不寛容な社会を照らす人とのつながり。西川美和監督『すばらしき世界』

不寛容な社会を照らす人とのつながり。西川美和監督『すばらしき世界』

?佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

◆西川美和監督が描く「不寛容な社会」

 元受刑者の半生を描いた佐木隆三『身分帳』(講談社)を原案にした西川美和監督作品『すばらしき世界』が全国で公開中である。

 刑期を終え、13年振りに塀の外の世界へ出た三上正夫(役所広司)。旭川刑務所を後にした三上は、身元引受人の弁護士・庄司(橋爪功)と妻の敦子(梶芽衣子)に迎えられ、庄司の自宅に身を寄せる。

 その頃、テレビの制作会社を辞めたばかりの津乃田(仲野太賀)とやり手プロデューサーの吉澤(長澤まさみ)は、三上が刑務所で書き写した自身の事細かな生い立ちと犯罪歴を記載した「身分帳」をもとに、三上を番組のネタにしようと画策していた。

 庄司夫婦のサポートの下、アパートの2階で一人暮らしを始めた三上。市役所のケースワーカーの井口やスーパーの店長の松本のアドバイスを受けて社会復帰の道を模索する中、津乃田と吉澤は三上を訪れ、番組出演の意義を言葉巧みに説き、三上をその気にさせるのだが――。

 2002年の『蛇イチゴ』でデビューして以来、すべてオリジナル作品で撮り続けて来た西川監督が原案に選んだのは、元受刑者を描いたノンフィクション。無免許の医師が主人公の『ディア・ドクター』(?09)、夫婦で結婚詐欺をする『夢売るふたり』(‘12)、不倫中に妻に先立たれた男の再生を描いた『永い言い訳』(‘16)など人情の機微や皮肉、ほろ苦さを描いてきた西川監督が、元受刑者という「はぐれ者」の視点で社会を正面から捉えた。

 SNSによる有名人へのバッシング、自責の念に駆られるコロナの感染者などあらゆる側面で「社会の不寛容」が取り沙汰される今、人との関わり方、社会のあり方を考えさせられる秀作である。

◆佐木隆三作品と現代

 西川監督が『身分帳』と出会ったのは佐木氏の訃報がきっかけだった。生前、佐木氏と親交のあった作家、古川薫さんの「佐木作品と言えば『復讐するは我にあり』だが、その真骨頂は『身分帳』にある」との記事を目にし、既に絶版となっていたためインターネットで古書を取り寄せたところ、読み始めた途端にページをめくる手が止まらなくなったという。

 主人公は13年間の獄中生活を経て刑務所を出所し、人生の再スタートを東京で切ろうとするが、切符を買うのも電車に乗るのもぎこちなく、そして何より働き口がない。物語になりやすいのは、殺人、戦争、災厄などの大惨事だが「大きな物語のその後」を丁寧に描いているところに惹かれたとのことだった。

 そんな「大きな物語のその後」の舞台は『身分帳』では昭和の終わりである。同作の主人公・山川一は昭和16年生まれであり、昭和48年4月に逮捕され、昭和61年2月に刑期を終えて出所している。当時の日本には、インターネットはもちろんのこと、外国人労働者もいない。そして山川を描いたのは、作家・佐木隆三である(実在のモデルとなった受刑者田村明義氏と佐木氏の関係は昨年新たに刊行された『身分帳』(講談社)収録の「行路病死人」に詳しい)。

 一方、令和の時代の映画の主人公・三上正夫の物語には、外国人労働者が登場し、その世界を切り取ろうとするのは制作会社を辞めたばかりのテレビマンの津乃田だ。津乃田はプロデューサーの吉澤からの依頼で、三上が母親と再会する感動のドキュメンタリーを撮るべく、三上と接触するようになる。しかし、次第に三上の人柄に惹かれ、「テレビ仕事」ではない立ち位置で三上を描こうと決意する。

