オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし

オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし

上田駅前の真田幸村騎馬像。偽史に頼らずともよさそうな環境だが……

 長野県上田市には「太陽と大地の聖地」があった! 熊本県人吉市は風水で設計された都市! 福岡県赤村に大山古墳(仁徳陵)を越える大きさの卑弥呼の墓が!――――。

 学研のミステリー雑誌『ムー』が好んで扱いそうなトピックスだ。娯楽雑誌やその手のムックで「嘘かマコトか」と取り上げるのなら罪がない。でも、こんなことを行政や関連組織が「これが我が町の真実の歴史」と宣伝を始めたら。それは完全にトンデモ、いや、歴史修正主義である。

 そんな「町おこし」が全国各地に増えている……。

◆文化庁が認めてしまった上田市のトンデモ聖地

 文化庁が行っている「日本遺産」という事業がある。2015年から始まった制度で各地の文化財をテーマごとにまとめて、従来とは違う形で発信して観光にも役立てようというものだ。文化財そのものの価値を認定するのではなく文化財を元に各地の自治体などが考案した「ストーリー」を認定するというものだ。

 現在までに認定された日本遺産は104ある。

 鹿児島県内に残る武家屋敷をベースにした「薩摩の武士が生きた町〜武家屋敷群「麓」を歩く〜」。古くからの巡礼路を利用した「1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜」といったものがある。

 認定にあたっては「歴史的経緯や地域の風土に根ざし世代を超えて受け継がれている伝承、風習等を踏まえたストーリーであること」などの条件がある。

 ところが、今年6月に新たに認められた日本遺産に奇妙なものがあった。長野県上田市が応募した「レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」〜龍と生きるまち信州上田・塩田平〜」である。

https://youtu.be/5v73fi3XhHg

 この日本遺産を説明する上田市の公式サイトには、こんな文章が並んでいる。

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山のふもとにある信州最古の温泉といわれる別所温泉、「国土・大地」を御神体とする「生島足島神社」、「大日如来・太陽」を安置する「信濃国分寺」は、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいる。

生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。

生島足島神社から、別所温泉までの軌道は、不思議なことにレイラインと一致する。

そして、駅をつなぐ線路は、空からみると龍のかたちをしていると言われる。

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 レイライン(ley line)とは1921年にイギリス人のアルフレッド・ワトキンスが提唱して以来、世界で信奉者の絶えない仮説である。古代の遺跡群や信仰の対象はなんらかの意図をもって直線で結ばれるようにつくられているというものだ。日本では島根県の出雲大社から千葉県の玉前神社まで春分と秋分の太陽の動きに沿って直線に結ばれているとか、近畿地方の古くからの神社を結ぶと五芒星ができるとするものだ。

 もちろん、学術的な裏付けはなにもない。なにしろ任意の神社仏閣に線を引けばいくらでもこじつけができる。だいいち、世界のどこにも、直線で結ぶ意図を持って神社仏閣をつくったというような歴史史料は発見されていないのである。

 あくまで「古代のミステリー」と称して楽しむならば問題はない。ところが、これが文化財の魅力を発信するハズの日本遺産に認定。それも上田市での担当部署は、地域の歴史や文化財の知識を市民に知らせる生涯学習・文化財課の文化財保護担当である。

 もしかして、上田市には世界初のレイラインを裏付ける史料が発見されているのか?

◆上田市の担当者を直撃すると……

 取材に応じた上田市の担当者に、裏付けとなる史料の存在を訊ねたところ、いきなり口ごもった。何度も何度も「弱いところはある」と繰り返すのだ。こちらは、神社仏閣がレイラインで結ばれていることや、線路が空からみると龍のかたちをしていることを書いてある文献を訊ねているのに「弱いところはある」と繰り返すばかり。何度も同じ質問を繰り返してようやく担当者は「別所温泉のサイトです」といった。

