コロナ禍の中感じた、プリキュア世界と現実のシンクロニシティ

コロナ禍の中感じた、プリキュア世界と現実のシンクロニシティ

DJ(プリキュアの楽曲をかけるだけなのがDJと呼んでいいものか悩みつつ)中の筆者、プリキュアおじさん

◆派遣法「3年ルール」とプリキュア映画

 2015年に施行された所謂「3年ルール」により、活躍の機会が狭められてしまったもの、と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。「派遣法って確かそんな感じだったっけ…???」と思った方はビジネスパーソンとしては正しいかもしれません、が、偶然にも毎年春に公開されるプリキュアの映画に登場する先輩プリキュアの境遇がまさにそんな感じで、「大発見!これ何かの機会に話そう〜!」と思っていた僕のような者も世の中にはいます。

 ご存知の無い方の為に大雑把に説明しますと、プリキュアというのは所謂「女児向けアニメ」と呼ばれるアニメ作品、そこに登場する、何かを守る為に変身して戦う強くてかわいい「女のヒーロー」たちの事。2004年にスタートし、毎年新しい仲間を増やし、代替わりをし続け、番組は現在17年目、歴代のプリキュアは2020年で64人、来期のプリキュアの発表がすでにあったのでこれに4人足して68人(放送が始まって無いものは数に含めない主義でしたが…。そのほか細かい事を言い出すときりがないので、ここでは割愛させていただきます)になります。

◆17年の歳月で総勢68人の大所帯となった結果

 17年……と言うと、3歳児が成人するような年月なので、これだけの期間やってる作品をまったく知らないなんてよっぽどどうかしているような、逆に全部観てるのもそれはそれでどうかしてるような、そんな気持ちになってきます。僕はそのプリキュアの関連楽曲だけでDJ???他に呼び方が無いのでDJとさせてください???をやっている者です。以前書かせていただいた物もよかったらお読みいただけると嬉しいです、かなり稚拙な文章ですけども。

 話を戻します。

 毎年春に公開される映画では歴代シリーズのプリキュア達がそれぞれ独立した作品の世界を超えて勢揃いする事が長らく売りになっていました。しかしその人数も30人に達しようというあたりから一人一人の変身シーンだけでもかなりの時間を要し、全員をストーリーにからませるのが困難になっていった為か、2017年の春から最新作を含む3作分のプリキュアが出会い、力を合わせ困難に立ち向かうという形態になります(それでも15人弱いますけども)。これにより2015年度のプリキュア達はこの翌年からスタメンから外れてしまいました。前述の派遣法改正のよう?に、です。いや、この改正ってそういうつもりで生まれたものではないんでしょうけど、実質……という話です。

◆プリキュアファンのライフサイクルにも影を落としたコロナ禍

 我々のようなファン、好事家、オタク(呼び方はこの際何でもいいですが)は毎年、2月始まりの1月終わり、そして3月に春の映画、10月に秋の映画が1本ずつ公開される、そういう独特のサイクルに合わせて生きていて、2004年以降の出来事が各作品に結び付いている為、やたら記憶が鮮明な事でも知られています。スポーツの名試合と西暦がリンクしているような感じでしょうか。また、毎年2月1日は「プリキュアの日」として日本記念日協会に登録認定され、我々のような者にとっての元旦のような日になっていました。

「いました。」と過去形で書いているのは、2020年から世を騒がせている新型コロナウイルスの脅威がプリキュアにも及び、ここまでさんざん説明してきた「毎年恒例の春の映画」にもその影を落とす事になったからです。

 17年も続いているシリーズですから、変わっていく時代の要請というか、そういった何かに応えるように「いま」の要素を取り入れるケースもあれば、先の3年ルールのような偶然時事に沿ってしまったようなケースもある中、2020年は本当に我々のような者にとって、真面目なトーンで言うような事では無い事だとはわかっていながらも「なんか世の中がプリキュアに寄せて来ている……」と言いたくもなるよな!という1年でした。

◆現実世界とプリキュアのシンクロニシティ

 なにせ2020年度のプリキュア『ヒーリングっどプリキュア』では、プリキュア達は「地球のお医者さん」という任務を負った役どころで、地球を蝕んで自分達にとって理想の環境を作る事を目的とした「ビョーゲンズ」なる敵と戦うというストーリー。

