川崎20人殺傷事件、犯人は「一人で死ぬべき」だったのか 社会に突きつけられた「8050問題」

川崎20人殺傷事件、犯人は「一人で死ぬべき」だったのか 社会に突きつけられた「8050問題」

「令和元年のテロリズム」より(撮影・山谷佑介)

■岩崎と伯父夫婦の最期の会話は


 令和元年5月28日に起きた川崎20人殺傷事件。犯人の自殺により動機の解明が進まない中、ネット上を中心に「一人で死ね」という言葉を巡る議論が活発化した。果たして事件は犯人から我々への“メッセージ”なのか――。令和元年に起こった象徴的な事件を追うノンフィクション『令和元年のテロリズム』(新潮社)を刊行したライターの磯部涼氏によるルポ。連載第3回。

(磯部涼『令和元年のテロリズム』(新潮社)より抜粋)

※取材は令和元年8月に行われた

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 ここ20年の隆一の消息について取材することは暗闇の底を覗き込むようなものだ。平成2年に祖父が亡くなり、平成9年には祖母が亡くなった。隆一が多摩美に戻ったのはその後のことである。従姉兄は既に家を出ており、伯父夫婦との3人暮らしが始まる。以降、平成10年前後から引きこもりの状態になっていったと思われ、時折外出する姿を近隣住民が見かけた以外、証言はほぼ途絶える。そんな中、まずはっきりと目につく動きをしたのは伯父夫婦だった。

 事件直後に行われた川崎市の記者会見によると、平成29年11月、メンタル・ヘルスの問題について当事者や家族の相談を受け付けている同市の〈精神保健福祉センター〉に、隆一の伯父夫婦から電話がかかってきた。彼らは「高齢のため訪問介護を受けたいが、家に“引きこもり傾向”で“直接の会話がほとんどない状態”の親族がおり、そこに介護スタッフが入ってきても大丈夫なものなのか」と心配していたという。以降、事件発生4カ月前の平成31年1月までにやり取りは電話で6回、面談で8回、計14回行われるが、伯父夫婦が隆一を刺激したくない意向を持っていたため、センター側は彼に直接会おうとは考えなかった。

 岩崎家への訪問介護サービスが始まったのは平成30年6月。伯父夫婦は近い将来に介護施設へ移ることを念頭において候補先の見学も積極的に行っていた。彼らにとって、隆一をどうするかは差し迫った問題だったのである。具体的な行動としては平成31年1月、センター側の提案を受けて、隆一の部屋の前に今後についての意思を問いただす手紙を置いている。そしてそれを読んだ隆一は伯父夫婦の前に姿を現し、「自分のことは自分でちゃんとやっている。食事や洗濯だって。それなのに“引きこもり”とはなんだ」と言ったという。文字面で見ると強い言葉に感じるが、伯父夫婦は担当者へ「本人の気持ちを聞くことができて良かった。しばらく様子をみたい」と報告したとのことで、センター側もそれ以上は働きかけなかった。しかし隆一の言葉は今思えば宣戦布告でもあった。程なくして彼は犯行の準備を始める。事件前、伯父夫婦と顔を合わせたのはその反論の際が最後だった。


■包丁2本を購入、犯行現場の下見へ


 平成31年2月、隆一は自宅の最寄り駅=読売ランド前駅から下りで6駅離れたターミナル駅であり、引きこもる前にひとり暮らしもしていた町田駅近辺の〈東急ハンズ〉に向かい、刃渡り30センチの柳刃包丁2本を購入している。店は事件後に押収された空箱の値札から判明したが、合計で3万円近くする高価なものだったといい、殺傷能力を重視したと考えられる。隆一の足取りで次に確認できているのは、改元を挟んで事件の4日前にあたる令和元年5月24日、金曜日の朝だ。読売ランド前駅と事件現場の最寄り駅となる登戸駅、そして事件現場周辺の防犯カメラにその姿が映っていた。

