コロナ禍活かし「集団移住型シェアハウス」へ。“渋家”新代表が語る、新たな集団生活の形

コロナ禍活かし「集団移住型シェアハウス」へ。“渋家”新代表が語る、新たな集団生活の形

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◆「集団移住型シェアハウス」へ転身

 2010年代からその数を増やし、昨今では若年層を中心に住居選びの一般的な選択肢として浮上するようになった「シェアハウス」。シェアハウスは運営コンセプトによって様々な特色を持っているが、その中でもひと際異彩を放つのが、アートや音楽を志すクリエイター系の若者たちが暮らす「渋家(シブハウス)」だ。

 過去には数多くの著名クリエイターを輩出し、住人たちに大量の業務が発注されたこともある。結果、2016年にはやむなく「渋家株式会社」(のちに渋都市株式会社と改名)として法人化したほどだ。

 しかし、そんな渋家は2021年を機に、名前の通り渋谷に住居を借りて拠点を定め活動する形態に終止符を打ち、新たに「集団移住型シェアハウス」として再スタートを切るという。今回、なぜこうした形態への転身を遂げることになったのか。渋家新代表の上梨裕奨さんに、その真意を聞いた。

◆生活に重きを置かない「オルタナティブスペース」

 渋家の歴史は、2008年にアーティストの齋藤恵汰さんが池尻大橋の小さな物件を借りたところからスタートした。その後、何度かの移転を経て渋谷へ拠点を移し、その規模もしだいに拡大していった。

「渋家の特徴は、一般的なシェアハウスとは一線を画し、家を分け合って自分の空間を設ける“住居”としての機能に重きを置かず、家を外部へ開放する“オルタナティブスペース”として見なしている点です。分かりやすく言えば、家ではなく公園みたいなものですね。公園に自分だけの空間がないように、渋家にも自分だけの空間というものはありません」

 その言葉通り、渋家は「来るもの拒まず」という運営方針を徹底している。

「クリエイターが多い場所ではありますが、もちろんクリエイターだけを選別して入居させているわけではありません。過去には、家出少女やホームレスを受け入れたこともありましたし、2011年の東日本大震災勃発時には被災者の方も受け入れていました。ちなみに、私もホームレスだったところを渋家に拾われた縁があるので、来るもの拒まずのカルチャーを体現しているかもしれません」

 しかし、こうした運営方針では、どんな「ならず者」が入居してくるか分からない。それでも、来るものを拒まないだけでなく、生活にあたってのルールすらほとんどないという。

「渋家にあるルールは3つ。『陰口を言わない』『多数決を取らない』、そして『法律を守る』ことだけ。これを守れば、何をやっても大丈夫です。ただ、そうは言っても大人数が共同生活をしていれば、トラブルは起きます。そんな時は、とにかく積極的に議論して解決を図ります。そこでもめ事になってもいいので、ルールを作って『はい、ルールを破ったあなたは悪者です』という構図を作らないことを重視しているんです」

 こうした独特のカルチャーがクリエイターを育て、先に見た著名人の輩出や法人化につながったと、上梨さんは分析する。

◆お金と住人の問題で、危機に瀕する

 2016年の法人化以後も、渋家の全盛期は続いた。

「例えば、2018年には創立10周年イベントとして、渋谷109の屋上を借り切ってホームパーティーを実施。その後、パーティーに続くイベントとして『渋家文化祭』を企画しました。住人全員になにかモノを作ってもらい、渋家の中でギャラリーとして公開しました。もちろん、24時間お客さんに開放しているので、生活空間はほぼゼロだったそう(笑)。こうした出来事は伝説として語り継がれています」

 しかし、そんな渋家の風向きが変わったのは2020年。まず問題になったのは人材の流出だった。

「この年、前代表を中心とした優秀なクリエイター数人が渋家を辞め、新しくクリエイターチームを作りました。そこで有力者が抜けてしまったのは、後から考えれば大きなダメージでしたね」

 また、昨年南平台から初台へと拠点を移したが、その際の費用も大きな懸念事項だった。

「家を開放する仕組み上、どうしても物件が傷みやすく、南平台の物件を退去する時に多額の修繕費を請求されました。みんなで協力して費用ねん出を試みたのですが、すべてをまかなうことはできず、名義上の契約者がひとり借金を背負う形で泣く泣く退去することに。また、引っ越しのタイミングで優秀なクリエイターが退去してしまったことも痛手でした」

