終わらない原発被害、今国に求めるもの。生業訴訟・馬奈木弁護士に聞く

終わらない原発被害、今国に求めるもの。生業訴訟・馬奈木弁護士に聞く

時事通信社

 2011年3月11日から10年が経つ現在、東京電力・福島第一原子力発電所(福島第一原発)の事故について各地で集団訴訟が提起されている。国と東電、どちらも被告とした裁判では、高等裁判所の判決も分かれている。

 昨年9月には「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の仙台高裁での判決が、国と東京電力の責任を認め、被害を受けた住民に総額10億1000万円の損害賠償を命じた。また、2月19日の千葉県への避難者による千葉訴訟でも、東京高裁は国の責任を認めた。

 しかし、1月21日の群馬県への避難者による群馬訴訟では、東京高裁は国の責任を認めなかった。そこで、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)の弁護団事務局長を務める馬奈木厳太郎(まなぎいずたろう)弁護士に、国の責任を認めさせることの意味と、生業訴訟が何を求めているのかを伺った。

◆「長期評価」を軽視した高裁判決

 今年2月の千葉訴訟では高裁は国の責任を認める判決を出したが、1月の群馬訴訟では高裁は国の責任を認めていない。3件の高裁の判決のうち、「認めない」のは群馬訴訟のみ。認めるというのはわかるが、改めて、認めないというのはどういうことなのだろうか。

「この間、高裁で国を被告にしている判決が3件出ていて、1件目が昨年の生業訴訟で仙台高裁、2件目が今年1月の群馬訴訟での東京高裁、3件目が2月の千葉訴訟での東京高裁となります。

 改めて、特に国の責任を認めていない群馬訴訟の東京高裁判決ですが、二つの面で見る必要があります。まず一つが事実認定のレベル。東京高裁は、業界団体の基準でしかない、つまり“お手盛り”ともいえる津波評価技術を、地震防災対策特別措置法という法律に基づき専門家が取りまとめた『三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について』(長期評価、2002年7月)よりも優位に扱うという重みづけをしました。しかも津波評価技術に関して、『過去に地震の発生が確認されていない領域に将来の地震を想定するか否かの詳細な検討はしていない』と述べた専門家証人の証言を無視しました。

 要するに、福島沖の想定最大津波を検討せず、その点について何も述べていない津波評価技術を基準として、その立場から、津波地震について議論し想定津波を検討している長期評価の内容を根拠に乏しいと、長期評価の合理性を否定したのです。専門家証人の証言を無視したという点でも、津波評価技術と長期評価の違いを無視したという点でも、無理筋な事実認定だったと思います。

 なお、生業訴訟の高裁判決では、津波評価技術を策定した業界団体について、電力会社などの関係者も多数参加していることから、『原子力事業者を適正に監督・規制するための見解を策定するには不向きな団体である』と述べています」

◆住民の命や健康などを守るため経産大臣には規制権限がある

 そして、二つ目の問題として、「確保されるべき安定性の高さ」を指摘する。

「二つ目はより根本的な問題ですが、確保されるべき安全性の高さという観点です。群馬訴訟の場合はこれが低いのです。

 1992年に愛媛県の四国電力伊方原発の設置許可処分取消訴訟で最高裁が出した判決文に次のような一文があります。

『原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため』

 この一節は、生業訴訟はじめ他の判決では言及されることが一般的ですが、群馬訴訟では触れられていません。

 深刻な災害が『万が一』にも起こらないようにするために、経産大臣には規制権限が与えられていて、その権限が与えられている目的は、住民の生命や健康を守るためだという認識が、東京高裁では示されていないのです。

 そして、そうした認識からすれば当然の帰結なのでしょうが、『原子炉施設における津波対策は、一審被告東電を含む電力会社各社や一審被告国(保安院)において検討途上にあった』にもかかわらず、運転の継続が許されてしまうという、国や東電の黙認や放置を許容する評価となってしまっています。群馬訴訟の判決が、原発の安全性をどのように認識しているのかを象徴しているように見えます」

 国の責任を認めるのかどうかの分水嶺は、求められるべき安全性の水準にかかるのでは、とも指摘する。では国の責任、とは具体的にどのようなものだろうか。

「原発については、電気事業法で、経済産業大臣に権限を持たせています。ではなんのために権限があるのかというと、権限の適切な行使を通して、事故が万が一にも起こらないようにするためです。住民の命や健康などを守るため、大臣は権限を行使しなければならないのです。

