ワクチンの知財保護で世界は分断されてしまうのか? 議論呼ぶ「ワクチン・ナショナリズム」

ワクチンの知財保護で世界は分断されてしまうのか? 議論呼ぶ「ワクチン・ナショナリズム」

Photo by Jeff Gritchen/MediaNews Group/Orange County Register via Getty Images

◆先進国によるワクチン・治療薬の争奪戦

 新型コロナウイルス(COVID-19)は今も世界で広がり、多くの国で第二波、第三波が押し寄せている。

 そんな中、先進国の製薬企業は、COVID-19に対する医薬品とワクチンの開発を猛スピードで競い、有望なワクチンをめぐる国家間の争奪戦も過熱している。ワクチンの早期実用化を目指す米国は、6社と計8億回分の供給契約を結んでおり、契約額は合計で92.5億ドル(約9800億円)に上る。EUは、予備的な合意も含め5社から14.85億回分の供給を確保。このうち4億回分を供給する英アストラゼネカには3億3600万ユーロ(約420億円)の手付金が支払われた。

 日本政府もワクチンの確保に急いでいる。アストラゼネカと米ファイザーからそれぞれ1億2000万回分を確保した。米モデルナからは4000万回分以上の供給を受ける方向で協議しているほか、武田薬品工業は提携先の米ノババックスのワクチンについて、年間2億5000万回分以上の生産能力を構築する見込みで、合計5.3億回分を確保したことになる。

 こうした先進国の争奪戦の中、世界人口の多数を占める途上国・新興国は、医薬品・ワクチンの確保に大きな不安と課題を抱えている。先進国のように製薬企業と事前契約を結ぶ財源もないばかりか、新型コロナ以前から存在するHIV/エイズやマラリア、その他感染症の対応に医療を含む国内の様々な資源を割かなければならないからだ。この数カ月で見られるいくつかのワクチンが有効であるとの結果は、先進国の人々にとっては「朗報」である一方、途上国の人々にとっては、いつ入手できるかもわからない遠い話だ。

◆医薬品アクセスを阻んできた知的財産権の壁

 COVID-19感染拡大の前から、途上国・新興国での医薬品アクセスを脅かしてきたのが「医薬品の特許」の問題だ。

 医薬品特許をめぐる国際的なルールは、1995年に設立された世界貿易機関(WTO)での知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)で決められている。

 TRIPS協定は、知的財産権の保護と執行、違反の場合の措置などを定め、各国の国内法を拘束する。知的財産権には、著作権や特許、植物の新品種の保護、地理的表示や意匠など幅広い分野が含まれるが、医薬品・医療に関係するものとして代表的な医薬品の特許期間は20年以上と定められている。医薬品の開発企業の特許を一定保護する必要はあるものの、圧倒的な経済格差の中で特許保護のみが追求されれば、貧困者には命をつなぐ医薬品は届かない。そのため、WTOにおいてはこれまでも安価な医薬品の早期で広範なアクセスを求める途上国・新興国側と、製薬企業を抱える先進国側が激しく対立してきた。

◆「知財保護」の壁を突き崩した事例

 例えば、1990年代後半にアフリカを中心にHIV/エイズが蔓延した際、治療に有効な3種混合ワクチンが開発されたのだが、それを手にできたのは先進国の患者と途上国の一部の富裕層だけだった。製薬企業の持つ特許によって、年間100万円以上の薬価がつけられたためである。1日1ドル以下で暮らす最貧困層の人々が、このような高価格の薬を入手できるはずはない。多くの途上国で、何千、何万という規模の人々が「ただ貧しいから」という理由で医薬品を手にすることなく命を落としていった。

 こうした深刻な事態に、HIV/エイズの患者や支援団体、医療団体、そして途上国政府、国際市民社会は問題提起をした。公衆衛生の危機に直面した際、特許を無効化して国内で安価なジェネリック医薬品を製造できるよう、TRIPS協定に柔軟性を持たせることを強く訴えたのだ。国際世論も盛り上がり、最終的にこの提案にWTO加盟国は合意し、2001年の「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定及び公衆の健康に関する宣言」(ドーハ宣言)によってTRIPS協定が改定されるに至った。途上国側には、緊急事態の際に「強制実施権」が担保され、実際にこれを利用して安価なジェネリック薬を国内に普及できた国々も多くあった。製薬企業の利潤追求の流れを、途上国の人々の医薬品アクセスの側に押し戻した画期的な出来事だった。

