「ランボルギーニが欲しい」の一念で30代後半未経験業種に転職!「好き」がこじ開けた転職への道

「ランボルギーニが欲しい」の一念で30代後半未経験業種に転職!「好き」がこじ開けた転職への道

スワロフスキーをびっしりと貼り付けたランボルギーニと、粟田勇紀さん

 中高年になると転職市場において不利になり、希望した職種への転職が難しくなるもの。それが未経験なら尚の事だろう。しかし、30代後半で未経験の、しかも自分が憧れていた業界への転職に成功した男性は、成功の秘訣をこう分析する。

◆「ランボルギーニが欲しい」一念で転職をした男

 近年、キャリアアップの一環として転職をする人も珍しくない時代になった。しかし、転職市場において、20代後半の人と30代後半の人とでは、転職の難易度は大きく変わるもの。年齢が上がるほどハードルも上がっていくのが一般的だ。

 そんな状況にも関わらず、30代後半で転職を決意し、見事、憧れの業界への再就職を成功させた人がいる。

 兵庫県にある大手製薬会社の製造部門で働いていた粟田勇紀さん(43歳)だ。粟田さんは製薬会社勤務時代、職場の環境や給与、業務内容などにはなんの不満もなかったが、ある“夢”があったという。

「30代の頃から『ランボルギーニ』が大好きで、『いつかは自分のランボルギーニを手に入れたい』という夢がありました。でも、製薬会社勤めで貰える給料では、ランボルギーニを買うことは難しいだろう、と思っていて。そんなとき、工場が兵庫から佐賀に移転することになったのです」

 仕事に対する不満はなかったとはいえ、佐賀への転勤は気が進まなかった粟田さん。さらにそのタイミングで会社が「転身支援制度」という、満額の退職金と年収1年分を払って転職を支援してくれる制度を打ち出したことで、粟田さんの心は決まった。

「次の仕事も、やりたいことも決まっていませんでしたが、『ランボルギーニが買える仕事に就く!』という気持ちだけを持って、会社を辞めました。工場の移転と転身支援制度のお陰で踏ん切りがついた感じですね」

◆趣味のミニカーカスタムを、今度は実車で行うことに

 こうして粟田さんは大金を手に退職、転職活動を始めた。一方、長年勤めた職場を離れ、自分の時間ができたことで、趣味にも没頭できたという。趣味の活動を続けていくなかで、今の仕事につながる転機が訪れたのだ。

「ランボルギーニのカスタムで有名な諸星さんという人がいるのですが、僕は昔から彼の大ファンでした。転職活動期間、趣味で、ランボルギーニのミニカーにスワロフスキーを貼っていたのです。諸星さんはスワロフスキーがお好きなので、プレゼントしたら喜んでもらえるかな、と思って。そして、その装飾したミニカーを届けに、東京へ向かいました」

 粟田さんにこれまでスワロフスキーを扱った経験はなかったが、生来の手先の器用さで10台のミニカーを変身させた。そして、そのミニカーを見た諸星さんから、ある依頼をされたという。

「『自分のランボルギーニにもスワロフスキーを貼ってほしい』と頼まれました。ミニカーではなく、実車ですよ! 緊張しましたがそれ以上に嬉しくて、二つ返事で了承しました。でも、これが本当に大変で…」

 依頼を受けた時期はちょうど真冬。極寒のガレージに腰を据え、右も左も分からないなか、毎日ランボルギーニにスワロフスキーを貼り続けた。

「スワロを貼ったランボルギーニを展示するイベントの日は決まっていたので、間に合わせるために必死でした。でも、当初は接着剤の適当な量も分からないから、貼った先から落ちてきたりして、本当に苦労しましたよ。正直、人生で一番苦労したことかもしれません。それ故、完成したときの達成感は大きかったですね。これは製薬会社で薬を作っていた時には味わえない感覚でした」

◆腕前と熱意が認められ、新事業部の部長に任命される

 こうして、無茶ともいえる依頼を見事こなし、納期までに7万粒のスワロフスキーをランボルギーニに貼り付けた粟田さん。

 その仕事ぶりと、ランボルギーニのカスタムにかける熱意に感動した諸星さんに、「うちのカスタムカーショップで、スワロを貼るアート事業を始めたらどう?」という話を持ちかけられる。

「まさかスワロを扱うことが仕事になるとは、思ってもいませんでしたね。しかも、お店にアート事業部門があるわけではなかったので、完全に新事業。不安もありましたが、大好きなランボルギーニに関わる仕事ができるということ、そしてなにより、自分の熱意を信じて新事業を任せてもらえたことが嬉しくて、『最高!』と思った気持ちのほうが強かったです。今では、覚悟を決めて兵庫から出てきて良かったと思っています」

 現在はランボルギーニを始めとする車はもちろん、スマホケースやアイコスケースなどにも装飾を施しているという。生まれ持った手先の器用さはもちろんだが、ランボルギーニに対する情熱と類稀な行動力が、好きなことを仕事に繋げられた要因だろう。

「確かに、熱意は人よりもあるかもしれません。今の会社にお世話になると決まった時、会社から一番近い家を借りようと思ったのも、仕事への熱意からです。職場の近所であればあるほど、依頼が入ったときに素早く対応できますからね。会社が入っているビルの上はマンションになっているのですが、自分の意思で、そのマンションに部屋を借りています。それぐらいの熱意や気合があれば、好きなことが仕事になると思いますよ」

◆大きな夢の実現か、恋人との結婚か……突きつけられる現実

 順風満帆なように見える粟田さんだが、1つだけ気がかりがあると話す。兵庫にいる彼女の存在だ。

「東京と兵庫で遠距離恋愛になってしまい、我慢させてばかりで申し訳ない気持ちです。最初は、『東京で新しい仕事を頑張って!』と応援してくれていたのですが、今では『兵庫に帰ってきてほしい』と言われます。近々結婚について話す予定ですが、どうなることやら…」

 彼女の訴えは胸に響くものの、粟田さんの気持ちは、自身の“夢”を叶えたいという方に傾いている。

「実は9月の頭に、ランボルギーニの実車全体に100万粒のスワロフスキーを貼るという作業を終えたんです。総製作期間は4カ月。実車全体にスワロフスキーを貼ることはかねてからの夢だったので、達成感は一入でした。そして、その夢が叶ったら、今度は別の夢ができたんです。それは、ルイ・ヴィトンのショーケースと、世界にも5台程度しか存在しない“ランボルギーニ・ヴェネーノ”の実車全体に、スワロを貼るという夢です。もちろん、自分のランボルギーニを購入する夢も叶えたいと思っていますが、彼女との今後を考えると、折り合いをつけるのが難しいですね…」

 転職が困難になるといわれる30代後半でも、持ち前の熱意でやりがいのある仕事に再就職できた粟田さん。新たな夢も、愛妻も、もちろんランボルギーニも、手に入れられることを祈るばかりだ。

<取材・文:鶉野珠子>

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