愛子さま“皇族としての自覚”育んだ「蚕飼育10年」と「平和の作文」

愛子さま“皇族としての自覚”育んだ「蚕飼育10年」と「平和の作文」

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半年ほど前、宮内庁はある写真を公開した。それは愛子さまがお住まいで育てられた蚕の写真だった。なんと愛子さまは学習院初等科3年生のころに授業で蚕を育てて以来、毎年、卵から孵化させ、何世代にもわたって飼育を続けられているのだという。

「宮内庁担当記者でさえ、愛子さまが10年以上も前から蚕を飼育されていたとは誰も知らず、驚きの声が上がりました」(皇室担当記者)

養蚕は、明治以降の皇后が代々受け継いできた皇室の伝統であり、雅子さまも美智子さまから引き継いで、皇居の紅葉山御養蚕所に通われている。

蚕業技術研究所の代田丈志さんによれば、蚕の保護には手間と知識が必要だという。

「卵から育てる場合には、適切な時期に孵化させる必要があり、温度管理がたいへん重要になります。孵化してからもこまめに掃除をして衛生的な飼育環境を整えたり、5月の給桑の時期には毎日様子を見て1日に1回をやったりといった手間が不可欠です」

登校不安が報じられて以降の愛子さまは、精神的な不安定さばかりがクローズアップされてしまった印象が強い。

だが、実はこのころから皇室の伝統に関心を抱き“皇族としての自覚”を深めていらしたのだ。

課外活動にも取り組まれるようになり、4年生のころには管弦楽部へ入部。5年生からはバスケットボール部での活動も始められた。

’13年の演奏会では、ビオラを演奏される天皇陛下ともオーケストラで共演を果たされた。このとき指揮をした学習院OB管弦楽団の音楽監督・福田一雄さんは「オーケストラでともに練習するお友達ができたことが、愛子さまが抱えられていた問題の解決に結びついたのでしょう」と語る。

女子中等科に進学されると、’16年には神武天皇山陵を参拝され、両陛下と一緒にご公務として「山の日」制定記念式典にも出席された。雅子さまもこの年、誕生日のご感想で《皇族としての自覚と役割を学びつつあるようにも感じます》と記されていた。

その“自覚”が感じられる、一つの作文がある。女子中等科卒業にあたって記念文集に寄せられた「世界の平和を願って」と題された、広島への修学旅行での経験を綴られた文章だ。

《何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない》

広島で原爆ドームや平和記念資料館を見学された愛子さま。そこで、原爆被害の甚大さ、悲惨さに衝撃を受け、怒りと悲しみを覚えたという。

《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》

両陛下は愛子さまに「感謝と思いやりを大切に」と、言い聞かせてこられた。その“感謝と思いやり”は、この作文のキーワードにもなっている。

「愛子さまは、その言葉が皇族としての心がけにとどまらず、平和の礎でもあると、ご自身の思索の中で気がつかれたのです」(宮内庁関係者)

■「家族から社会を知る」両陛下の子育てにあった信念

令和への御代替わりが近づくにつれ、雅子さまの体調は適応障害の療養を続けるなかで上向いていった。そして皇后となられてから、通訳なしで海外の要人や王族をもてなされるお姿に、国内外から注目が集まった。

ただ、完全に復調されたわけではなく、十二単などの装束で長時間にわたる儀式に臨まれるのは大きな負担であったはずだ。

「実は、愛子さまは早朝と深夜、儀式に向かわれる両陛下をお見送りされていたそうです。雅子さまにとって、何よりも心強かったでしょう」(前出・宮内庁関係者)

成長された愛子さまが、今度は皇后となられた雅子さまをお支えになったのだ。

雅子さまは、ご公務にお出ましになれない時期に愛子さまの付き添い登校をされたことで“国民よりも家族優先”などと批判されたこともあった。

なぜ、雅子さまはそれほどまで一心に愛子さまを守り抜かれたのか─―。そこには、天皇陛下の揺るぎないお考えがあった。

「私は、家族というものは社会の最小の単位であると思います。家族を理解することによって社会を知るということ、これはとても大切なことではないかと思います」

陛下は、愛子さまのご誕生に際しての会見で、家族の大切さをこう述べられていた。愛子さまに、皇族として国民を愛することができる人になってもらいたい─―。そのためにはまず、家族から“愛し、愛されること”を知る必要があると、天皇陛下と雅子さまはお考えになったのだ。

《様々な方と出会い、関わることを通じて、人と人とが互いに手を取り合い、交流の輪が広がっていく素晴らしさを学び、全ての経験が、今、私の財産となっています》

そう成年のご感想に綴られた愛子さま。この20年は愛子さまにとって、楽しい経験ばかりではなく、つらく、悲しい経験も少なくはなかったはずだ。それでも「私の財産」と受け入れ、国民に優しいまなざしを向けられるようになった陰には、天皇陛下、そして雅子さまが注ぎ続けた、大きな大きな愛情があったのだ。

コロナ禍に見舞われ、先の見えない不安な時代。愛情深く優しいプリンセスのはつらつとした姿が、日本を、世界を明るく照らす─―。

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