 こうして住人が失われ、資金面でも苦しくなった渋家は、新たな住人を迎え入れることで再起を図ろうとした。

「ただ、新しく入った住人との関係性がうまく構築できず、お金の問題も相まってだんだんメンバーがギクシャクしていくようになりました。すると大家への家賃が払えるか微妙な状況にまで追い込まれ、そしてさらに仲が悪くなっていく悪循環に陥ってしまったんです」

 こうした状況に加え、かつてのように著名人を輩出できなくなっていた渋家。前代表は「渋家」の看板に重圧を感じており、運営への気力を失っていったと上梨さんは分析する。

◆「コロナに負けない」という思いから“2拠点化”発想へ

 しかし、上梨さんは解散決定以前から渋家のあり方に疑問を持っていた。

「コロナ禍でイベントの開催に踏み切れなくなってしまい、オルタナティブスペースだったはずの渋家が普通のシェアハウスになっているという思いがありました。しかし、『ニセNF』というイベントに参加し、そこでコロナ禍でも自粛をしないという選択肢があるのだと気づいたんです」

 「ニセNF」とは、延期が決定した京都大学の学園祭「京都大学11月祭」のパロディとして、2020年11月に京都で行われたイベントだ。学園祭がオンライン開催や中止に追い込まれるなか、小規模ながらあえてリアルの場で開催したことが特徴といえよう。野外会場で、かつ感染対策が講じられていたとはいえこの時期の開催には賛否の声もあるだろうが、大きな盛り上がりを見せ、参加者を楽しませるイベントだったことは間違いない。

「また、そこで渋家とのかかわりも深い方に出会い、実質的な渋家の消滅が決まりそうだと告げると『簡単に諦めて悔しくないのか。悔しいなら、お前が代表をやれ』と檄を飛ばされました。自分が先頭に立つことに葛藤はありましたが、考えていくうちに、これは自分にしかできないことだと思うようになったんです」

 こうした葛藤のすえ、上梨さんが思いついたのは「渋家を“東京周遊組”と“全国周遊組”に分ける」という発想だった。

「渋家はオルタナティブスペースを掲げていますが、それでも一つの住居に腰を落ち着けると『土地』に縛られている感覚はありました。そう考えたとき、『じゃあ、色々な街を移り住んで土地を変えてみよう』という発想に至ったんです」

 上梨さんと同じ志を持つ元渋家の住人がいたこともあり、2021年2月からは職場などさまざまな都合で東京を離れられない人たちの組織する「東京周遊組」と、全国を渡り歩く「全国周遊組」に分かれて活動していくそうだ。

◆コロナ禍でAirbnbの民泊が激安に

 「集団移住」といえば聞こえはいいが、引っ越しや移動の費用はどう工面するつもりなのか。

「ここでコロナ禍が活きてくるんです。インバウンド需要の消滅とオリンピックの延期により訪日客が激減。彼らを当てにして急増した民泊の多くが経営危機に瀕しています。そのため、以前ではありえなかった値段で集団生活可能な民泊を確保でき、今回の構想が実現しました。コロナのおかげですね」

 コロナ禍に苦しむ人が多いなか、その危機を逆手にとって“ニューノーマル”ならではの集団生活の形を構想したといえよう。こうしたコンセプトのシェアハウスはまだ数も少なく、成功すれば新たな暮らしのモデルケースになるかもしれない。

「まだメンバーは少ないですが、もっと多くの人を巻き込んで活気ある渋家にしていきたいです。クリエイターは特になのですが、テレワークの普及でどこでも仕事ができる時代になりつつあるので、興味のある方はぜひ声をかけてください」

 最後に、今後の渋家に関する展望を聞いた。

「将来の結果を考えて動いてはいません。今を全力で生きることしか考えてないですね。ただ、これまでの渋家には家という場所があったからパーティーがあったように、場所が変わればコミュニティも変わる。今後は場所の持つ可能性を追求していきます」

<取材・文/齊藤颯人>

<撮影/藤田直希、齊藤颯人>

【齊藤颯人】

上智大学出身の新卒フリーライター・サイト運営者。専攻の歴史系記事を中心に、スポーツ・旅・若手フリーランス論などの分野で執筆中。Twitter:@tojin_0115

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