【御巣鷹山から37年】「なぜ、救助は翌朝に?」天国の夫に誓う墜落の真相究明

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  • 23
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    現在の常識だけで過去を語ってどうする?頭の悪いコメントが多すぎる。
    当時の交通網、紙ベースの地図、通信機材で事故現場の特定が短時間で行えるわけがない。暗視装置を装備していた米軍の救助支援を断ったのも当時の米軍に対する一般市民感情を考えればおかしなことではない。事故後20分で米軍ヘリが現場到着し20名の生存者確認なんて現代だって不可能なことを信じ、首都圏沿岸の民間航空の空域でミサイル実験が行われていたなどというおとぎ話としか思えないくだらない話を信じてしまう頭の悪さ。分散させて配置すべき油圧配管を集中させていた設計ミスはボーイングも認めており以降の航空機設計にも反映されており、外部からの攻撃以外ありえないなんて発言してるあ ほうにはホトホト困ったもんだ。。

  • 22
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    俺も14番の書き込みに同意する
    乗務員の中で唯一の生存者である落合女史の証言が全て抹消されていること自体不自然!
    それに圧力隔壁の破裂で作動油圧系統が全滅するなんてことはあり得ない!
    飛行機には天井裏と床下に2系統の作動油圧系統がある。その両方が一気に失われたと言うことは、外部から攻撃があったとみるのが正しいだろ。
    いずれにせよ「落合証言」の公開とフライトレコーダーの解析結果が公開されないうちは真実は分からないままだけどね。

  • 21
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    日航機行方不明の情報を知り、所属する会社の事務所に走った、無線で取材機を呼び出した。
    2 機の取材機が飛行中だったが、視界が良くないのと、目標が何所なのか判らないとの返答だった。墜落したらしいが、原因や場所は報道会社の情報でも当時は良くわからなかった。
    群馬県・山梨県方向の山岳地上空を取材機は捜索していた。2 時間程度しか燃料は無いので
    補給に基地に戻ると連絡があった。
    それからは夜を徹しての取材活動だったが、御巣鷹山近辺との情報は夜半を過ぎてやっとわかった。夜の山地は明かりも無く雲にも遮られて稜線の境が見えなかった事から、取材再会は夜明けを待った。それからは周知の通りの現実となった。
    同業者の端くれとして、事故は悲しい残念であった。ご遺族の方々に取っては忘れる事が
    出来ない現実でしょうが、何時か心の安らぎが訪れん事をと祈っている。

  • 20
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    日刊ゲンダイや女性自身は釣りやすい記事が多いので。

  • 19
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    16番さん
    見ていると、どうもニフと野島は、確たる基準ではなく、担当者の個人的な感覚や思考でコメント削除等を行っているようです。まあ優秀な担当者を早々雇えるわけもないでしょうけど。とんでもない酷いコメントが野放しになっている一方、この程度のものが何で? という事がしばしばありますよね。相手を罵倒するコメントは、極わずかの一定の単語を使わなければほぼOK。
    しかしそれよりも、トップページの記事の選び方が、わざわざ屑コメを煽るようなものになっていると思いませんか。その点最近のYAHOOの方がまだまともです。

  • 18
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    道なき山を、しかも墜落場所の特定もできないうちに歩き回るほうが、おかしいでしょう。
    救助者が遭難したら、助ける人はもういないんだよ。

  • 17
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    大学1年の時、安中出身の友人がいて、「道が尋常じゃないほど混んで、マヒしてるから帰ってくるな」と親に言われていたのを思い出す。
    お盆休みになってバイトが終わって帰ろうとしていた時間だった。
    当時は、どこに落ちたのかわからなくって、マスコミ連中が総動員で群馬方面に一斉に動いていた。
    確かに道路はマヒしていた。
    今だったらすぐにどこに墜落したのかわかるのかなあ?
    マレーシア航空が行方不明のままってのも、なんか不思議だよね。ミサイルさえどこで発射、どこに落ちたかわかるっていうのに。

  • 15
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    123便事故でアマゾンを探せば、事故の真相が判る。

  • 14
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    修士1年の夏、実験室で事故を知った。翌日朝、自衛隊員1名が射殺されたとニュースを聞いて驚いた。
    数年後、テレビ番組で、真相を知った。事故20分後には米軍ヘリコプターが現場上空へ到着し、生存者20名以上を確認し、救助が必要かどうかを政府に聞いた。それを拒否したのが中曽根総理。救助は翌日となり、生存者は4名(3名?)しか居なかった。不思議な事に、この生存者は、誰もテレビに全く登場しない。
    事故から20年が経とうとしていた2003年頃、不思議なインターネット画像に遭遇する。未発見とされた尾翼である。そして、事故の原因がミサイル発射実験に使われた標的ミサイルだったと。標的ミサイルが尾翼に命中したのだという。
    当時は、本当か?という認識だったが、本記事や各証言・書籍を見れば、これが真実であったと判る。中曽根は証拠隠滅に為に乗客を見殺しにした。自衛隊員は、見殺し命令を無視して救助に行き、殺されたのだ。

  • 13
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    よく分からないけど時効ってないのかな

  • 12
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    ボイスレコーダーはTV特番で公開されていたはずだが、この記事が本当なら、あの音声は作られた物だったのか?