 犯行の下見として、カリタス小学校のスクールバスを待つ児童の様子を確認しに行ったと思われるが、同小学校は翌日の土曜日が運動会。週明けの月曜日は振替休日だった。隆一が月曜日に登戸駅に降り立った様子はなく、犯行は火曜日に行われる。つまり、彼はカリタス小学校のスケジュールを把握していたことになる。凶器の事前購入と合わせて、計画的犯行であった証拠だ。パソコンも携帯電話も持っていなかった彼だが、入念に情報を収集していた。後述する通り、登戸駅から犯行現場に向かうルートも練られたもののように思える。


■犯行当日に岩崎から挨拶された近隣住民


 令和元年5月28日の午前7時頃、隆一は多摩美の自宅を出た。時系列を遡ると、前年の夏――それは岩崎家への訪問介護サービスが始まった時期だが、同家近隣の40代の女性は隆一とトラブルになったという。彼女の証言によると、早朝、何度もインターフォンが鳴った。女性の夫がドアを開けると、隆一が「庭から道路にはみ出した木が目に入った」と怒鳴り散らし、口論は30分近く続いた。隆一に関する証言の中でも、特にその不安定で激しい面をうかがわせるものだ。そして犯行当日の朝、隆一はその女性とでくわしている。女性がゴミを出していると、隆一が黒っぽい格好で自宅の門扉を開けて出てきた。女性に気付いた隆一は「おはようございます」と言い、そのまま立ち去った。至って普通のやり取りだが、隆一がそんなふうに挨拶をしてきたことは初めてだったので、女性は妙に思ったという。

 その後、隆一は事件現場へ直行したと見られる。多摩美の急な坂を下り、読売ランド前駅で新宿方面行きの小田急線に乗って、3駅先の登戸駅で7時半頃に下車。改札を出て階段を降りれば、駅の西側に出る。当時、登戸駅周辺では大規模な再開発工事が始まろうとしていた。隆一はその数週間後には取り壊されてしまった商店街を抜けて行ったはずだ。通りの外れには移設作業の告知が貼られた地蔵があって、右手が南武線の踏切になっている。その線路を渡って数十メートル行くと幹線道路に突き当たるので、歩道を左手に進めばカリタス小学校のスクールバスの停留所に辿り着く。

 しかし、隆一は線路を渡った後、すぐ左手に曲がり、南武線沿いに続く裏道を歩いて行ったようだ。この途中で滑り止めの作業用手袋をはめた。そして3つ目の角で右手に曲がると、幹線道路沿いにあるコンビニエンス・ストアの駐車場に出る。隆一はそこにリュックサックを置くと、包丁を取り出して両手に持ち、幹線道路の歩道を駅へ戻る形で走り出した。その先にはバスを待つ児童や保護者の背中がある。バスは駅の方向からやってくる。列はそちらを向いていた。要するに隆一が駅から幹線道路の歩道を歩いてくれば、児童や保護者と対面してしまう。彼は背後から奇襲するために、裏手のルートを選んだのだろう。

 隆一はまず保護者の男性の背中を刺した。続けてもう一度。男性は突然の衝撃に振り返ったところ、胸に包丁を突き立てられる。この傷は心臓まで達した。さらに首を刺される。次に隆一はまだ列に加わっていなかった児童に駆け寄り、やはり首を深く刺す。その次には保護者の女性を刺した。そして走りながら、列をなす児童たちを次々に切りつけて行く。バスの入り口ではカリタス小学校の教頭が乗車の誘導をしていた。彼は後方からの悲鳴を聞き、驚いてそちらを見ると、男が両手に包丁を持って児童たちに襲いかかっていた。バスの運転手も騒ぎに気が付き、「何をやっているんだ!」と怒鳴る。すると、隆一はあっさりと攻撃を止めて駅に向かって走り出し、スクールバスの停留所から20メートル程離れた川崎市営バスの停留所を越えた辺りで、両手の包丁の刃を自分の首に向けた。そして、ためらうことなく深く突き刺すと、一気にかき切った。犯行開始からここまで、ほんの数十秒間の出来事だった。


