆるものが、独占されて、商品化されていきます。元来、共有財産だった土地、水、種子などまで、商品化が進んでいる。かつて、なぜ多くのものが共有財産だったかと言えば、みんなが生きるのに必要だったからです。

 商品には、お金を持っている人しかアクセスできません。だから、あらゆる共有財産が解体され尽くした現代社会においては、実は人々の生活は不安定化し、欠乏が蔓延するようになっています。今後、気候変動によって、食糧や水、エネルギーの危機が起きる可能性が高いからこそ、もう一度脱商品化して、自分たちの手に取り戻そうというのが、〈コモン〉の発想です。

 電気、水、土地、住居、医療、インターネットなど、〈コモン〉の領域をどんどん広げていく。「今だけよければいい」、「自分だけよければいい」、「金もうけが優先だ」、そのような発想を捨て、相互扶助の社会に転換していく。その先にあるのが〈コモン〉型社会、つまり、コミュニズムです。そうすれば、@気候ファシズムやB気候毛沢東主義を抑制しながら、A野蛮状態にも陥らないような、危機の時代における民主的社会の可能性が拓けてくるのではないでしょうか。

 また逆に言えば、その脱成長コミュニズムの必要性が、コロナ禍によって理解されやすくなっている気がします。

◆電通もコンサルもいらない

―― 日本では政府がまともなコロナ対策をとらなかったため、地域によっては自治体や医療機関が自発的に感染拡大防止に向けて動き出しています。こうした動きを、脱成長コムュニズムと捉えてもいいのでしょうか。

斎藤: 方向性としてはそうだと思います。また、脱成長コミュニズムに向かう動きはコロナ禍以前から見られました。一例をあげると、2019年に世田谷区の保育園が突然倒産手続きを宣言し、閉園したのち、保育士たちの自主運営で再開にこぎつけた事例です。

 保育園の経営会社が利益を重視するあまり、経営状態の悪化を理由に、保育園を突然閉園してしまうということが各地で起こっていますが、それは子供たちやその保育者の生活を考えれば、突然の閉園など理不尽極まりないことです。そこで、世田谷区のこの園の保育士たちは介護・保育ユニオンの力を借りつつ、自主運営の道を選択したのです。これはまさに、先日急逝した人類学者デヴィッド・グレーバーの言う「ケア階級の叛逆」です。

 もちろんこうした自主運営は市場競争に弱いため、最終的には地方自治体や政府などの支援が必要です。しかし、環境や労働者を犠牲にする経済成長よりも、人々の生活を第一に据えた社会への動きが出てきている。その意味で、脱成長コムュニズムの萌芽が生まれつつあるということは、一つの希望だと思います。

―― 私たちはコロナ禍をきっかけに、経済成長ばかり追求するのではなく、価値観を転換していくべきだということですね。

斎藤: はい、今回のコロナ禍で明らかになったのは、保育や医療、介護など「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれる人たちが社会の繁栄にとってきわめて重要な存在だということです。それと同時に、電通のような広告会社やコンサルタント会社、投資銀行などが、社会にとって1ミリも役にも立たないことが露呈しました。

 この間、電通がやったことと言えば「Go To キャンペーン」の中抜きぐらいでしょう。オリンピック延期の埋め合わせをするために、人々がコロナ禍の中を旅行に出かけるなんて馬鹿げています。観光業不振で苦しむ人々を助ける方法は、ほかにもあるはずなのに、中抜きのための中抜きが行われる。そのような仕事は、社会にとって、無意味などころか、有害なのです。

 しかも、現在の資本主義の世の中では、社会的に重要な仕事ほど低賃金・長時間労働で、社会的価値のない仕事ほど高賃金というねじれた状況が生まれています。今後、社会を立て直していく際には、この評価をひっくり返し、エッセンシャル・ワーカー中心の社会を作っていく必要がある。

 こうした転換は、市場に任せていては不可能です。繰り返せば、2050年の脱炭素社会に向けた転換も、市場原理では不可能です。要するに、市場はまったく万能でない。これこそ、今回のパンデミックで私たちが学んだことではないでしょうか。だからこそ、これをラストチャンスだと思って、私たちは市場原理から脱却し、人間と自然の共存に向けた脱資本主義へと舵を切っていくことが必要なのです。

(聞き手・構成 中村友哉)

<提供元/月刊日本2020年10月号>

【月刊日本】

げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

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