 しかし、医薬品特許をめぐる途上国と先進国の対立は終わることはなかった。2000年半ば以降、様々な分野での対立からWTOがその機能を十分果たせなくなる中で、米国など先進国は二国間貿易協定やTPPなどのメガFTAへとルール形成をシフトしていった。それら協定には必ず知的財産権の章が設けられ、WTOのTRIPS協定以上に知的財産権の保護を強化するような条項が次々と提案された。例えば、TRIPS協定にはない新たなルールとしてTPP協定で規定されたのが「バイオ医薬品のデータ保護期間」だ。製薬企業にとって、バイオ医薬品製造にあたっての各種データを独占的に保護できる期間は当然長ければ長いほど望ましい。一方、医薬品を製造することができない多くの国々にとっては、特許で保護される期間が短いほど安価なジェネリック医薬品が早く手に入ることになる。TPPでは「12年」を提案する米国と、「5年」を主張するベトナム、マレーシア、豪州などが激しく対立し、交渉妥結直前の最難航分野となった。交渉は紛糾し続け、何度も延期・再設定された後、「8年」という結果となった。このように医薬品特許の問題は、過去数十年にわたり議論になり続けているのである。

◆南アフリカとインドからの提案

 この歴史の延長上に、新型コロナウイルスの感染拡大と、ワクチン・医薬品等のアクセスの問題がある。2020年10月2日、TRIPS理事会にて南アフリカとインドが、新型コロナ関連の医薬品、ワクチン、診断ツールなどにかけられている特許の一部を停止するよう求める共同提案を行なった。この要請は、多くの途上国・新興国が新型コロナへの対応に苦慮し、また医薬品やワクチンの確保を不安視する声を代表するものとして、非常に画期的な提案となった。

 提案の概要は、TRIPS協定で知的財産権として保護される対象のうち、「特許」「著作権及び関連する権利」「意匠」「開示されていない情報の保護」に関して、新型コロナウイルスに対する医薬品や治療に関するものを、少なくとも新型コロナが収束までの間は一時停止するというものだ。

 例えば、新型コロナ対応の製品のうち、検査キットには特許や貿易上の秘密(いわゆる営業秘密)が、また人工呼吸器には特許の他に意匠(いわゆる工業デザイン)やソフトウェアの著作権、営業秘密などが関わってくる。こうした多種多様な知的財産権が一時停止されれば、途上国・新興国ではこれら製品を各段に安価に手に入れることができ、医薬品や機器を製造できる能力のある新興国(インドやブラジルなど)では、医薬品の製造そのものが可能となる。この提案をした南アフリカのWTO担当代表は、以下のように提案の主旨を述べている。

「COVID-19のパンデミックはWTO加盟国に影響を与え、2020年10月1日現在、世界では約333,722,075人の患者が確認され、1,009,270人の死亡が確認されています。現在までのところ、COVID-19を効果的に予防または治療するワクチンや医薬品はありません。特に、発展途上国と後発開発途上国は不均衡な影響を受けています。COVID-19の新しい診断薬、治療薬、ワクチンが開発される中で、世界的な需要を満たすために、これらがどのようにして迅速に、十分な量、手頃な価格で入手できるようになるのか、大きな懸念があります。医薬品の深刻な不足は、他の伝染性疾患や非伝染性疾患に苦しむ患者にも深刻なリスクをもたらしています。知的財産権が患者への手頃な価格の医薬品の迅速な提供を妨げている、もしくはその可能性があるとの複数の報告があります。COVID-19への迅速な対応のために、国際的な連帯と、技術やノウハウを世界で共有することが緊急に求められています」(参照:南アフリカとインドによる共同提案「COVID-19 の予防と抑制、治療のためにTRIPS協定の特定の条項の権利を放棄すること」)

◆提案に対する国際的な支持が広がる

 南アとインドの提案に対し、多くの途上国・新興国が支持を表明している。12月10日時点で、ケニア、エスワティニ、モザンビーク、ボリビアが新たな共同提案国になった。また43カ国のアフリカグループ、ベトナム、インドネシア、バングラデシュ、エジプト、チュニジア、ベネズエラ、ニカラグア、キューバなどが全面支持、その他大枠として支持する国を合わせると約100カ国が賛意を表明している。WTO加盟国164カ国のうち3分の2が賛成していることになる。一方、提案に反対の立場は、米国、日本、EU、英国、豪州、スイス、カナダ、ノルウェー、ブラジルなどだ。

