【追想 堺屋太一】「巨人、大鵬、卵焼き」生み出した“キャッチの名人” 若手官僚時代に手掛けた大阪万博「石田三成を手本に」

【追想 堺屋太一】「巨人、大鵬、卵焼き」生み出した“キャッチの名人” 若手官僚時代に手掛けた大阪万博「石田三成を手本に」

大阪万博のシンボル「太陽の塔」。若き日の堺屋氏が万博を手がけた

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 堺屋太一さんは、もともと通産省(現・経産省)の官僚だった。1970年に日本で初めて開かれた「万国博覧会(大阪万博)」は、堺屋さんが若手官僚時代に手掛けた大仕事である。

 私はNHK入局2年目で、初任地の高知放送局時代。完成した室戸スカイラインと、大阪万博会場を結んで中継放送をした。私にとって初の全国中継で、東京の両親に仕事を見てもらった最初だった。自分史にとっても、忘れられない大仕事といえる。

 「大阪万博は、石田三成を手本にしたのです」

 これは後日、堺屋さんがしみじみと語られたことだ。

 三成の、決して派手ではないがコツコツと事実を積み重ねていく努力が、関ヶ原当時、(豊臣秀吉亡き後)の五大老のトップだった徳川家康の東軍を向こうに回して、西軍に同等以上の兵力を集めることにつながった。背景には、三成の緻密なネゴシエーション力があった。

 堺屋さんは「あの万博では、三成の顰(ひそみ)に倣い(=まねをして)、『大組織を有効に動かすには、全体の組織を活性化させる小さな組織を、それぞれの分野で精巧につくり、十全に機能させることこそ肝要』と考え、それを断行したまでのこと」と言っていた。

 75年、通産官僚時代に名前を隠して書いた小説『油断!』で文壇デビュー。その後、通産省を辞めて、本格的に作家・評論家の道に進んだ。

 小渕恵三内閣、森喜朗内閣では、経済企画庁長官も経験した。堺屋さんは選挙で当選したプロの政治家ではないが、「経済における識見」を大いに買われたのだった。

 大臣時代の記者会見でも、テレビ出演や討論会でも、堺屋さんの発言は極めて分かりやすかった。いわゆる、「キャッチの名人」だった。

 官僚時代の61年、経済報告の記者会見で、堺屋さんは「多くの子供たちはみんな、(抜群の強さを誇った)プロ野球の巨人と大相撲の大鵬。それに(甘くておいしい)卵焼きが好き」と語り、それが高度経済成長期の日本の雰囲気を表す言葉「巨人、大鵬、卵焼き」として広まった。

 今なら確実に「流行語大賞」だっただろう。

 このほか、76年に世に問うた小説『団塊の世代』も、多くの人の耳目を集めた。これは第一次ベビーブーム(47〜49年)に生まれた世代を指す言葉だ。「団塊の世代」の「塊」の字を、魂(たましい)と見間違えて「こん」と読んだ他局の女性アナウンサーをテレビで見て、私は思わず「おおーっ」と叫んだ記憶がある。

 ちなみに、「団塊」は、地質学用語「nodule=ノジュール」が語源で、周囲と成分の異なる塊のこと。なお、麺は「noodle=ヌードル」。老婆心ながら。

 ■松平定知(まつだいら・さだとも) 1944年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、69年にNHK入局。看板キャスターとして、朝と夜の「7時のテレビニュース」「その時歴史が動いた」などを担当。理事待遇アナウンサー。2007年に退職。現在、京都造形芸術大学教授などを務める。著書に『松平定知朗読「サライ」が選んだ名作集』(小学館)、『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書)など。

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