 この様は『身分帳』の後日譚の「行路病死人」で描かれる佐木隆三と受刑者田村氏との関係のようだ。そこには作家とノンフィクションのモデルという関係を越えたつながりがあった。『身分帳』で描かれるのは、山川が社会に出て苦戦する様子だが、山川の真っ直ぐさや繊細さも行間から滲み出る。単なる取材対象ではない、佐木隆三の田村氏に対する温かな眼差しが感じられるのだ。そして、映画でも最初は恐れているものの、終盤では作家として生きていく決意をした津乃田にとって、三上は単なる被写体以上の存在として描かれる。

 「作家佐木隆三、西川監督、津乃田は取材者として重なり合うか?」という質問に対して西川監督は、津乃田は自身の分身ではないとした上で、三上と観客とを近付ける水先案内人のような役割であると語っている。すぐにカッとなる三上は狂っているわけではなく、「人間らしさ」がむき出しになるキャラクター。

 そのことを津乃田の三上に対する接し方で伝えたかったとのことだが、その演出は成功している。ある時は暴力を振るったかと思えば、ある時には子どもたちの前で優しさを見せる。そのすべては矛盾するものではないということが、津乃田の視点を通して観客には伝わって来るのだ。

◆社会の矛盾を映す三上

 身元引受人の弁護士、庄司は出所後の三上を自宅に招き入れる。そして、市役所のケースワーカー井口やスーパーの店長の松本も真っ直ぐ過ぎてカッとなる三上をなだめながら、三上の社会復帰に尽力する。彼らの人物の描き方が魅力的だ。弁護士の庄司はさておき、井口は市役所の職員、松本は町内会の会長であり、三上の面倒を親身にみる義務があると言えるほどの立場でもない。そして、何より井口には役所のルールがあり、店長の松本にも家庭人としての顔がある。にもかかわらず、自分の置かれている立場を越えて三上の身を案じようとするのだ。

 そしてそれは、「元受刑者の更生保護」という建前ではなく、三上自身に真っ直ぐさがあるからだということが、三上の立ち振る舞いから徐々に観客に伝わって来る。

 一方、周囲を魅了する人間的な魅力を持つ三上が犯罪者として何回も刑務所に入れられてしまったのはなぜか。そのことも映画は問いかける。理不尽が許せない三上はカッとなるとすぐに手を上げてしまう。しかしそれは彼にとっては「困った人を助けた」という行為なのだ。

 確かに暴力は良くない。しかし、面倒くさいからと言って通り過ぎることが果たして最善の生き方なのだろうか。そもそも、三上が長く刑務所に入っていたのは、日本刀を持って因縁をつけて来たチンピラから妻を守ろうとして相手を刺してしまったからだった。

 違法なのは三上である。しかし本当の意味で「正しい」のは誰なのかと。そして、そのジレンマに直面した時、人間はどのようにしてそれを乗り越えればいいのかをも映画は示唆している。三上のように真っ向から歯向かうことはない。理不尽に直面した時には深呼吸し、時には逃げることも必要なのだと。

◆三上にとっての母

 出所後の三上は母親を探している。しかし、物語が進むにつれ、三上の身を案じる人すべてが「三上の母」なのではと思えてくる。

 『身分帳』では久しぶりに連絡を取った元妻が「イッちゃん(山川一なので元妻は山川をこのように呼んでいる)は私のことを?お母さん″と思いなさい」と山川に言う。映画にこのような表現はないが、代わりに弁護士の庄司、ケースワーカーの井口、スーパーの店長の松本、取材者の津乃田以外にも三上の身を案じ、まさに母親代わりになるような人間が登場する。

 幼くして孤児院に入れられ、母親を知らない三上。しかし、三上は母親を探す過程で、多くの人たちに助けられ、母親のような役割を果たしてもらうことで徐々に社会に役割を見出していく。

