無頼者たちが貫いたものは何だったのか? アウトローから見た激動の昭和史。『無頼』井筒和幸監督インタビュー

無頼者たちが貫いたものは何だったのか? アウトローから見た激動の昭和史。『無頼』井筒和幸監督インタビュー

井筒和幸監督

 敗戦直後の動乱期からバブル崩壊後の平成期までを1人のヤクザの人生を通して描いた井筒和幸監督作品『無頼』が全国で公開中です。

 今回は前回に引き続き、ヤクザ社会を通して見た昭和史を描きたかったという井筒和幸監督に、アウトローを描く理由や監督に至るまでの道、そして映画に寄せる思いなどについて聞きました。

◆時代に翻弄されたヤクザ

――暴力団対策法ができて、井藤組は世の中の端に追いやられていきますね。

井筒:今の社会では、一度暴力団や「反社会的勢力」の烙印を押されれば、銀行口座を作ることも家を借りることも難しくなります。「やくざになった者は生きるな」というのが暴対法だと思います。「生きていてもいいけれども、悪いことはしてはダメ」というのとは違う。

 ヤクザを卒業したいと思っても、すぐに堅気(一般人)にはなれません。少なくとも最低限の人権、自由は認めないと。それから、一般社会に復帰するのであれば、ヤクザ時代からやっていた合法の仕事はできるようにしてあげないといけないですよね。そういう意味を込めて暴対法を揶揄したシーンもあります。

――井藤が僧侶に心を開いている様子も描かれます。

井筒:ヤクザもお葬式をあげるので檀家になっています。そして、お坊さんとヤクザは意外と相性がいいんですよ。地獄もたくさん経験しているし、いろんな経験をして悟りを開きたくなって仏門に入った人もいる。もちろん、ヤクザから仏門に入った人もいます。最初から聖人君子はいないでしょ。昔のお坊さんはやんちゃ坊主が多くて、お寺さんに預けられてお坊さんになったという人もいます。あの役はそういう設定で、井藤とはお互いに通ずるところがあるんですね。

――終盤、活動家の中野と新聞記者がやり取りをするシーンがあります。大衆、政治、マスコミの三者をリアルに表現したセリフだと思いました。

井筒:いろんな資料を引っ張ってきて、脚本家チームと相談して作りました。セリフにもありますが、本気で国の実情を憂いている中野からすれば、やはり「民衆は鵺(ぬえ)みたいなもの」なんです。中野には自分勝手なことばかり言っている衆愚だと映ります。民主主義だ、平等だと言いながら企業も個人も自分のことしか考えない。お金になりそうなことばかりに目を奪われて躍起になっていると。

◆アウトローを描く理由

――今回の作品も然り、デビュー作『ガキ帝国』(‘81)、『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』(‘96)、『パッチギ!』(‘05)などアウトローを描いてきたのはご自分と似ているからとのことでした。

井筒:僕も広義で言えば「はみ出し者」なんです。進学校(県立奈良高校)にいましたが、大学へは行かずに、映画の道に入りました。レールを外されたというよりは自分からレールを降りたんです。こんなレールに乗ったら、行くところは収容所しかないという気分はありましたね。「社会」という名の収容所に入りたくない。どうして会社に身体と時間を売らなければならないのかと。

 当時の仲間には、途中で社会からドロップアウトして、ヨーロッパに行ったり、アメリカに行ったりした人もいます。ただ、自分は最初からレールから降りたものの海外に行こうという気はなく、田舎でじっとしてました。たまに東京に流れてきたりしてね。そういう意味でははみ出し者で流れ者なんです。

――22歳の時に『行く行くマイトガイ・性春の悶々』(75)を初めて自主製作しています。池田内閣の「所得倍増計画」を伝えるラジオニュースが流れるオープニングですが、本作と同じくやはり世相を切り取ろうとしていますね。

井筒:あの頃のピンク映画は、エッチなシーンが5、6回あれば何をやっても良かったんです。寄るべなき流れ者、無頼者としては、作ったんだし、作品を映画館でかけてもらわないと目的が達成できない。なので、先輩たちを頼って、配給会社に買ってもらいました。それが東京の週刊誌で取り上げられたりして映画監督としての人生につながります。

