AI婚活が推し進める「同類婚」と抵抗としてのルッキズム

AI婚活が推し進める「同類婚」と抵抗としてのルッキズム

画像はイメージ(adobe stock)

◆ビッグデータとAIを活用した婚活

 政府は2021年度から、新世代の婚活マッチングシステムを、全国に普及させます。事業主体は各地方自治体で、政府はその導入を後押しするという方針。(参照:読売新聞)

 

 新世代のマッチングシステムは、ビッグデータとAI(人工知能)を活用して、利用者の嗜好や人格を精密にデータ化していくものです。従来あった、顔写真・職業・年収といった外形的な分類にかえて、その人の価値観や行動履歴に重点を置いて、人間の人格をデータ化していくわけです。

 人格をデータ化するとは、どういうことか。例えば、従来型のマッチングシステムであれば、趣味の欄に「映画鑑賞」と書くことですみました。新世代システムは、それ以上のことを調べ、分析し、分類します。彼(彼女)はどんな作品を観てきたのか。邦画なのか、韓国映画なのか、ハリウッド映画なのか。娯楽作品なのか、ドキュメンタリー作品なのか、文芸作品なのか。そしてそれらをどのような姿勢で観ているのか。ビッグデータ分析は、個人の消費性向をとおして、その人の教育水準・価値感・教養・所属階層を同定していきます。そうして釣り書(履歴書)は精緻化され、より的確な紹介に結び付けられるのです。

 新世代のマッチングシステムは、めざましい成功をおさめるだろうと予想されます。この新しい方式によって、たとえば愛媛県では成婚率は13%から29%へと飛躍的に向上したという報告もあります。古くからある結婚紹介所の知見と、新しい情報技術が結合し、かゆいところに手の届く紹介制度が構築されます。国全体の少子化を食い止め、若年人口流出による「地方消滅」を食い止めるために、ビッグデータによるマッチングシステムに期待がかけられています。

◆AIによる同類婚

 新世代のマッチングシステムでは、まったく異質なものが出会うことはありません。詳細に分析されたデータに基づいて、似た者同士をマッチングしていきます。ここでは、驚くような「上昇婚」(逆/玉の輿)は起きません。その可能性はAIによってあらかじめ排除されることになります。AIが推奨するのは、堅実な「同類婚」であり、階層の固定化です。

 これまでおそらく少なくない女性たちが、結婚に「上昇」を期待し、自分の生まれた境遇をわずかでも改善したいと望んできたのですが、AIはそうした望みに応じてはくれません。あまりおおきな夢を見ないで、身の丈に合った相手を探しなさい、と言うのです。ビッグデータ分析から得られた相手は、自分の身の丈に合った相手であり、いわば鏡に映された自分の姿です。したがって、すでに自分自身の生活に満足している人であれば、AIが推奨する相手をあまり抵抗なく受け入れることができるでしょう。自分自身の現在のありかたに自信をもって生きている人であれば、似た者同士の相手にも敬意をもって接することができるでしょう。

 しかし、そういう人ばかりではないのです。AI婚活システムによって成婚を果たしていくのは、同類婚を受け入れられるような、ある階層以上の人々に限られるものであって、それ以外の人々にとっては、足切り・排除として作用することになります。新世代のAI婚活システムは、異なる階層間の差異を文化的な格差として露出させ、選別・排除を精緻にしていくのです。

◆抵抗のルッキズム

 「夢」のない話です。これまで、AIがもたらす悲観的な予測を並べ立ててきました。しかし私は絶望的な状況だとは考えていません。

 AI婚活システムは成婚率の飛躍的な向上をもたらしましたが、それはけっして100%には至らないのです。ビッグデータ分析によってジャストサイズにあてがわれた相手を、それでも拒否する人々が数多くいるのです。

 おそらくこの新世代システムにとって克服できない最終的な障壁となるのは、顔、ルッキンへのこだわりです。堅実な同類婚を阻む、ルッキンへのこだわり。相手の顔が好きかどうかというのはとても重要なことで、幼稚なこだわりだと言われようがなんだろうが、人々がこれを手放すことはありません。ここでは、対抗的な判断基準としてのルッキズム、「抵抗のルッキズム」というべきものがあって、それは結婚という場面において、人間の自由意志の最後の砦となるのかもしれない。

◆「顔」は生得的で静的だという誤解

 顔というものは、多くの誤解にまみれた要素です。それは一方では、生得的なものだと考えられたり、静止画のデータによって識別できる要素だと考えられたり、比較できるものだとみなされたり、ひじょうに軽く扱われることが多いのです。しかし、恋愛や結婚という場面で「この顔は好きになれない」と感じたとき、顔というものが本当は表面でも外見でもない、ひじょうに奥行きがある要素であることがわかります。顔はデータ化できないし、統一的な尺度で比較衡量することもできないものです。顔は静的ではなく動的で、さらに言えば、自己生成する運動の軌跡でもあります。顔、ルッキンを、たんなる外形的な情報とみなすのは、間違いです。かっこいい男になる、かっこいい女になる、という営みは、ビッグデータ分析では把握することができない、より高次のダイナミズムに属している。人はそこを見て、好いたり嫌ったりするのです。

 生まれた境遇がどうであれ、教育水準がどうであれ、かっこいい男はかっこよくて、かっこいい女はかっこいいのです。人間は、自分の置かれたケージのなかで交配の機会を待つ受動的な存在ではありません。人間はかっこいい男/女になろうとする能動的な営みに開かれていて、人はそこを見ているのです。

<文/矢部史郎>

【矢部史郎】

愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。

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