 別所温泉は上田市を代表する温泉地。その公式サイトには「太陽と大地の聖地温泉」という文字が躍る。サイト内には別所温泉は「太陽の力と大地の力が一点に集約される」などなどの説明が書かれている。担当者は、このサイトにも登場する聖地研究家を名乗る内田一成なる人物の主張が上田市の日本遺産の説明の元ネタだという。この内田という人物、自身の主催するサイトでもレイラインについて語っているが、学問的な裏付けはどこにもなく本人の感想を語っているだけなのはいうまでもない。

 一通り説明を聞いたあと、上田市の担当者に改めて尋ねた。

「つまり、歴史史料はなにもないのですね?」

「……はい」

 ようやく根拠などなにもないことを認めた担当者だが、必死にこうつけくわえた。

「たしかにこれまでも、おしかりは頂いています。ですので、これから補充の調査を行う予定なんです……」

◆「言い伝えがある」と言い張る人吉の風水都市

 今年、水害で甚大な被害を受けた熊本県の人吉市など球磨川流域。先日、復興途上の地域を取材に出かけた際に、地元の人から「最近は、こんな町おこしがあるんですよ」と、少し困った顔で教えられた。

 人吉市をはじめとする球磨地域の自治体が共同で運営する観光目的のオフィシャルブランド「人吉・球磨 風水・祈りの浄化町」である。

 人吉球磨観光地域づくり協議会が運営するこのサイトの主張を端的に記すと人吉・球磨地域は三日月型の盆地で、鎌倉時代以降700年にわたって、この地を統治した相良氏は気が溜まるに最適な盆地に結界を設け、聖域とすることでさらに強く気を取り込み、人吉・球磨地方の安定を確保しようとしたのだという。

 実際、人吉には初代・相良長頼が人吉城の基礎を造った際に発見したといわれる三日月石が霊石として現在まで伝わっている。また、菩提寺の建立にあたって鬼門の位置を考えて設計したことはわかる。

 ところが、サイトの記述はあらぬ方向へ進んでいく。

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この地を語るにあたってのキーワードとしては大きく2つ、風水と三日月の気(エネルギー)です。

相良家は気が溜まるこの盆地において、天(三日月)からの気を中心部である三日月城に集中させるように城下町の設計を進めていったのです。

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 相良家が一定の方針をもって城下町を設計したことは間違いないが、気を集中させるようにしたとか、風水に基づいているというとはどういうことなのか。人吉球磨観光地域づくり協議会の担当者に取材したところ、そうしたことを記した文献はないとした上で、こう語るのだ。

「寺の配置とか状況証拠はありますし。誰が言い出したかわからないけれど、言い伝えはあります」

 確かに上記サイトでも相良家39代当主・相良知重が「風水思想に基づいて配置されているとは代々聞いておりました」というコメントを寄せている。しかし、人吉の人に聞くとみんなこういうのだ。

「そんな言い伝えは、聞いたことありませんよ」

 代々の口伝とでもいわれれば、もはや裏付けは不可能であろう。いや、風水を別にしても「風水・祈りの浄化町」として、あたかも相良氏が長らく統治した平和な土地だったかのような演出をしていることそのものが、歴史の隠蔽といえる。鎌倉時代に地頭に任ぜられて以来、明治時代まで存続した相良家は、極めてまれな大名家である。しかし、それゆえに一門や代々の家臣が多く江戸時代になっても藩内で争乱は絶えず、藩主の暗殺事件まで起こっている。そうした歴史的事実に上記のサイトはまったく触れてはいない。

◆単なる山を「卑弥呼の墓」と自治体首長が猛アピール

 11月1日「邪馬台国は福岡・筑豊の田川地域にあった」と福岡県田川市など地元8市町村の首長が揃って宣言し誕生したのが、田川市など筑豊地域の地域共通のシンボル「卑弥呼連邦」だ。

 その裏付けとしてあげられているのが、福岡県赤村にある「全長約450メートルの前方後円墳に見える地形」である。これを参加した自治体では大阪府堺市の大山古墳(仁徳陵)に匹敵する(大山古墳は約525メートル)規模の古墳だとして「卑弥呼の墓ではないか」と

