コロナ禍で妻が出産! そのとき父親は? 妻の初産とコロナ禍が重なった父親の記録

コロナ禍で妻が出産! そのとき父親は? 妻の初産とコロナ禍が重なった父親の記録

画像はイメージ(adobe stock)

 コロナ禍で、生活のあらゆる場面に制限がかかるようになりました。それは、妊娠や出産にも大きな影響を与えています。筆者の妻は、第3波がまさに拡大し始めていた10月の終わりに、男児を出産しました。

 どれだけ続くかわからないコロナの中で、今後も妊娠や出産を迎える方もいらっしゃり、不安もあるかと思います。わずかにでも、そうした方々の参考になればと思い、体験記を書くことにしました。

◆楽観ができなくなってきた

 妻の妊娠がわかったのは、今年の3月半ばのこと。当時は、コロナがまさに日本で感染を広げはじめた頃でした。世間には「大変なことになってきた」という雰囲気がありましたが、同時に、各所で「コロナが明けたら」といったようなやりとりが飛び交い、数ヶ月で終息するだろうという、どこか楽観的な見方もあったように記憶しています。

 私たち夫婦も例に漏れず「今、出産の人は大変だろうね」などと、対岸の火事のように考えていました。しかし、その後の感染状況はご存知の通りで、私たちもコロナ禍での出産をすることになったのです。

◆準備が一緒にできない

 コロナ禍でなければ、妊婦の月ごとの検診などを夫婦で受診できるようですが、それも叶わず。担当医との会話の中で出てくるような質問をやり取りすることができません。

 さらには「マタニティクラス」と言われる、妊娠中の過ごし方や赤ちゃんのお世話の仕方についての講習会も中止されており、説明の動画に接続できるQRコードが渡されただけでした。もちろん、その動画も見ましたが、初産である私たち夫婦は、リアルにイメージすることができませんでした。その他にも、父親への沐浴指導も中止されており、私はイラストの描かれた冊子を眺めて想像する程度に留まったのです。

◆実感のわかない出産当日

 そして、入院当日。平時であれば、夫婦で期待は分かち合いながら増幅させ、不安があれば励まし合いながら軽減させるはずですが、そうはいきませんでした。大荷物を持って病院までは付き添いましたが、本人以外は部屋に入ることができないため、私はそのまま帰路に着いたのです。

 妻は、選択的帝王切開という方法での出産だったので、翌日その手術で出産となることがわかっていました。明日、父になるというのに、その夜は実感も特にすることもなく、手持ち無沙汰に過ごしました。

 翌日は「前の人が終わり次第」ということだったため、何時に手術が始まるか分からずに、相変わらずふわふわした時間を過ごしていると、妻から「行ってきまーす」というLINE。その時に気が付いたのですが、出産したことは誰から連絡が来るのか聞かされていなかったのです。妻からLINEがくるのか、それとも担当医から電話がくるのか。そもそも妊娠期間中、私は担当医に1度会っただけで助産師さんや看護婦さんは顔も名前も知りません。予定の時間をすぎてもピクリともしない私のスマートフォン。やけに不安が募ります。そんな時、病院からの電話がかかってきて担当医の声で「母子ともに問題ありません」と伝えられました。大いにホッとしましたが、正直にいって、実感や感動は特になかったのも事実。しかも、この実感のないお預け状態が、およそ1週間つづくことになるのです。

◆生まれたての我が子に会えない

 生まれた日の夜に、妻からは子供の写真が送られて来ましたが、スマートフォンの画面を通して見る赤ん坊に、まだなんの感慨も得られないでいました。

 それから退院までの約1週間は、2日に一度のペースで妻の洗濯物を交換しにいくタイミングで5分ほど会う程度。もちろん我が子は、面会者が入れないエリアにいて会うことができないため、自分に子供ができたということが未だ夢うつつ。

 妻とは隔日で5分ばかりの逢瀬、自宅に帰っても、特にやることはなく必要以上に掃除をしたり、ベビーベッドを組み立てるなどしながら、時間を潰すようにフワフワとした日々を過ごしました。なお、現在は第3波の拡大によって制限がさらに厳しさを増しており、洗濯物なども配送を介してのやりとりとりとなっており、一目さえ家族に会うことができない状況だそうです。

◆体験が不足したまま実戦に突入

 出産からおよそ一週間後、妻と子供が退院する日です。私は面会者が入れるギリギリのエリアで、二人が出てくるのを待ちました。数分後、子供を抱えた妻がやってきて、誕生から一週間経ってようやく子供に初対面を果たしたのでした。

 このタイミングで感動に襲われるかとも思っていましたが、妻はすでに何日も子どもと時間を共にしており慣れた様子。さらに、生まれたという事実は数日前に情報としてしっかり入っているので、安心はそのタイミングで終わっています。そうしたことから、雰囲気的にも事実を受け入れる順番としても、感涙するようなカタルシスを感じることは、寂しいことにありませんでした。

 その瞬間から、父としての育児がスタートしたわけですが、「体験」が決定的に不足していることを痛感させられることになりました。抱っこの仕方からオムツの替え方など、すべてにおいて全くの初めてなのです。

 特に困惑したのは、赤ん坊を入浴させる沐浴。マタニティクラスが実施されていれば、人形を使って看護師さんの指導のもと擬似的な体験ができますが、筆者は冊子を見ただけでぶっつけ本番となりました。しかも、失敗すれば我が子が溺死してしまうかもしれないスリリングさは、練習の必要性をヒシヒシと感じさせられました。

◆コロナ禍での出産を経験して

 まだ収束の見えない、コロナの感染状況。一刻も早く平常に戻ることを願ってやみませんが、新しい命は日々生まれています。特に初産の方の父親になる方は、子供に会えないことと圧倒的な体験不足によるぶっつけ本番への戸惑いへの覚悟が必要です。少なくとも、沐浴に関しては動画サイトなどにアップされている動画も含めてできる限り見て回り、不足している擬似的な体験を、少しでも補填しておくことをお勧めします。

 また、本来であれば家族との同時共鳴も手伝って得られるカタルシスが得られなかったことが、この先の育児に影響してくる可能性があると感じます。こうした状況での出産でなければ、育児で辛い時でも「あの時の感動」を思い出し、初心にかえることもあるといいます。

 しかし、その経験を持たない、私も含めた「コロナ禍の父」は、もしかするとネグレクトや虐待へのハードルが低くなってしまうかもしれません。この大変な中での出産を経験した、私たちは少しでもそれに自覚的であるべきだと考えます。

 不安の多い出産のうえにコロナが重なり、なかなか安心はできません。それでも、この記事が少しでも、コロナ禍に生まれてくる子どもの両親にとって役立つことを願います。

<文/Mr.tsubaking>

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