■岩崎が残した不可解な謎


 当初、隆一は犯行時に「ぶっ殺してやる」などと叫んでいたと報道されたが、実際は終始無言だったようだ。特定の人物を狙った様子もなく、その点では確かに無差別殺傷事件だった。ただしこれまで書いてきた通り、犯行は通りすがりではなく現場の下見も含めて計画的だ。無差別殺傷事件の犯人はしばしば動機として“誰でもよかった”と口にするが、隆一の場合はカリタス小学校を標的と定めることに何らかの理由があったことは間違いない。ちなみに、ポケットに裸の10万円が入っていたのは犯行後の逃走を考えていた可能性もあり、自死に関しては衝動的なものだったのかもしれない。

 いずれにせよ、これ以上推測するにはやはり情報が足りない。「両親に見捨てられ、親族に差別され、学校でいじめられ、その後、20年にわたって引きこもった男が恨みを晴らすため、かつて従姉が通っていた私立小学校を標的に殺傷事件を起こした」という分かりやすい物語に事件を回収することはできない。黙々と20人を殺傷した男は、結局永遠に沈黙し、後には計り知れない悲しみと不可解な謎が残されることになった。

 ここ20年の岩崎隆一について取材することは暗闇を覗き込むようなものだ。それは深い、底が見えない穴だ。我々は彼がいた暗闇の奥にじっと目を凝らすしかないのか。隆一は30年と4カ月続いた平成の約3分の2を、雨戸を閉め切った6畳間にひきこもって過ごした。そして元号が令和へと変わり、彼が深く暗い穴から4本の包丁を入れたリュックサックを背負って出てくると、穴の底に溜まっていた淀んだ空気も外へ漏れ、広がった。殺傷事件が起こると共にこの国が抱え込んでいた問題が露呈したのだ。


■犯行が社会に突き付けた「8050問題」


 社会学者の小熊英二は編著者を務めた『平成史』(河出書房新社、平成24年)の総説において、「平成」時代を象徴する言葉に「先延ばし」を挙げる。西暦でいうと1989年1月8日から2019年4月30日までの期間にあたるこの元号は、「1975年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を拒み、問題の『先延ばし』のために補助金と努力を費やしてきた」。「老朽化した家屋の水漏れと応急修理のいたちごっこにも似たその対応のなかで、『漏れ落ちた人びと』が増え、格差意識と怒りが生まれ、ポピュリズムが発生している」。「だが『先延ばし』の限界は、もはや明らかである」と。川崎殺傷事件は犯人=岩崎隆一の自死によって早々と迷宮入りした一方で、社会に対して課題を突きつけた。そのひとつが、いわゆる“8050問題”である。同問題もまた平成の間、「先延ばし」にされ、「限界」に達しているもののひとつだ。

 8050問題――あるいは7040問題とは、引きこもりが長期化した結果、当事者が40代〜50代に差し掛かって社会復帰が更に困難になる上、それを支える親も70代〜80代と高齢化、介護の必要に迫られ、家庭環境が崩壊しかねないことを危惧するものだ。ちなみに“引きこもり”という言葉が公文書で使われるようになったのは平成の始め。その後、同元号を通して抜本的対策が打てなかったことは、改元直前の平成31年3月に内閣府が発表した、40歳から64歳の引きこもりが推計で61万3千人存在するという衝撃的な調査結果に明らかである。平成28年には、引きこもりは若年層の問題だとして対象を15歳から39歳に絞り、54万1千人という調査結果を出していた。しかし中高年層の事例の指摘が相次ぎ、いざ上の世代を調査してみると、重複する部分もあるものの若年層以上の数が存在したわけだ。また、5割が7年以上、2割弱が20年以上にも亘って引きこもり続けていることが分かった。この調査は当事者に回答をさせる手法で、引きこもりの自覚がないものは対象外。数字は氷山の一角だという指摘もある。そして内閣府の発表の2カ月後、まさに7040/8050問題を体現するような男が殺傷事件を起こしたのだ。

