【追想 堺屋太一】「その時歴史が動いた」2ケタのゲスト出演した堺屋太一さん 収録後の夕食歓談で伺った“超一級の話”

【追想 堺屋太一】「その時歴史が動いた」2ケタのゲスト出演した堺屋太一さん 収録後の夕食歓談で伺った“超一級の話”

堺屋太一氏

★(3)

 「月日が経(た)つのは早いなあ」と、最近しみじみ思う。特に古希(70歳)を越してから、その速度は加速したように思える。

 かつて、私はNHKで「その時歴史が動いた」という情報番組を担当していた。職員としての最晩年に丸9年(2000〜09年)、司会やナレーションを務めた。

 NHKでは、1人のキャスターに同じ番組を長期間担当させるよりも、3年程度の周期で、多くの人間に経験を積ませることが暗黙の了解だった。

 それまで、この種の番組の連続放送記録は、先輩の鈴木健二アナウンサーの「歴史への招待」の6年(1978〜84年)が最長だった。1人のキャスターで9年間連続という数字は、当の本人がびっくりするほど異例なことで、今でも最長記録を保持している。

 私にとって忘れられないこの番組に「2ケタ」回、ゲストとして出演してもらった1人が、作家の堺屋太一さんだ。堺屋さんは、忠臣蔵を題材として大河ドラマの原作となった『峠の群像』や『秀吉』『豊臣秀長』(いずれも文藝春秋)など、数多くの歴史小説を執筆していた。その該博な知識と鋭い歴史観には、いつも驚いたものである。

 9年も続いた番組なので、複数回登場したゲストは何人もいるが、さすがに「2ケタ」となると、歴史学者の小和田哲男さんと、昭和史・幕末史に精通する作家の半藤一利さん、堺屋さんの3人しかいない。

 この番組はNHK大阪放送局で制作されていたので、私は当時、毎週火曜日の朝10時の新幹線で大阪に行き、番組を収録して木曜日に帰京するというスケジュールだった。こうした生活の中での大きな楽しみはといえば、ゲストの方々とのグラスを傾けての夕食歓談だった。

 堺屋さんとは、よくご一緒させていただいた。天神橋にある堺屋事務所の近くにある瀟洒(しょうしゃ)なフランス料理屋さんには、何度も通った。おいしいワインと料理をいただきながら、超一級の話を、私だけが伺うことができる。こんな贅沢な時間はなかった。

 その中の1つに、第2話で披露した「大阪万博と石田三成」の話があった。もう一つ、忘れられないのが「享年方程式」だ。

 その話は、ぜひ次回に。

 ■松平定知(まつだいら・さだとも) 1944年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、69年にNHK入局。看板キャスターとして、朝と夜の「7時のテレビニュース」「その時歴史が動いた」などを担当。理事待遇アナウンサー。2007年に退職。現在、京都造形芸術大学教授などを務める。著書に『松平定知朗読「サライ」が選んだ名作集』(小学館)、『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書)など。

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