 そして、物語の終盤、周囲のサポートによって母親からの愛情を取り戻したかのような三上はついに津乃田の父親のような存在になる。津乃田を演じた仲野太賀は「最初は取材対象者であるが、やがて友人となり、次第に父のような存在へと関係性が変わっていくこと」を意識したというが、その変遷は津乃田の三上への眼差しに見ることができる。また、三上と津乃田の関係性の変遷は「助けることで助けられる」「助けることで何かをもらう」という人間社会の普遍をも描き、映画に厚みを与えていると言えよう。

◆犯罪を描く作家たちの試みは

 西川監督が主演を役所広司に依頼したのは、17歳の時に見たTVドラマ『実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期』(‘91)が忘れられなかったからだという。この作品で主人公の西口を演じた役所広司のあるシーンが西川監督を揺さぶり、「人間のわからなさを何かによって描いていく生き方」になると確信させたとのことだった。

 そして西口彰の人生を題材にした小説が『身分帳』と同じ原作者佐木隆三の『復讐するは我にあり』(講談社)だった。このことに気が付いた時、西川監督には【役所広司=西口彰=佐木隆三=身分帳】というラインがはっきりと見えたという。

 映画を制作する過程は最新エッセイ『スクリーンが待っている』(小学館)に詳しいが、西川監督は、『身分帳』の担当編集者、田村氏が出演したラジオドキュメンタリーの制作者、身元引受人の妻のモデルになった方、そして田村氏が入っていたであろう児童養護施設などを訪れ、次々と人に会って話を聞き三上像を作り出そうとしている。

 脚本は元暴力団員、外国人労働者、刑務官など約50名以上に話を聞き、3年を掛けて作ったというが、登場人物たちに対する細やかな愛情を感じるのはこうした生の声が反映された物語だからだろう。

 西川監督は、先月末に行われた日本外国特派員協会の記者会見で「沢山の元服役者の方や更生を手助けしようとする方々の話を聞く中で、いかにやり直しがききづらい社会であるのかを感じた」とし、「システムを整える動きはあるが、失敗したり、レールを外れた人は二度と出てくるな、というような懲罰感情がどんどん高まってきているような風潮がある」と指摘。

 そして「住む場所や仕事を得ることも大事であるが、人との繋がりが再犯を防ぐブレーキになるという話が心に残った。人との心のつながりやサポートのあり方を残せるような映画にしたかった」と述べている。

 劇中の吉澤はある現場を目撃した津乃田に対して「割って入って助けるか。それとも伝えるか。そうでなければ誰も助けられない」と怒鳴る。誰しも「割って入って助ける」ことは難しい。しかし、この作品は、生の声を物語に昇華し、人とのつながりの大切さを「伝える」ことに成功している。

 「犯罪は人間の闇の部分である。そして闇とは何かを学び、何かを教えてくれるものである」とした佐木隆三は、犯罪を題材に優れた作品を世に送り出した。また、西川監督の師匠の是枝裕和監督も「事件には世の中が映る」とし、実在の事件をモチーフに映画を撮り続けている。まさに犯罪がテーマの『万引き家族』でカンヌ国際映画祭の最高峰、パルムドールを手にしたことは周知のとおりだ。

 そして、他ならぬ佐木隆三の代表作である今村昌平監督作品『復讐するは我にあり』(‘79)で、主人公の殺人犯榎津(緒形拳)と殺人罪で服役していたひさ乃(清川虹子)が、「世の中は変わった。娑婆(シャバ)は狂っている」と語り合うシーンがある。

 本当に狂っているのは何か――。

 『すばらしき世界』を見ている間、何度もそう思わされた。今こそ、観客である私たちは歴代作家たちが紡ぎ出して来たそのメッセージに耳を傾けるべきではないか。インターネットが普及して便利になる一方、新たな摩擦も生み出している現代社会。コロナ禍の今、息苦しさを感じているのは『復讐するは〜』が封切られた1970年代の終わり以上であろう。

 佐木隆三作品のエッセンスをそのままに、西川監督が令和の時代に放つメッセージは、当時より一層リアルなものとなった。少しでも多くの人が本作を見てそのことに思いをはせることで、世にはびこる不寛容さが和らぐことを願いたい。

<文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】

くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。

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