レジ打ちからホテル社長へ 元専業主婦社長が語る「埋もれた人材」

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今年7月、東京・新橋に開業した外資系ホテル「LOF HOTEL Shimbashi」。同ホテルを運営する日本法人の社長に、今年5月に就任したのが、薄井シンシアさん(62)だ。

社長として多忙な日々を送る薄井さんだが、じつは、14年前までは、家事と育児に専念する専業主婦だった。

仕事に復帰したのは07年、48歳のとき。初めは、夫の赴任地のタイ・バンコク。本人いわく「給食のおばちゃんからの再スタート」だった。その後、日本に戻り会員制クラブの電話受付、有名ホテルの副支配人、大手飲料メーカーのホスピタリティ担当などを歴任。4年前には『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』(KADOKAWA)という本も上梓。そして、ついに今年。企業のトップへと上り詰めたのだ。

はた目には、奇跡のキャリアアップに見えるが、当人にしてみれば必然だったようだ。今回の取材でも、そして、講演会に登壇しても、「専業主婦だったからこそ、いまの私はある」と力をこめる。

「複数の作業を同時に行うマルチタスクが求められる専業主婦ほど、クリエーティブな仕事はないんです。少子高齢化で人手不足のこの国で、専業主婦の持つ能力は、もっと注目されるべき。専業主婦は社会に眠っている財産です」

言葉どおり、社長に就任以来、観光業界で働いた経験のない多くの専業主婦やシングルマザーを、何人も採用してきた。彼女たちをサポートするため、職場に泊まり込むことも少なくない。

「オープン当初は毎晩、ホテルに泊まってました。毎日、ずーっと、ここにいましたよ」 こう言うとまた、薄井さんは朗らかに笑ってみせた。

■第一の使命と決めた子育ての末、娘はハーバードに。しかし、日本での再就職に難航

フィリピン・マニラで生まれた薄井さんは封建的な教育方針を持つ父に反発し、高校生の時に日本に国費留学を果たす。東京外語大に入学し、貿易会社に就職した。知り合った外務官僚の男性と結婚したのち、長女を出産。

「私、仕事大好きだから、戻るつもりだった。でも、子供の世話をするうちに、気づいたんです。『この人を育てることが、私の最大の使命なんだ』と。もし、失敗したら、私は一生自分を責めるだろう、それは受け止めきれない。それが、はっきりわかったから、専業主婦になる決断ができた」

以後、外交官の夫について海外を渡り歩きながら家事、育児に心血を注いだ。果たして長女はアメリカの名門・ハーバード大学に進学。

子育てから解放された薄井さんは「無理やり、退職させられたような喪失感を味わった」という。

「2つのことを考えました。1つは、もう専業主婦でいる理由はないということ。もう1つは、『将来、ママみたいになりたい』と言ってくれた娘に、一度、専業主婦になったらキャリアは持てないと思わせてはいけない、そう思った。専業主婦を経てもキャリアアップできると証明しないといけないと」

ちょうどそのころ、長女が通ったバンコクの学校から「カフェテリアで働かないか」と誘いを受ける。こうして「給食のおばちゃん」として仕事に復帰。そこで薄井さんは、持ち前のスキルを存分に発揮した。

「自分は英語もできたし、引く手あまたとまでは言わなくても、秘書かなにか、少なくとも仕事にはすぐ就けると思ってたんですが……」

11年に薄井さんは、バンコクのカフェテリアでの成功体験を持って日本に帰国した。そこから、改めてキャリアを築いていくはずが、もくろみは大きく外れてしまう。

「求人に応募しても、面接すら受けさせてもらえないんです。もう、何社落とされたかも覚えてない。半年間、来る日も来る日も、履歴書を送っては、片っ端から落とされ続けました」 先方から不採用の明確な理由を、告げられることはなかった。

「ほぼ間違いなく、52歳という年齢が理由だったと思う。それと長い期間、専業主婦だったことも」

薄井さんの履歴書には、30代初めから17年間の空白があった。

「でも、その間、何もしていなかったわけじゃないのにね……。世の中から『いらない』と言われてる、そんな気持ちになった」

心の奥にふつふつと湧いてくるものがあった。それは1人の人間を育て上げたという矜持。そして、強い怒り……。

「それでも、なんとか会員制クラブの電話受付、時給1千300円の仕事に就くことができました」

薄井さんは持ち前の真面目さ、そして主婦時代に培った能力をフル稼働。1年後には全体の売り上げの4割を、彼女が1人で稼ぐまでになった。13年には知人を介してオファーを受け、ANAインターコンチネンタルホテル東京に転職を果たす。ここでもわずか3年で、営業開発担当副支配人に抜擢されるまでに。その後も、ラグジュアリーホテルとして名高いシャングリ・ラ東京に転職。そして18年。薄井さんは日本コカ・コーラにヘッドハンティングされる。

「同社は、東京オリンピックとパラリンピックの大スポンサーですから。当初の予定では世界中から来日する大勢のお客さんたちをもてなす人間が必要だったんです。そこで、私がホスピタリティの責任者に選ばれたんです。

具体的な仕事は、会社が購入する観戦チケットの選定や発注、それにお客さんたちのためのホテルはもちろん、海外から来るスタッフの宿泊先を手配するのも重要な仕事でした」

真面目な薄井さんは、オリンピックやパラリンピックの全競技を改めて勉強し、分析。競技ごとの観客の熱中症の危険度まで調べ上げたうえでチケットを購入するなど、抜かりなく準備を進めていた。