――『行く行くマイトガイ−』も本作『無頼』も最後は「次に向かう場所」を目指すところで終わりますね。

井筒:『無頼』の井藤は、欲の限りをやって気がついたら、自分が淋しくなったんです。何とか生きてきたけど、残してきたものは何だったんだろうと。姐さん(妻の佳奈)から昔の写真を見せられたりした時に「何を置いてきたのかな」とふと思ったんでしょうか。抗争で仲間や子分が死んでいくと淋しくなるんだね。そこで、今度は何か貧しい人のために出来ることはないのかな、と考えたんです。

◆実写に寄せる思い

――映画監督のみならず、映画評論家やテレビのコメンテ―タ―など幅広い分野で活躍されてきました。

井筒:「ある時は映画監督」と周りにそう思われてきたけど、僕は初めっから映画屋なんです。ただ、映画監督を「職業」と思ったことはないです。創りたいものだけ創ってきました。高校生ぐらいから考えていたのは、自分の能力の「買ってもらいがいのあること」をしようということです。自分の好きなことをやって、出来上がったものを買ってもらえばいい。その時々に評価額が付くのは仕方のないこと。それは評価として受け入れて、とにかくやりたいことをやって生きて行こうと思ってました。

――コロナ禍が続いていて実写の作品が撮れなくなり、今後はアニメ作品が増えるのではないかという声もあります。

井筒:映画は実写でなくてはならないと思ってます。僕らは実写のテレビ映画番組の第一世代なんです。幼年期に実写の『月光仮面』(‘58)、『鉄腕アトム』(‘59)から始まって、クリント・イーストウッドの『ローハイド』(‘59)やスティーブ・マックイーンの『拳銃無宿』(‘58)などのアメリカのテレビ映画を何百本も浴びるように見ました。

 中でも6,7歳の時に出会った“弾丸(タマ)よりも速く、力は機関車より強く、高いビルもひとっ飛び!”とナレーションが付いた『スーパーマン』(日本では1956年からテレビで放映)をよく覚えています。虚構の中に描かれる夢と人間の理想、正義、善悪も含めて学びました。しかも、スーパーマンの初代のジョージ・リーヴスが自殺してしまうんです。その時に虚構とは別の現実の脆さ、非情も学んだんです。

 日本の時代劇のテレビドラマ『隠密剣士』(‘62)も面白く、手裏剣をブリキ板で作って遊んでました。すべてが自分の血肉になっていますね。そういう感覚は二次元のアニメではなく、実写でないと味わえないと思いますね。アニメで育っていたら、映画は撮っていなかったでしょうな。

――本作の映像には温かみがあると感じました。

井筒:それはこの映画はスーパー16ミリフィルムで撮影しているからなんです。日本はデジタルが主流ですが、デジタルでは出せない中間色がフィルムでは出せるんです。デジタルのピクセル(画素)は赤、緑、青しか出ないのですが、それを遠くから見たら中間色に見えるだけなんです。近くによってじっと見てみたら、赤は赤、青は青、緑は緑の絵の具が塗ってあるような世界。

 ところが、フィルムでは中間色の塊が捉えられて何層にもなっている。その映像の豊かさを感じて欲しいです。サイズは一番見やすいビスタサイズにしました。

◆無頼者たちが貫いたものは

――最後に、この映画の見どころをお聞かせください。

井筒:今の若い子たちは物事の細かなニュアンスや抽象的なことを把握する能力が弱いと感じますが、『無頼』は流れる文脈、言葉を大切にした映画です。ぜひ、この2時間26分のストーリーを見て、昭和の人やコトやモノの意味を理解して欲しいと思っていますね。

 そして、「正義を語るな、無頼を生きろ」これがこの映画のキャッチフレーズですが、権威からもっとも遠い、寄る辺なき「無頼者」たちが貫いたものは何か、ぜひそれを劇場で見て自分で感じ取って欲しいです。

<取材・文/熊野雅恵>

<撮影/萩原美寛>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。

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