「この人を幸せに」池袋事故・松永さん語っていた家族の日々

「この人を幸せに」池袋事故・松永さん語っていた家族の日々

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19年4月に起こった池袋自動車暴走事故から1年半後、10月8日に飯塚幸三被告(89)の初公判が行われた。

各メディアによると、飯塚被告は「車に何らかの異常が起きて暴走した」として無罪を主張。遺族である松永拓也さん(34)は「車の不具合を主張するなら謝ってほしくなかった。2人の命と遺族の無念に向き合っているとは思えなかった」と会見で述べたという。

「病院に到着すると、結論から告げられました。『即死でした』と。もう、泣き叫ぶしかなかった」

こう語っていたのは、遺族の松永さんだ。妻の真菜さんと娘の莉子ちゃんを亡くした松永さんは、本誌20年5月5日号で家族との“最後の日”を回想してくれていたのだ。

事故当日の朝、いつもと同じ時間に出勤し、昼休みには日課のテレビ電話で真菜さんと莉子ちゃんとの会話を楽しんだ松永さん。公園にいた2人と「気を付けて帰るんだよ」「じゃあね」と交わしたが、それが最後の会話となった。

「僕のスマホに突如、警察から『奥さんと娘さんが交通事故に遭いました』という電話がかかってきたのは、午後2時ごろ。パニックになりながらも電車に飛び乗りました」

しかし、病院には2人の遺体が。顔に布がかぶせられており、覗いたところ真菜さんの顔は「ズタズタなんです、もう傷だらけで」。そして莉子ちゃんのことも確認しようとしたが、親族に「思い浮かべるときに、あのかわいい顔を思い出せなくなるよ」と声をかけられた。

「そうか、と思って。莉子は、業者の方から、遺体を修復するエンバーミングに『顔だけで3日かかります』と言われたほどのひどい損傷でした」

松永さんと真菜さんが出会ったのは13年夏。東京に住んでいた松永さんが、親族の集まりで沖縄に訪れた際、従兄弟の紹介で真菜さんと出会った。2人はいきなり6時間も語り合ったという。

「真菜はもっぱら聞き役でしたが、すべてを包み込むような温かみがあって、いわゆる僕の一目ぼれでした」

交際を申し込んだが2回断られた。真菜さんはお姉さんを若くして白血病で亡くしており、「家から離れるのがつらかった」と話したという。しかし、のちに交際へと発展。遠距離恋愛の末、15年2月に結婚式を挙げた。2人は当初、千葉市に住んでいた。

「真菜がときどき夜中に1人で泣いていました。自分の肉親も友達もいない千葉まで、沖縄から1人でやってきたわけじゃないですか。本当に寂しかったと思うんです。彼女を抱き寄せつつ、絶対この人を幸せにする、と胸に誓いました」

そんな真菜さんは腎臓の悪い松永さんを気遣い、無農薬野菜を取り寄せ、調味料も手作りしてくれた。さらに松永さんが“将来、家族を幸せにできるのか”と不安になり、涙を流したとき「幸せというのは、お金だけじゃないんだよ。私、今、すごい幸せだよ」と伝えてくれたという。

「わが妻ながら、僕は真菜を人間として尊敬していました。人の悪口や愚痴を言うのを聞いたことは一度もありません」

そして16年1月に、莉子ちゃんが誕生。「生まれた瞬間には、2人同時に『かわいい!』で、うれし泣きでしたね」と明かしている。

しかし、2人の命は突然奪われた。事故現場での実況見分で、杖を突く飯塚被告を初めて見た松永さんは、「高齢なだけでなく、あの足の状態で運転していたことがわかって衝撃を受けました」と述べている。

松永さんは飯塚被告への憎しみを明かしながらも、「憎しみを抱いている間は、相手だけにとらわれてしまい、それでは自分がしんどい」とも。さらに、こう話した。

「僕の中に残っている真菜や莉子の温もりや肌の感触が、僕が前に進もうとするときに、そっと背中を押してくれるんです」

そして行われた初公判で、飯塚被告は無罪を主張した。

愛する家族との思い出を胸に――。松永さんの戦いは、まだ始まったばかりだ。

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