ところが、いよいよオリンピック開幕のカウントダウンが始まろうとするころ、東京は、いや、世界は予期せぬ事態に見舞われてしまう。新型コロナウイルスの感染爆発にさらされたのだ。

「20年春に東京大会の1年延期が決定し、今年に入ると、本国アメリカのコカ・コーラの本社も、海外から東京にお客さんを送らないことを決めた。その時点で、私の仕事はなくなったんですね」

今年2月、薄井さんは失職する。61歳だった。

■レジ打ちのパートを体験。職場の主婦たちに“埋もれている人材”がいることに気づく

「年金がもらえるようになる65歳までは、働きたかったんですね。それで、インターネットで60歳以上の求人を調べたんです。出てくるのは、清掃、介護、保育、それに小売りの4つ。私にできるのは小売りだ、そう決めて、新規開店のスーパーの求人に応募し、レジ打ちのパートを始めたんです」

華やかな経歴を誇る薄井さん。スーパーの時給1千200円のパート仕事に就くことへ、何も思うところはなかったのか。

「抵抗感なんてまったくない。それこそが無駄なプライドです。そんなことで前に進めない、なんてことがあるとしたら、実績や経験は、ただのお荷物でしかない」 こう言って、声をあげて笑った。そして、こう続けた。

「それにね、レジ打ちって、思ってた以上に、私が体験したなかでもいちばん大変な仕事だった。会計だけでもすごく大変。現金、カード、電子マネー、扱い方がみんな違う。そのうえ、ポイントカードも。それらを全部、覚えないと、仕事にならないんですよ」

職場で出会った同僚のなかには、“埋もれる才能”と思える人材も。

「その難しいレジ打ちを苦もなくこなす人がいる。『ああ、もったいないな』『この人、もう一歩踏み出せば、違う世界があるのにな』って人が、いっぱいいた」

主婦たちの可能性に気づいた、ちょうどそのころだった。海外のエージェントを通して、外資系企業から「日本で新規開業するホテルの経営を任せたい」というオファーが舞い込んだのだ。

熟考の末、薄井さんは2つの条件を出した。

「1つは肩書。支配人ではダメ、日本法人の社長にしてほしいと言った」

理由は、同ホテルのブランド力の弱さだった。

「まだ、日本ではあまり知られていないホテルだったからね。それなら『給食のおばちゃんが14年で社長に』と、自分を前面に出したほうが、各方面から注目を集められる、そう思った」

もう1つの条件は「スタッフの採用は、自分に一任してくれること」だった。

「私はね、たくさんのチャンスをいただいてここまで来れたんですね。もちろん、運もよかったと思う。でも、運のよし悪しで片付けてしまうのは不公平ですし、それは私もいや。だから、本気で頑張る、そういう人にね、公平にチャンスをあげたいと思ったんです」

念頭にあったのは、理不尽な仕打ちに、ただ悔し涙に暮れることしかできなかった子供時代、それに、年齢や経歴だけで門前払いされ続け唇をかんだ10年前の自分の姿だった。そしてつい先日、目の当たりにした、埋もれる才能たちのことも。

先方は薄井さんの条件を、すべてのんだ。こうして、今年5月、薄井さんはついに社長に就任。さっそく、求人に動いた。

「いちばん最初に誘ったのは、やっぱり元専業主婦の40代の人。彼女はほぼ唯一の経験者。3年ぐらい前、私のホスピタリティ講座を受講して、その後、ある別のホテルで働いていた。でも、今回は管理職に就いてもらったから、彼女も大変だと思う」

ほかにも専業主婦やシングルマザー、フィリピン人と日本人の親を持ち英語はできるが日本語が不自由な女性や、家が貧しかったため学歴はないものの、ITスキルの高い女性も採用した。

「彼女にはね、うちの在庫管理の責任者になってもらいました。私ね、皆に言ってます。入口は皆一緒、給料も一緒。皆、経験ないのも同じ。だけど、仕事でミスをしない、責任を多く負う、そうした実績を重ねることで、給料もアップします、管理職にもなれますと」

ただ、なかにはすぐに脱落してしまう専業主婦もいた。

「最初に入った5人中、4人はもう辞めた。1人は『週2日勤務希望』という人。了承して採用したけど実際、働き始めたら『体力がもたない』とすぐに来なくなった。別の専業主婦は働き始めて2カ月たっても、ホテルの部屋のレイアウトすら覚えられなかった。

別にね、専業主婦全員が仕事を持つ必要はないと思う。でも、仕事がしたいと思うのなら、甘さを捨て、覚悟を持って来てくれないと。『こっちは皆、真剣。あなたの趣味に付き合う余裕はないんだよ!』、そう言いたい」

本誌の取材初日に入社したのは、薄井さんも認めるレジ打ちのプロフェッショナルだ。

「その人はシングルマザー。ある大手スーパーで7年間、レジ打ちをしてた人。おまけに、そのスキルを競う社内の大会で優勝したこともある。なのに、彼女はそのスーパーでほかの仕事は任せてもらえないし、正社員にもなれない……。私はね、レジ打ち経験者だから、どれだけ力がある人かわかるから、即採用した」

ここまで一気に話すと、薄井さんは目を大きく見開き、言葉に一層の熱を込めた。

「そういう才能をね、ずっと放っておいたそんな会社はね、悪いけどつぶれます。それは、日本社会全体にも言えることです。うちのような多様な人材を登用していかないと、会社も、社会も、どんどん淘汰されていくんですよ」

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