クリエイターを「叩き買う」日本。邦画低迷の裏にある日本社会の縮図。東欧で活躍する映画監督・水谷江里氏に聞く

クリエイターを「叩き買う」日本。邦画低迷の裏にある日本社会の縮図。東欧で活躍する映画監督・水谷江里氏に聞く

撮影現場の水谷江里監督(左)

 是枝裕和などが国際的な映画祭で高く評価される一方で、ガラパゴス化が叫ばれる邦画界。アニメ作品などでも中国などへの人材流出が懸念されているが、邦画がかつてのような質と勢いを取り戻すには、いったい何が足りないのか。欧州最高峰の映画学校を卒業し、日本〜ポーランドで製作を続ける映画監督・水谷江里氏に話を聞いた。

◆突然、単身東欧へ移住

 水谷江里監督は多摩美術大学を卒業後、アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキーといった世界に名だたる監督を輩出しているウッチ映画大学に留学。最優秀ヨーロッパ学生映画賞に輝き、BBCでも配信されている『お願い、静かに』などの作品が高い評価を集めている。

 現在は河口湖を舞台にしたドキュメンタリー作品を製作中で、まさに世界を股にかけた活躍をしている彼女は、日本の映画界をどのように見ているのだろうか。異色にも思える経歴や欧州での生活、海外から見た日本映画界などについて話を聞いた。

??まずは、有名な監督が卒業しているとはいえ、いったい何故突然ポーランドに留学しようと思ったんですか?

水谷江里氏(以下、水谷):「実は消去法なんです。他国の映画学校も考えたのですが、物価などを考えた場合、当時はなかなか難しかったです。ウッチ映画大学は入試に現地語が必要なく、学費も他の場所よりも安かった。何より生活費が当時はかなり安く、その割には当時は世界的な評価が高い学校だったので、選びました」

??ウッチ映画大学は入学するのも卒業するのも大変だったんじゃないですか。

水谷:「当時、文化庁が行なっていた留学相談窓口に問い合わせて、どうすれば留学できるのか、入試科目についても調べました。ウッチ映画大学には、監督科、編集科、シナリオ科、カメラ科、アニメ科、プロデューサー科の他に、俳優科、写真科があり、それぞれ独自のカリキュラムがあります。入試ではポートフォリオが必要で、映像作品も提出しなければいけません。卒業するのも難しいですよ。今はコロナのせいで撮影できる場所も限られているので、もっと厳しいと思います。特に外国人の監督科はポーランド語の高い壁や学費などの問題もあり、卒業までたどり着けるのは入学時の半分。また、ストレートでの卒業もほとんどできません」

??勉強するだけでも大変なのに、縁もゆかりもない異国の地で暮らすのは大変ですよね……。

水谷:「ウッチ映画大学に入る前に、1年間現地でポーランド語を勉強したのですが、全然話せませんでしたね……。今でも言語には苦労しますが、話が通じればいいやと開き直るようにしています。留学した当初は、映画学校の友達と同じような話し方をしていたら、『それは汚い言葉だから、公共の場所とか子どもがいるところで話さないで!』と注意されたこともありました(笑)。ポーランドはスラングがスゴく多いので」

◆クリエイターを叩き買う日本の人件費

??治安など生活面はどうでしたか?

水谷:「今は首都のワルシャワに住んでいるのですが、留学したウッチの治安は悪かったですね。バス停に使用済みコンドームが掛けてあったり……。友達からも絶対に夜は外を出歩かないように言われました。知らない男性に突然、絡まれたりすることもありましたね」

??まるで違う文化なので、ストレスも多そうですが。

水谷:「ウマの合わないルームメイトなどに当たると、やはりツラかったですね。自己主張しないと自分が悪いと肯定することになる。最初は慣れなくて大変でした。ただ、今はポーランド語で言い返せるようにはなりましたが」

??現在は日本でも撮影を行っているそうですが、日本に戻ろうとは思いませんか?