 事件後、メディアは岩崎隆一に関する新しい情報が得られないこともあって、7040/8050問題を盛んに取り上げていくようになる。それに関して、同問題の命名者とされるソーシャルワーカーの勝部麗子は、引きこもりへの早急な対策が必要だという前提で、「引きこもりと事件の動機との因果関係は分かっていない」「当事者はそれぞれ異なる事情を抱えている。誰もがこうした事件を起こすという偏見が助長されることを危惧する」と警鐘を鳴らした(*11)。


■「一人で死ね」というキーワード


 もうひとつ、川崎殺傷事件を語る際のキーワードとなったのが「一人で死ね」だ。テレビでは著名人から隆一に対して「死にたいなら一人で死んでくれよ」「自分一人で自分の命を絶てばすむこと」「死ぬのなら自分一人で死ねってことはしっかり教育すべき」「人間が生まれてくる中で不良品って何万個に1個、これはしょうがない。こういう人たちはいますから絶対数。もうその人たち同士でやりあってほしい」(*12)といった発言が相次ぐ。同様の言葉はインターネット上でも多く見られたし、隆一の生い立ちや7040/8050問題との関係で言うと、「同じような環境で育ったり、同じような境遇で苦労している人間が皆、殺傷事件を起こすわけではない」といった意見も多かったが、これは先の勝部の警鐘と似ているようで、突き放すようなニュアンスが大分違う。

 一方、『下流老人』(朝日新聞出版、平成27年)などの著作で知られる社会活動家の藤田孝典は「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」(*13)という文章を発表。誰に対しても「社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など一人もいない、という強いメッセージを発していくべき」「自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない。社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意を」と書いて、犯行を個人の問題に還元するのか、社会全体の問題として包摂するのか、議論が起こる。

*11 「産経新聞」令和元年5月31日付朝刊より引用

*12 順に、立川志らく(TBS系「ひるおび!」、令和元年5月28日)、安藤優子(フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」、5月28日)、橋下徹(フジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」、6月2日)、松本人志(フジテレビ系「ワイドナショー」、6月2日)の発言

*13 〈Yahoo!ニュース個人〉5月28日付


■政治的問題を社会に突きつけたテロリズム


 岩崎隆一による無差別殺傷事件は“引きこもり”“高齢化社会”“7040/8050問題”といった政治的問題を社会に突きつけた点でテロリズムだったと言えないだろうか。もちろんそれは狭義の“テロリズム”からは外れる。例えば、平成28年から内閣情報分析官としてテロ情勢の分析を担当していた小林良樹は、「学説上、テロの定義についてはさまざまな見解が存在しており、現時点では明確な決着は付いていない」と断った上で、テロリズムに関する主要な学説や主要国の法律に共通して含まれている要素を3つ挙げる。

(1)目的として何らかの「政治的な動機(political motive)」を持つこと。

(2)目的達成の手段として、(直接の被害者等のみならず)より多くの聴衆に対する「恐怖の拡散(spreading fear)」を狙っていること。

(3)そのために「違法な暴力(illegal violence)あるいは暴力による威嚇(threat of violence)」を利用すること。

 これまで見てきたように、隆一の動機は分からないままだ。一方で小林は「日本国内で悲惨な大量殺人事件等が発生した際にはニュース報道等において『これはまさしくテロだ』等の指摘がなされる場合があります。他方で、同様の大量殺人事件等であっても、『テロだ』とはほとんど指摘されない場合もあります。こうした違いはなぜ生じるのでしょうか」と疑問を呈している(*14)。


