小池百合子緊急インタビュー 本誌に語ったコロナ第二波への備え

小池百合子緊急インタビュー 本誌に語ったコロナ第二波への備え

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「スピード感」。本誌のインタビューで、都知事は何度もこの言葉を繰り返した。政界という荒波をくぐりぬけて、首都のトップにのぼりつめるにいたったのは、好機はもちろん危機であっても、迅速に動き、先手を打ってきたからだ。

都知事は、後手後手と批判されている政府のコロナ対策にも先駆けて都政を動かし、一定の効果を生んできている。そこに来襲が懸念される「第2波」――。

都知事は、恐るべき敵を抑え込めるだろうか。

「どんなときも前向きに『この試練を乗り越えれば成長できる』と思うことができれば、人間、強いものです。私自身、これまでの人生のいろんな局面で“崖から飛び降りる”覚悟で挑戦してきました」

17年2月の本誌インタビューでの都知事の言葉だ。

52年7月15日、兵庫県芦屋市で生まれた彼女の中学時代のあだ名は「ラージ」。スラリとした長身だったことからついたニックネームだが、その後の人生でも彼女は常に、崖から飛び降りる覚悟で“ラージ”な決断をしている。

17歳のとき、石油商をしていた父・勇二郎さんが衆院選に立候補。自宅に多くの人が出入りすることで、別棟で暮らすことになった小池都知事は母・恵美子さんにこう尋ねた。

「落選したら、どうなるの?」

母の答えも潔い。

「一家心中かしらね」

結果は落選。

お嬢様学校と呼ばれる私立甲南女子学園に通っていた都知事は、学内進学することなく関西学院大学社会学部に進学。そこも5カ月後に中退している。

「将来性のある言葉を学びたい」

と、いきなりエジプトのカイロ大学へ留学したのだ。

「卒業するまで帰ってくるな!」

両親は反対するどころか、こう言って娘を送り出した。リスクを恐れず、常に一歩、先へ飛ぶ。Don’tよりDoを尊ぶ両親のもとで、小池都知事は育った。

留学中には、第4次中東戦争が勃発。まだ20代。さぞ不安だったろうと思いきや、

「留学中に2度、乗るはずだった飛行機が墜落したり、撃墜された経験があります。そこで『人生いつ何が起きるかわからないのだから』という覚悟が生まれました。まぁ、普通に考えると、一般的な家庭であれば、一人娘をアラブには出さない(笑)。でも、今でもそういう両親のもとで育ったことをありがたいと思っているんです」(16年の取材時)と、語っている。

76年、エジプトから帰国後は、アラビア語通訳・講師として活動。PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長など、国際的要人のインタビューを次々に成功させ、マスコミの世界へと飛び込んでいった。26歳で『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)のアシスタント、35歳で、経済ニュース番組『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)の初代メインキャスターに抜擢される。

「私は自分自身を“リスクテイカー”と表現しているのですが、最初からダメだと思わないで、とにかく心に火がついたら『エイヤ!』と飛び込む。そのときこそが最大のチャンスなんです」(16年)。

幾度となく“崖から飛び降りる覚悟”で、新たな世界を切り開いてきた小池都知事。コロナという人類最大の危機に直面している今――。

「ウィズ・コロナ」のスローガンのもと、彼女は都民の新しい暮らし方を求め、奔走し続けている。

「ノー3密」を都知事が最初に提唱したのは、3月23日の臨時会見でのことだ。

「本日から4月12日までの3週間、《換気の悪い密閉空間》《多くの人が密集する場所》《近距離での会話》の3つの条件が重なる場所を避けるための行動をお願いしたいと存じます」

以後、都知事は繰り返し、「《密閉》《密集》《密接》、この3つの《密》を避ける」ことを強調。

囲み取材の際、報道陣が都知事めがけて密集するのを制止して、「密です、密です」と注意した場面は、瞬く間にネットで拡散。「ノー3密」は、コロナに打ち勝つ最善の方策として、世代を問わず、私たちの生活に定着した。

