医療から帰農促す水路建設…中村医師、アフガンに尽くした半生

 アフガニスタンで4日朝に、武装した男らに銃撃され死亡した非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の中村哲医師(73)は現地で長く貧困層への医療活動に従事してきた。灌漑(かんがい)事業などにも幅広く携わり「最大の英雄」として、アフガン政府から勲章も授与されていた。「今後も、やり続けるだけだ」。中村さんは志半ばで銃弾に倒れたが会のメンバーらは、その遺志を継ぐ考えだという。

 ■「穏やかな目、現地では一変」

 「正直な所、信じられない。無念というか、やはり、一連の事業は『中村哲』という人物でなければできなかった」。ペシャワール会の理事、福元満治さん(71)は、絞り出すように語った。

 一報は昼過ぎに現地スタッフからもたらされたという。福元さんは「胃がひっくり返る思いだった」と振り返る。ただ、当初は「命に別条はない」とする情報が流れたが、夕方には「死亡」が確認された。

 福元さんは「日本では穏やかな目をしているが、現地では一変する。厳しいながらも優しさのある指揮官だった」と振り返る。

 ■84年からアフガン国境で活動

 九州大学の医学部を卒業した中村さんは、1984年にアフガンの国境に接するパキスタンでハンセン病患者らへの医療活動を始めた。内戦が続くアフガンから流入する貧しい難民らの診療も続け、91年にはアフガンに診療所も開設した。

 2000年に大干魃(かんばつ)が発生すると、感染症が蔓延(まんえん)するなどし乳幼児らの犠牲者が続出。その惨状を目の当たりにした中村さんは井戸を掘る事業にも携わるようになったという。

 満足な機器がなくても水を確保できる方法を試行錯誤し、用水路掘削に尽力してきた。現地の若者らの心も動かし、今でも200〜300人が掘削に従事しているという。

 ■200万人の雇用生み出す

 産業が少なく、若者らがゲリラに身を投じざるを得ない情勢の中、一連の事業は200万人もの雇用を生み出した。荒れた大地を潤し、周辺では帰農も進んでいる。

 福元さんは「アフガンはかつて豊かな農業国だった。しかし今は大干魃によって難民か傭兵にならざるを得ない。民心はすさんでいる。活動によってアフガン人が生活できる空間作ることが最大の使命だ」と語る。

 そして、中村さんは70歳を超えた今も現地で先頭に立ち、使命を全うしようとしていた。「最大の英雄」「最も勇敢な男」。アフガン政府は勲章を授与し、大統領は、中村さんを、こうたたえていた。

 「現地のスタッフと相談しながら、今後のことは決めていきたい。しかし、このことによって、この事業が中止になることはない。あくまでも事業を継続する。それが中村医師の遺志だろうと思う」。福元さんは、悲しみの中にも、そう力を込めた。

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