 重要な点は、この提案はまさにかつてのHIV/エイズ治療薬の世界的な普及に向けた国際的な協働の延長と言えるほど、国際的に極めて重要なトピックになっていることだ。国際社会が新型コロナという危機にどのように向き合い、封じ込めに協力できるか? その優先順位を誰がどう決めるのか? 利潤の追求と公衆衛生のバランスをどうとるのか? などに関する問題提起と、南ア・インドの提案を支持する声は広がり続けている。

 提案がなされた直後の10月17日、WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は、「インドと南アフリカの提案を歓迎」との意見をツイッターで表明した他、国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)やユニットエイド(UNITAID、途上国におけるエイズ・マラリア・結核の治療普及を支援する国際機関)も提案支持を表した。国会議員が提案を支持する声明を出す例もある。国境なき医師団(MSF)をはじめとする国際医療・保健団体、貿易協定に関わるNGO、労働組合なども積極的に提案を支持し、各国政府(特に提案に反対している先進国)に働きかけてきた。中国、ロシアなどまだ態度を明確にしていない国に対しての要請も強めているところだ。

◆反対する国の主張

 10月の提案以来、TRIPS理事会は非公式な会合を2回持ち、WTO加盟国での合意を探ってきた。しかし先進国の反対意見は強く、議論は平行線。12月10日、ジュネーブで行われたTRIPS理事会でも結論は出ず、知的財産権の一時停止をめぐる攻防は2021年に持ち越されることとなった。

 対立の論点はいくつもある。まず、グローバル製薬企業を有する米国やEU、また日本などの代表的な反対意見は、「現時点で、特許がCOIVD-19関連の医薬品等の壁になっているとの実態がない」というものだ。また、「知的財産権は、医薬品やワクチン開発などイノベーションと競争の原動力であり、それがすべてのワクチンや治療法の迅速な提供を保証する最善の方法である」という意見も根強い。

 これに対し、提案国の南アフリカやインドは、すでにいくつかの国で特許が障害となって自国内の新型コロナに対応する製品の製造や流通が阻まれている事例をTRIPS理事会で提示した。

◆公的資金が投入されたワクチンは公的な性格を持つ?

 知的財産権が企業のイノベーションを促進するとの意見については、妥当な面もあるだろう。しかし、感染拡大の直後から多くの先進国政府は巨額の公的資金を製薬企業に拠出しており、すでに研究開発に十分な資金を製薬企業は手にしている。例えば、米国のバイオ技術企業であるモデルナが開発中のワクチンの中核となる新技術は、米国政府の資金提供によって米国国立衛生研究所が開発したものだ。その上で、モデルナ社は研究支援とワクチンの先行契約のため合計約25億ドルの税金を米国政府から受け取っている。またファイザー社は、ワクチン開発のためにドイツ政府から4億5,500万ドルの資金提供を受けたが、その後、米国とEUから合計約60億ドルで購入契約を交わしている。これら企業を含め、現在最有力とされる6社のワクチン候補の研究開発、臨床試験、製造には、計100億米ドル(約1兆515億円)以上の公的資金が投じられている。

 つまり、すでに企業の財政的なインセンティブはこれら公的資金の投入で満たされており、開発されたワクチンは公共的な性格を持つというのが途上国の意見だ。とりわけ、今回のようなパンデミックにおいて、公的資金が十分つぎ込まれて開発された重要な医薬品等を、私企業だけが独占的に管理することは不当であり、また感染を抑制するためには逆効果であると多くの国々は強調している。実際、例えばアストラゼネカ社は「新型コロナワクチンの開発費は、政府と国際機関による資金援助で相殺できると予測している」と述べ、ワクチン開発は同社の財政に影響を及ぼさないと何度も言及している。

◆ワクチン世界的普及は既存の枠組みで可能?