 放送が始まってわずか1ヶ月ほどで世の中は未知の疫病に関するニュースで溢れ、マスクやトイレットペーパーは買い占められ、緊急事態宣言が出された4月にはテレビの放送自体もストップ(9週間に渡る再放送)、ニュースを見れば大の大人が真面目な顔して「手を洗おう」みたいな、僕のような者が人目を憚って日常的に見ていた作品で出てくるような文言を掲げる世界になってしまいました、手洗いが大事なのはもちろんそうなんですが。作品の企画自体は前の年の5月には動き出していると聞きますから、作り手の方たちもまさかこんな時流に乗り切った作品になるとは思ってなかったんじゃないでしょうか。

 そして、3月に公開予定だった恒例の春の映画は2度の延期に、ステイホームだなんだと言いながらいつ公開されるのかと待っていたその映画の内容が「延々と繰り返す"明日の来ない"時間に閉じ込められてしまったプリキュア達が、そのループから脱出する」というストーリーだと言うんだからもう世の中がプリキュアに寄せてきているくらいの事を言いたくもなるというもの。

 この延期を受け、無人の劇場で急遽撮影されたと思われる、ショーに使う着ぐるみによる「みんなに会えるのは、もう少し先になりそうなんだ…」「みんなが元気でいられるように、小まめに手洗いを云々」という動画は、慌ただしかったであろうスケジュールや、関わった人の苦労が偲ばれ過ぎると同時に、起きている出来事がまるでプリキュアの活躍する世界のようでした。肝心のプリキュアはどこにもいませんという状況の中「プリキュアが現実に起きている未曾有の危機を前に、子供たちに向けてメッセージを発信している」という、大袈裟な言い方ではありますが作品と現実に地続きな部分があるように感じられる、かつてないものを目にした気がしました。

 結局春の映画は無事10月に公開され、僕のような者の時間もようやく動き出したような感じに。テレビの放送は2月中も続く形になったようです。

◆「多様性」もすでに体現しているプリキュアの世界

 大人になって僕みたいにならない限り、子供はそのうちプリキュアを卒業して「あんなのウソじゃん」みたいな事を平気で言ったりするもんですが、創作の中に自分の生きている世界と地続きなポイントがあったりして欲しい(普通ありますが)とよく思います、あるだけでいい。今回の新型コロナの件は望まぬ地続き感がえらく出てしまっていますが、このコロナ禍にリアルタイムで観た地球のお医者さんの物語は忘れられないものになっ(てしまっ)たように思います。

 社会的なテーマやメッセージが出てくるとなんかかったるい、今まで興味なかった人が急に取り沙汰してくるのが嫌と言うファンも、もしかしたらそういう子供もいるのかもしれませんが、自分が好きなものを、大して好きでもない誰かの主張の飾りとして乱暴に扱われるのが腹立つだけでそれ自体は別にいいんじゃないのかなと個人的には思います。

 昨今よく目に、耳にしすぎて敬遠されがちなワードになってしまった感のある「多様性」であったりとかがまさにそうなんですが、かつて「どこにでもいる普通の女の子が〜」というような導入こそありながら、最初のシリーズからまったく接点の無かった正反対の二人が唯一無二の友になるというプリキュアの主人公像が、シリーズを重ねていき「どんな女の子も自分の物語を普通に生きている」とでもいうような、例外を増やしていく、例外を当たり前として扱う方向に加速している事からも、プリキュアにおける多様性って沢山のいろんな女の子がプリキュアをやっているという事がすでに体現?しているんじゃないのかな、と思う次第です。68人ですよ。でもまだ世界に100人もいないワケだし全然少ないです。

 まさかこんな日々を送る事になるとは誰も思ってなかったし、多分プリキュアがいなかったら危なかったです僕は。今のような状況はまだしばらく続くのかもしれませんが、プリキュアがいつまでも女の子の最初の憧れとして続いてくれるといいなと思いつつ、このコロナ禍が収束し、その憧れが「マスクしないで外に出れていいなぁ〜」とか「友達と一緒にご飯たべてて羨ましい」というものばかりに無らない事を招かれざる客の自覚と共に一方的に願ってます。

<文・写真提供/プリキュアおじさん>

【プリキュアおじさん】

ぷりきゅあおじさん●Twitter ID:@precureojisan。サラリーマンでありながら、プリキュア関連楽曲のみでDJまがいの活動をしている。既婚者。

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