  • 11
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    >8 >10
    たしかにまともな技術者・研究者なら「一点の曇りもない」などという言い方はしないだろうね。訴訟社会で徹底的に抵抗するはずの米国メーカーが、あっさり修理ミスを認めたので不自然に感じた記憶がある。自衛隊誤射説、米軍誤射説はいささか無理筋だが、報告書で壊れかたのメカニズムの説明に不十分な点があるのは今でも感じている。当時と比べると解析技術が進歩しているから、改めて解明する意味はあるだろう。

  • 10
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    あの頃、パソコン通信の今のTwitterみたいなもので、関係者の生々しい発言が聞けた。リアルタイムだったので、嘘はないだろう。ログも取っていないので、証拠は残っていないが。
    政府と米軍は安保に対する最大の危機だと感じたのだろう。
    結局、隔壁の強度不足か何かで決着したと記憶しているが、メーカーが自分の所の設計ミスを捏造するのは自殺行為なので、余程の事だろうと思っていたが、よく考えたら「ロッキード事件」も同じ会社だ。軍関係の売り上げが生命線なので、軍に頭が上がらないのだろう。そう考えると、米軍側の誤射の可能性の方が高いかもしれない。

  • 9
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    知性の貧困地獄を率先してつくってきたメディアが片腹痛いわ。

  • 8
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    「一点の曇りもない」拡散任務遂行、ご苦労。手当は茶封筒に。

  • 7
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    女性自身もネタ切れか?1985年の事故をわざわざ記事で持ってくるなんてね
    この事故は、現在で言う航空・鉄道事故調査委員会の公式見解が出ており、ボーイングも修理ミスを認めている。従って、この事故原因に関し一点の曇りもない結論が既にある
    自衛隊撃墜なんてまだ言ってる人間がいるとはね。アタマの程度が知れますわ
    社長が怯えてた?一方の話だけ聞いて記事にする相変わらずの低俗雑誌って凄いわ
    あとこの人、訴訟を今頃提起してどうするんですかね
    あの事故から既に長い時間が経過してるわけで、遺族の高齢化も進んでいる
    それでも未だ受け入れられない遺族もいるはずだし、たとえ受け入れても高齢化で御巣鷹登山を諦めた人も多いと聞く
    そのような他人のことを考えず自分の欲望だけで訴訟するなよ
    他人の寝た子をわざわざ起こすようなマネはどうかと思うがね

  • 6
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    テレビで言って居た男性や男の子の生存者は何処へ行ったのでしょうね。

  • 5
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    覚えています、それも、鮮明に!
    当時、結婚を前提にお付き合いしていた女性が、JALの方で、群馬県出身だったので、現地に召集され、ご遺族のお世話をされていました。
    長い間、離れていたためと、無残なご遺体に触れ、「自分だけ幸せにはなれない」との事でお別れしました。
    小生も、忙しいさなかで、あの時、同じ大阪に出張でしたが、彼女が飛行機便を予約してくれていたのですが、社内規定で東京ー大阪間は飛行機利用がNGだったので、新幹線で移動したのを覚えています。
    そのまま、飛行機に乗っていたら、今の私は居なかったかもしれません、運命とを非常に感じた事件です。

  • 3
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    米軍は夕方には現場特定できてて、政府に「救助に行こうか?」と聞いたら断られたんだよね。そして翌朝まで捜索に行かず、ほぼ全員が死んだ、と。この日航社長の「私が殺される」という発言も尋常じゃないし、どう考えても普通の事故じゃない、と感じる。

  • 2
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    この事故は鮮明に覚えている。
    なかなか墜落現場が特定できなかった。
    長男が赤ん坊のとき早朝、横浜から埼玉の実家に帰るとき首都高を走行中上空を何機ものヘリコプターが北に向かうのがわかった。探しにいくんだろうね。と妻と話したのをよく覚えている。
    長男は37を過ぎたんだな。独立してると子供の年齢も数えなくなってしまう。