水谷:「撮影のために帰国して、コロナの影響で予定よりも長く滞在したのですが、日本はストレスを抱えている人が多いですよね。仕事に関しては、物価に比べて人件費がスゴく低いなと感じます。

 日本からも何度か仕事のオファーを頂いたことがあるのですが、『そんな金額だったらマクドナルドかどこかで普通のバイトするよ!』というような額を提示されて驚きました。正直、自分の作りたいものを作ろうとしたときに日本の制約はスゴく厳しいと思いました。こう精神的にも、現実的にもいいものを作るための戦いではなく、それ以前の戦いをしなければならないんですよね」

◆「実践経験のない指導者」が指導……

??学校で教わる内容についてはどうでしょう?

水谷:「正直に言うと、自分が日本で教わっていたときはほぼ精神論でしたね。具体的なテクニックの話だったり、映画自体の基礎というよりは、豆知識であったり、『気合い!』みたいな(笑)。教えている人に商業ベースの教授がほとんどいなくて、アーティストであったり、評論家の人たちが多かったです」

??実践的な技術を教えられるのかという疑問は浮かびますよね。

水谷:「ウッチ映画大学にいたときに感じたのは、作る側の分析と評論する人の分析って明らかに違うんですよ。だから、日本で学んでいたときは、自分の納得いかないところがたくさんあって。ウッチでも映画史だったり、当然そういう評論的な授業はありました。でも、それはほとんどサブというか、教養の一部のような形で。日本の場合はそれをメインとして教えているから、実際に作るとなったときに、みんな『えっ……それはどうするの?』となりますよね」

??ウッチ映画大学に入ったとき、そういうハンディは感じましたか?

水谷:「私はウッチに行く前に数本撮っていたので、撮るプロセスなど基本的なことはわかっていました。スタッフと言葉が通じなくても、言葉の外で『あ、こいつはちゃんと映画のことがわかってるな』っていう認識のなかで会話してもらえるというか。

 ただ、そういった映画に必要なベーシックなことは誰かに教えてもらったわけじゃなくて、授業のなかでも『あっ、こういうことだったのね』と、自分のなかで名前もわからなかったことを理解していったというか、ウッチ映画大学がそれを形にしてくれたというか。日本でも精神的な面で強くなったという意味では学んだことは多かったですけど、映画監督になりたいと思ったときにストレートな道だったかというとそうじゃないかなっていう」

◆映画教育の問題は日本社会の縮図

??実際に撮るのと教えるのとでは話が違いますもんね。

水谷:「世界中そうなんですが、映画教育に関してはちゃんとした教科書や、いい本がたくさんあります。ただ、日本でそれを一から教わったかというとそんな気はしないなという。日本で教えてくれた人たちが、そういう理論をどれぐらい知っていたのか、実践していたのか、今の映画監督の人たちがそれにどれだけ触れているのはわかりません」

??少なくとも、学んでいる間はあまり感じられなかったと。

水谷:「質問に対して明確な答えが返ってこなくて、なんとなく『先生が言ってたことってこういうことなのかな』って、あとになって知るみたいな。経験としては悪いものではないですけど、効率的なことを考えると、日本社会の縮図というか。効率的な教え方をすれば、もしかしたら戦力になるかもしれない若者がいるはずなのに、遠回りさせることで挫折させてしまったり。

 教えたからといってできる道ではないので、難しいところではありますが、もっと体系的な教育の仕方をしてもいいんじゃないかと思います。じゃないとワールドスタンダードで学んでいる他の国の学生たちには勝てない。そこで勝てないということは世界のコンペに行っても勝てません」

??国の支援の仕方にも違いがあるのかもしれませんね。

水谷:「そもそも、映画を教えるという文化がないのが日本なのかなと思います。ウッチ映画大学は創立から70年以上経っていて、それだけ教えてきた歴史と伝統があります。私が通っていた多摩美術大学の映像研究学科は90年代半ばにできましたが、日芸などを除いて、それまで日本でちゃんと誰かが映画を教えるっていうノウハウができていなかったのかもしれません。現場で学んでいくのが当たり前だった世代があって、自主映画の世代が出てきて、そこから『じゃあ美大で教えようか』と。だから、『映画学部』がなくて『映像』という曖昧な定義の学部が多い印象です」

 かつて栄華を極めた邦画界が復権するには、いったい何が足りないのか?次回は国際映画祭の裏側について話を聞く。

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<取材・文/林 泰人>

【林泰人】

ライター・編集者。日本人の父、ポーランド人の母を持つ。日本語、英語、ポーランド語のトライリンガルで西武ライオンズファン

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