また、小池都知事は「ステイホーム」を強く呼びかけ、GWを「ステイホーム週間」と名付けて、「ステイホーム、ステイ・イン・東京、セーブ・ライブス」の3つのSを、新たなスローガンとした。政府の対応が遅いという批判が出るなか、政府に先駆けるように、都知事は都政を動かしてきた。

本誌のインタビューには、「国がやることと、目の前が現場である自治体ができること、しなければならないことには、若干、時差があるのかもしれません。ただ、総理や官邸にもずいぶんSOSを含め、お願いや報告をさせていただきました」

危機にひんしたときほど、人はその真価が問われるものだ。危機におけるリーダーの心構えについて小池都知事はこう語る。

「スピード感と、できるだけ大きく構えることが必要だと思っています。特に、今回のコロナウイルスについては、まだ、得体が知れないわけです。薬もまだない。ワクチンもない。都民の皆さんにとって、不安以外の何物でもない。そんななか、私が大きく構えることで、危機や不安がだんだん縮小していけば、それはむしろ安心につながると考えています」

たとえば、感染者数が増え始めていた4月上旬、医療崩壊につながらないよう、都は入院医療態勢の大規模な確保に乗り出した。重症度に応じた対応ができるよう医療機関の病床確保や、無症状や軽症の人を受け入れるためのホテル等の施設の確保を進めた。

「現在までに、3千300床の病床と宿泊療養用の2千800室のホテルの部屋を確保しております。いざというときに備えて大きく構えたほうが、皆さんの安心につながると考えました」

5月30日時点で、都内の宿泊療養者は20人に減ったため、段階に応じた病床数に縮小しているが、いつ第2波、第3波がやってこないとも限らない。そのために今でも大きく構え、備えている。大きく構えるお手本は、まだ東京が市だった時代、第7代東京市長を務めた後藤新平だという。

「後藤さんは、関東大震災で東京ががれきの山となったとき、誰も考えつかない途方もない規模で、震災後の東京を構築されました。『大風呂敷』と呼ばれながらも、結果、山手通りや明治通り、行幸通りができたんです。医師でもあった後藤さんは、日清戦争から帰還した二十数万人の兵士を、瀬戸内海の島で隔離し、コレラ感染などの検疫業務に携わった方でもあります」

「大風呂敷だ」「実現できるわけがない」と、最初から諦め、何もしないことよりも、高い理想を掲げて、果敢に行動する。それは小池都知事の生き方でもある。

「大風呂敷の後藤新平とは、風呂敷つながりでもあるんですよ。私は環境大臣時代、『エコバッグの代わりに風呂敷を使いましょう』というキャンペーンをしています。そのとき日本中から、さらにはアルマーニからも風呂敷が送られてきたんです。昨年は姉妹都市のパリで、風呂敷展まで開催しました。それが今度は日本中からマスクが集まってくるんです。もうね、山ほどいただきました」

5月25日、政府は首都圏の1都3県と北海道の緊急事態宣言を解除。ようやく全面解除となった。東京都は、22日に策定した都独自のロードマップ(行程表)に沿って、経済社会活動と都民生活の両立を目指す。

「これまで自粛ばかりお願いしてきましたが、今後は『自粛』から『自衛』。ぜひ、自らを守ることを心がけていただきたいと思います。それから、私のモットーに『備えよ、常に』があります。いつ何が起きるかわかりません。もし、感染したときにはどうするのか。そういう発想から、常に備えておくことが必要なのです。正しく恐れ、常に備える。それが今だと思うのです」

感染者の減少傾向を受け、6月1日、都のロードマップはステップ2に移行。店舗や小規模施設への休業要請が緩和されたが、残念ながら、わずか1日で、東京アラートが発動。レインボーブリッジが赤く染まった。

油断大敵。備えよ、常に。コロナとの闘いは、まだ続く――。

「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載

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