発達障害の息子を東大へ!“死を考えた”母子を救った医師の言葉

発達障害(ADHD)の息子が東大大学院に入学 「死を考えた」母子を救った医師の言葉

記事まとめ

  • 菊池さんは、発達障害(ADHD)の診断を受けた長男・大夢くんを、女手一つで育て上げた
  • 大夢くんは昨年春、北海道大学を首席で卒業し、東大大学院に入学を果たした
  • 菊池さんは心中も考えたが主治医に諭され、勉強は教えず、家事全般を覚えさせたという

発達障害の息子を東大へ!“死を考えた”母子を救った医師の言葉

発達障害の息子を東大へ!“死を考えた”母子を救った医師の言葉

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忘れ物が異常に多く、些細なことでキレ、列に並んでいることもできなかった息子が、東大大学院に。母は「私の子育ての何がよかったの?」というが、実は数々の工夫と、何より息子への変わらぬ愛と信頼があった――!

「いろんな人からよく聞かれるんですけど……、正直、なんであの子が東大に入れたのか、母親の私にもわからないんですよね」

秋田県潟上市在住の美容師・菊地ユキさん(51)は苦笑しながら、何度もこう繰り返した。

菊池さんは、地域で初めて発達障害(ADHD)の診断を受けた長男・大夢(ひろむ)くん(23)を、女手一つで育て上げたシングルマザーだ。母の苦労の甲斐もあって昨年春、大夢くんは見事、北海道大学を首席で卒業。そして、東大大学院に入学を果たした。

先日、子育ての思い出をつづった手記『発達障害で生まれてくれてありがとう シングルマザーがわが子を東大に入れるまで』(光文社)を出版した菊地さん。冒頭のコメントは「どうして息子さんは東大大学院に入れたのか?」という記者の問いに答えたもの。

「いったい私の子育ての、何がよかったんですかね〜」と、何度も首をひねる菊地さんだが、著書を手に大夢くんの幼少期を振り返ってもらうと、いくつかの特徴的な子育て法が見えてきた。

■「わが子は発達障害」と公に

「保育園時代から、とにかく忘れ物が異常に多くて。それに、些細なことでキレては友達に手をあげる。団体行動も苦手で、列に並んでいることもできなくて。発表会では大騒ぎした揚げ句、1人だけ退場させられたこともありました」

小学校に進んでも、状況は一向に改善しなかった。

「授業中、じっと席についていることができなくて、私はしょっちゅう、学校に呼び出されていました。ほかのお母さんからも苦情や嫌みを言われっぱなしでした」

菊地さんは1年生になった息子を連れ病院を受診。そこで大夢くんは「ADHDの疑いあり」との診断を受けるのだ。

「ショックというか、私自身、ADHDや発達障害について何も知らなくて。すぐに専門書を何冊も取り寄せて勉強したんです」

さっそく、学校にも出向いた。

「担任の先生に本を何冊か持参しました。大夢に近い特性が紹介された箇所や、どんなとき困ったことになるかが解説された部分にペンで線を引いて、『ここだけでも読んでください』とお願いしました」

担任から「クラスの子にも公表していいですか?」と聞かれ、菊地さんはこう即答した。

「いいですよ、恥ずかしいことじゃないですから」

包み隠さず公にしたことで、大夢くんを取り巻く状況は、少しずつ好転していった。菊地さんの著書には、当時の担任教諭が次のようなコメントを寄せている。

《お母さんが大夢くんに診断を受けさせて、それを学校や保護者に報告、公表されたことで、私たち教師や学校は、大夢くんが学校生活を有意義に過ごせるよう配慮することが可能になりました》

子どもたちも彼の特性を変わった個性と認め、「大夢はああいうやつだから」とクラスの一員として受け入れるようになったのだという。

■「1人で生きていく術を教えるだけでいい」と主治医は言った

小学校2年生のとき、県立の療育センターを受診した大夢くんは、脳波測定などを経てADHDの診断が確定。

「といっても、大夢の状態が急によくなるわけもなくて。相変わらず授業はまともに受けられないし、落ち着きをなくすと、ところ構わずゴロゴロ寝そべるし……」

長男の将来を悲観ばかりしていた菊地さんは、’97年に神戸で発生した連続児童殺傷事件の犯人・少年Aの両親の手記を読み、彼もADHDだったと知り、絶望のどん底に突き落とされた気分になった。

「大夢を残して先に逝けない、ならば、2人で死んじゃったほうが……、そう、思い実行に移しそうになったこともありました」

なんとか、思いとどまった菊地さんは、療育センターの主治医につらい思いをぶつけた。

「ちょっとしたことでキレて手をあげる大夢には、友達ができません。勉強だって授業をまともに受けられないから、きっとダメです。そんな子にこの先、生きていく価値なんてあるんでしょうか?」

すると、主治医は諭すようにこう教えてくれたという。

「たいがいの悪いことは、友達から学ぶもの。だから友達なんていなくたっていい。お母さんは勉強も教えなくていい。友達と遊ぶことも教えなくていい。ただ1つ、将来彼が1人で生きていけるように、その方法だけを考えて、教えてあげればいいんです」

菊地さんは当時をこう述懐する。

「先生の言葉に、どれだけ救われたか……。だから私は、あの子に勉強を教えたことは、ただの一度もありません。そのかわり、お米の研ぎ方など家事全般を、小さいころからきっちり覚えさせました」

菊地さんは、「私はなんにもしていないのに、気づけば東大大学院生になった」と笑う。だが、母の愛、それに数々の工夫が、彼の才能を花開かせたことだけは、間違いない。

「女性自身」2020年9月22日号 掲載

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