 さらに、先進国側の主張には、「医薬品やワクチンの世界的な普及は、ACTアクセラレーターやCOVAXなどの国際的な枠組みによって検討されており、知的財産権の放棄はこれら動きの障害になりかねない」との主張もある。

 ACTアクセラレーターとは、COVID-19に対応するため、マクロン大統領の提唱でEU、独、WHOが共同して2020年4 月に立ち上げられた枠組みで、診断検査法、治療法、ワクチンの開発・生産と公正な分配、保健システムの強化を目標としたものだ。各国から資金を集めた資金を使い、主に途上国に対しての検査や治療、医薬品を提供しようとするものだ。COVAXとは、WHO等の機関によるワクチンの国際的な共同購入の枠組みだ。@先進国・中所得国が資金を拠出し、自国用にワクチンを購入する枠組みと、Aドナー(国や団体等)からの拠出金により途上国へのワクチン供給を行う枠組みの2つがある。

 特許免除を求める途上国は、これらの枠組みをもちろん否定しておらず、重要なものと積極的に評価している。しかし、実際どちらの枠組みも途上国にもワクチン等が行き渡るだけの十分な資金は集まっておらず、その一方で先進国は自国のためのワクチン確保に邁進している。またこれら枠組みの下では、ワクチンや医薬品の製造主体自体が増えることはないため、仮に十分な資金が集まったとしても、世界中で必要な供給量を迅速に製造することができない点を、途上国側は問題としている。先進国の製薬企業が特許を免除すれば、インドやブラジルなど製造能力を持つ国で、多くの量の医薬品等の製造が可能となる。

◆巻き起こる論戦

 すべてを紹介できないが、提案をめぐっては他にも多くの論点がある。しかし、WTOでの各国の主張を見ている限り、「知的財産権は手放さない」という先進国側の態度はあまりに頑迷で、未曾有の危機を協力して乗り切ろうという姿勢は残念ながら感じられない。

 欧米のメディアでも、賛否は分かれ論争が繰り広げられている。TRIPS理事会に向け途上国の提案への指示が広がる中、12月7日付のニューヨーク・タイムスでは、進歩派のマクロ経済学者のディーン・ベーカー氏やインドの経済学者アルジュン・ジャヤデヴ氏らが「ワクチンを一番に手に入れたいのか?知的財産権の一時停止を―さもなければ豊かな国にも十分に普及する製品数は足りなくなる」との論考を共同執筆し、米国はじめ先進国政府へ知的財産権の免除を呼び掛けた。

 一方、11月19日、ウォール・ストリートジャーナルは編集委員会の文責にて、インドと南アが提出したTRIPS免除の提案を「特許の強盗だ」と非難し、先進国の主張に沿った記事を掲載した。さらに先述のベーカー教授らへの反論として、国際製薬団体連合会(IFPMA)事務局長トーマス・クエニ氏は、「ワクチン特許のルールを停止することのリスク」を同じニューヨーク・タイムズに掲載。途上国政府のみならず国際市民社会の主張に全面的に反論する内容で、医薬品特許の免除をめぐる議論の一致点は見いだせていない。

◆論争の間もワクチンを待つ間も、死者は出続ける

 しかし明白なことは、やがて開発されるであろう治療薬やワクチンを最初に入手できるのは、日本を含む先進国の人々であり、途上国・新興国の圧倒的多数の人々は、その後いつになるのかもわからない長い順番待ちの状態に置かれるということだ。この現実に、日本の私たちを含む先進国の人々は、「仕方のないことだ」と済ませていいのだろうか? グローバルなパンデミックを本当の意味で封じ込めるためには、世界の多くの国に治療薬やワクチンを早急に行き渡らせる必要がある。また途上国の多くの人々は、ワクチンの治験に積極的に協力・参加し、その開発に文字通り献身的に貢献している。こうした事実を知った上でも、まだ先進国は知的財産権の放棄を頑なに拒み続けるのだろうか。

 この問題に取り組むため、私たちを含む日本のNGO・市民団体は、11月に「新型コロナに対する公正な医療アクセスをすべての人に!連絡会」を立ち上げ、日本政府に働きかけている。

 日本ではワクチン・医薬品の特許をめぐって、ほとんど議論が起きていない。製薬企業は開発に尽力しており、そこには一定の利益が確保されるべきだということは多くの人が認めるところだ。その上で、すべての人にとって不可欠な医薬品アクセスの公正・公平な配分を目指して、現在考え得る様々な措置を、政治的な決断をもって実行に移すべきではないか。新型コロナウイルスのパンデミックは、これまでの「知的財産権VS医薬品アクセス」という対立構図を越えて、新たなルール形成をする契機を私たちに迫っている。

<文/内田聖子>

【内田聖子】

うちだしょうこ●NPO法人アジア太平洋資料センター〈PARC〉共同代表

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