【追想 堺屋太一】「先生、これは、あきません」 堺屋太一さんの告別式 心に染みた橋下徹氏、安藤忠雄氏の弔辞

【追想 堺屋太一】「先生、これは、あきません」 堺屋太一さんの告別式 心に染みた橋下徹氏、安藤忠雄氏の弔辞

弔辞で涙ぐむ橋下氏=2月17日、東京・青山葬儀場

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 令和時代は、昭和や平成の蓄積のうえにある。通産官僚や経済企画庁長官、作家、評論家として両時代を牽引した「知の巨人」、堺屋太一(本名・池口小太郎)氏が亡くなって、まもなく3カ月になる。仕事やプライベートで親交の深かった、元NHKキャスターの松平定知氏が追想する。

 2月8日、堺屋太一さんが亡くなった。多臓器不全。享年84。

 10年ほど昔、私はNHKで「その時歴史が動いた」という番組を担当していた。堺屋さんにはゲストとして何度も登場してもらった。今回、その番組関係者から「お聞き及びでしょうが…」と連絡が入った。お聞き及びどころではない、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。

 「心臓の具合があまりよくない」という話は、実は少し前から聞いてはいた。でも、こういう時は大抵、「そういうもの」なのだが、今思えばすべてがあとの祭り。お見舞いを兼ねて久しぶりに…と思っていた矢先のことだった。

 83歳の寿命は、今のご時世、決して「不足のない数字」ではない。ただただ、ご冥福をお祈りするばかりである。

 2月17日、日曜日。東京・青山葬儀場で告別式が行われた。私は16日と17日、東京を離れての仕事が入っていた。でも、「葬儀には、ぜひ参加したい」という強い要望を受け入れ、関係者が手を尽くしてくれ、何とか参列できた。

 式場では、堺屋さんとの別れを、みんなが心底悲しんでいた。中でも、橋下徹・元大阪市長と、建築家の安藤忠雄さん(=安忠さん)の弔辞が心に染みた。

 大阪が地元の堺屋さんは、一貫して橋下さんの熱心な応援団として知られた。橋下さんの第一声は「先生、これは、あきません」だった。一呼吸あって、「先生に、大阪万博の(開会式の)テープカットに立っていただきたかった」と涙声で続け、「情熱こそが人を動かし、ことを動かすのだということを教えていただいた。ありがとうございました」と感謝の思いを伝えていた。

 安忠さんは、堺屋さんとともに「明日の、魅力ある大阪」を「型」として残すべく、尽力していた。大阪・天神橋にある堺屋事務所が入ったビルは、安忠さんの設計によるものだ。

 安忠さんはこれまで何回も大手術をしている。何かの受賞パーティーで、「今や私の体内には、臓器はほとんどありません」とあいさつされたこともある。かつて、大和ハウス工業の樋口武男会長との宴席で「今日は、あんたも知ってる方もみえる」と言われたので、どなただろうと思っていると、大手術から間もない安忠さんが来られ、恐縮しきった。

 友人を大切にする信義の人・安忠さんは、告別式で「もう一度、堺屋さんの本を読み込もう」と、くぐもった声で言われた。中央の祭壇には、洋画家である史子夫人の絵を背景に、和やかな表情の堺屋さんが私たちを見ていた。

 今回は、堺屋さんとのことを4回、徒然なるままに…。

 ■松平定知(まつだいら・さだとも) 1944年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、69年にNHK入局。看板キャスターとして、朝と夜の「7時のテレビニュース」「その時歴史が動いた」などを担当。理事待遇アナウンサー。2007年に退職。現在、京都造形芸術大学教授などを務める。著書に『松平定知朗読「サライ」が選んだ名作集』(小学館)、『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書)など。

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