しているのである。

 これを伝える『西日本新聞』2020年11月2日付朝刊の記事はこう記す。

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この古墳説に地元の文化財担当者は厳しい見方を示すが、「細かいことは言わないで。古代史はロマンですから」と関係者。

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 実際「卑弥呼の墓だ」と盛り上がる人はいるものの、その証拠は古墳とされる地形から須恵器が拾われていること。須恵器は古墳時代から広く使われた土器で、かつて集落や製造する窯があったような場所では、現代でも土の上に当たり前に転がっているもの。つまり、須恵器が発見されただけで単なる山を古墳、それも超巨大古墳であると主張しているように見える。

 地元の文化財関係者に訊ねたところ、言葉を選びながらも「それほどの規模の古墳があれば、周辺地域に関連する古墳や遺跡があるはずなのですが、そうしたものはありません」というのであった……。

「単なる山」という批判に当の卑弥呼連邦は、どう答えるのか。連絡先になっている田川広域観光協会は、こう答えた。

「西日本新聞の記事にもありましたが――厳しいです。地元にそう主張するグループがありまして……発掘調査の予定? まったくありませんよ」

 なにか言いたげだがいえない。そんな印象が残った。

◆インチキ歴史を増長させる「しがらみ」と「忖度」

 学問的には裏付けのない、怪しげどころか「偽史」にも値しないインチキな歴史が、あたかも事実のように喧伝される。それが幾度も繰り返されるのは、誰もが属するコミュニティのしがらみと忖度から逃れられないからである。

 昨年、諏訪大社公認ガイドを名乗る谷澤晴一という人物のことを知った。長野県茅野市の行政関連団体である、ちの観光まちづくり推進機構のサイトでは、この人物の実施するツアーを紹介しているのだが、これは地元からも批判を浴びた。諏訪大社に公認ガイドなる制度は存在しないのである。そのガイドする内容も歴史的事実を無視した持論が目立つため(移築された奉安殿の菊の紋を材料に、天皇家と諏訪信仰の関係を語ったという)、地元の研究者が諏訪大社に問い合わせをしたが「言及することは避けたい」とのことだったという。狭い地域の中でなにか波風を立てたいという意図だったようだ。この人物、研究者からの批判におそれをなしたのか「公認」を外したものの、いまだにガイドを行っているという。

 前述の上田市の担当者の言葉に見られるように、自治体や地元の観光団体が観光客誘致や町おこしのために眉唾な「偽史」を盛り上げていることに「嘘だ」と真っ向から反対することは、狭い地域の中ではなかなか難しい。ことにコロナ禍で瀕死の観光地を抱える地域では、より声を挙げることは困難だろう。ただ、嘘も繰り返せば真実になる。

 日本歴史教科書が書き換えを余儀なくされた旧石器捏造事件。これは一人の功名心にかられた人物の仕業のようにみられるが、実際は違う。疑問を持つ研究者が声を挙げることが出来なかったのは、旧石器研究の権威であった芹沢長介とその弟子で文化庁で文化財行政に権威を振るっていた岡村道雄が擁護を続けていたからである。芹沢はあまり語らずに死んだが、岡村は異動となった後に『旧石器遺跡捏造事件』(山川出版社 2010年)を上梓し責任回避と自己弁護に励んだ。

 インチキ歴史にハマる人や、糧を得るためにインチキでも人が呼べるなら、地域が盛り上がるならと必死な人々を嗤い、ただ単に叩く気にはなれない。ただ、こうした小さな「歴史改ざん」を、まっとうな歴史研究者が「取るに足らぬこと」と傍観したり関わりを回避し続けるとしたら、その結果はいま日本が侵されている「歴史修正主義」の病は加速していくのではないだろうか。

<取材・文・撮影/昼間たかし>

  

【昼間たかし】

ひるまたかし●Twitter ID:@quadrumviro。

ルポライター。1975年岡山県に生まれる。県立金川高等学校を卒業後、上京。立正大学文学部史学科卒業。東京大学情報学環教育部修了。ルポライターとして様々な媒体に寄稿、取材を続ける。政治からエロ、東京都条例によるマンガ・アニメ・性表現規制問題を長く取材する

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