そして、今回の事故の場合、事前に長期評価などによって警告が与えられていました。それにもかかわらず、大臣は何の対策もとらない東電に対策を採らせることをしませんでした。その不作為が違法だとして問題にしています」

◆生業訴訟が求める3つのこと

 三つの訴訟が最高裁を舞台に争うことになっているが、とくに生業訴訟については、今後はどのように訴訟を進めていくのか。

「生業訴訟は3つの目標を持っています。一つは『原状回復』です。この場合の『原状回復』は、2011年3月11日以前、例えば3月10日時点に戻せというのではなく、被害が生み出されるようなことのない状態にしてほしい、ということです。3月10日だと、事故は起きていませんが、被害の元凶たる原発は存在しているので、3月10日に戻せではありません。『原状回復』は、『放射能もない、原発もない地域を創りましょう』という広い射程で使っています。

 また、原発事故の被害を受けた皆さんが言うのは『自分の受けた苦しみを他の人に味合わせたいとは思っていない、自分を最後の犠牲者にしてほしい』ということです。これは、被害の根絶ですが、突き詰めると原発をどうするのかという問題になります。ですので、2つ目の目標としては、裁判上の請求として『原発を止めろ』と求めているわけではないのですが、裁判を通じた取り組みとして、脱原発を目標に掲げています。

 3つ目の目標としては、原告だけを救済すれば問題が解決したことになるのかといえば、原告以外にもたくさんの被害者はいるわけです。だから、原告にとどまらない、あらゆる被害者を救済せよという『全体救済』を掲げています」

◆人の命と企業の経済活動は天秤にかけられるのか

 さらには、全体救済のための制度化、立法化を求めていきたいとも語る。

「国も加害者だ、ということが法的に決着すると、国は法的義務として被害救済をしなければならなくなります。そして、事故による被害は多様で、お金だけの話ではありません。医療や生活再建、除染などについて、被害に即した形で、被害に見合った形での救済が必要となりますし、法律を制定し、制度化する、そうしたことを求めていくことになります。最高裁で判決を取っておしまいというわけにはいきません」

 原発事故の被害者たち全体を救済することは、経済優先で動いてきた、私たちの社会そのものを問うことにもつながる。

「人の命や健康よりも企業の経済的利益を優先させる、そんな社会のありようでいいのか、それを問題提起したわけですね。訴訟でも、『電力会社の都合、企業の経済活動と住民の命と健康を天秤にかけているのではないですか』『天秤にかけた上で企業の経済的利益の方を優先させているのではないですか』と問うています。

 しかし、そもそも人の命と企業の利益とは、天秤にかけられるような性質のものなのでしょうか。最高裁では、ここが焦点となります」

 さらに、福島第一原発の事故は、「未曾有の公害」として、過去の公害事件と共通する構造があり、であれば、脱原発であると同時に脱公害を求めることだとも語る。

「原発事故も水俣病のような過去の公害事件と同様の構造があります。国策があって、地域を独占するような企業があって、地域支配があって、企業の城下町みたいになっていて、御用学者みたいな人もいて、一種の利益集団のようなものが形成されている。

 『原子力ムラ』なんて言い方もありますが、国や企業の対応などをみても、あまり変わってないですよね。そうだとすれば、残念なことではありますが、公害を生み出す構造がまだ日本に残っていたということなのだと思います」

◆被害者にとっての「3.11から10年」

 3.11から10年、いま国に求めるものはなにか。

「10年とか節目とかという表現はメディアの人たちがするものであって、当事者の人たちからすれば、事故が収束しているわけでもないし、廃炉になったわけでもない。事故の原因も解明されていないし、被害も終わっていません。事故後の1日がまた積み上がった、というだけの話です。

 一方で変わったのは、裁判の話でいうと、提訴が2013年の311で、7年経ったということになりますが、生業訴訟では原告のうち100名近くの方がすでに亡くなっています。早期救済が達成できていないことにはやはり忸怩たる思いがあります。

 国はすでに2回も高裁で負けているわけですが、それでもまだ争う気なのか、と。東電も、何回も賠償金を支払え、と言われているのに、まだ争うのか、と。私たちはあと何回勝てばいいのか、あと何人が原告になれば争うことをやめるのか、という想いがあります。改めて、1日も早い救済が大事です。そのためにも国には責任があるという前提のもとに、救済のため一日も早く協議についてもらいたいと思っています」

<取材・文/福田慶太>

【福田慶太】

フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。

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