■単なる犯罪でしょ、というスタンス


 批評家の東浩紀は平成20年6月、当時25歳の派遣社員だった加藤智大が秋葉原駅近辺の歩行者天国で無差別殺傷事件を起こした際、「絶望映す身勝手な『テロ』」(「朝日新聞」平成20年6月12日付)という文章を発表、「筆者はこの事件をあえてテロととらえたいと思う」と書いた。そしてそれについてインタヴューで「なぜあえて(引用者注:テロという言葉を)使ったのかというと、ネットでの(同:秋葉原事件に対する)共感の声がロスジェネ(ロスト・ジェネレーション。バブル崩壊後の就職氷河期、いわゆる『失われた10年』に社会に出た世代)の運動に代表されるような若年層の怒りと繋がっていると思われたからです」「やはり少し過激な言い方をしてでも、この問題は社会全体で考えるべきであるというメッセージを発する必要があると考えました」と解説している。この「社会全体で考えるべき」事件こそが、テロリズムとして捉えられる事件だとも言えるだろう。

 また東は同インタヴューで“犯罪について語ること”について以下のように語ってもいる。「全体的にみても、今回の秋葉原事件はあまり語られていない。むしろ、語ることに対して私たちは自粛しなければならないというメタ言説の方が主流となっています。酒鬼薔薇聖斗事件(1997年)やオウム事件(1994〜95年)、もう少し前の連続幼女殺害事件(1988〜89年)の頃とは、環境が変化しています」。最後の宮崎勤が起こした事件はオタク第1世代の負の側面を象徴するものとして、ひとつ目の酒鬼薔薇聖斗が起こした事件は前述した通りニュータウン的環境を背景としながら、平成12年の西鉄バスジャック事件などと共にいわゆる「キレる14歳/17歳」を象徴するものとして盛んに論じられた。酒鬼薔薇と同じ昭和57年生まれの加藤の秋葉原事件も、結果的には多くの言葉が費やされたと言っていいだろう。

 それでも東は言う。「現代社会では、異常性を備えた事件を通して社会全体を理解するという、社会的包摂の回路そのものが弱体化しています」「したがって、何か異常な事件が起きたとき、それに対して過剰に意味を読み解こうとする行為そのものが、愚かにみえてしまう。むしろ、単なるアノマリー(異常なもの)としてリスク管理で処理しなさい、だって単なる犯罪でしょ、というスタンスの方が賢くみえてしまう。そういう時代になっています」(*15)。では、それから更に10年以上経った現在ではどうか。

 ポピュリストたちが隆一に投げつけた「一人で死ね」なる言葉は、遺族の怒りを代弁しているつもりだったのだろう。しかしそこには、7040/8050問題を始めとする社会的背景から隆一を引き剥がし、個人に問題を抱え込ませ、彼をもともといた深く暗い穴の底にもう一度突き落とすかのような――事件を社会的なものとして受け止めてなるものかというような強い意思が感じられた。更にその言葉はまた別の男の背中を押し、もうひとつの殺人事件を起こすことになるのだ。男とは、元農林水産省事務次官=熊澤英昭である。あるいは彼こそが、誰よりも真剣に岩崎隆一の事件を“テロリズム”として受け止め、影響されたのかもしれない。悪意は伝染していく。

 第4回に続く。

*14 以上、『テロリズムとは何か――〈恐怖〉を読み解くリテラシー』(慶應義塾大学出版会、令和2年)より引用

*15 以上、東の発言は社会学者・大澤真幸が編集した『アキハバラ発 〈00年代〉への問い』(岩波書店、平成20年)所収のインタヴュー「『私的に公的であること』から言論の場を再構築する」より引用。ちなみに、同じ単行本に収められた社会学者・佐藤俊樹の論考「事件を語る現代――解釈と解釈ゲームの交錯から」は、「一つ一つの犯罪事件について、私はできるだけ語らないことにしている。事例の一つとしてあつかえる、とか、事件への『世論』の反応をあつかう、といった形でのみ論じるべきだと考えている」と始まる。全体としては犯罪件数が減っていく中で、凶悪犯罪の特殊性が強調され、「解釈ゲーム」が横行することに警鐘を鳴らしており、こちらも重要な視点だと言えるだろう。

2021年4月10日 掲載

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