エビデンスを“誤用”する大人はダメ 若者が身につけるべき世界に通じる唯一の習慣

■「科学的」な態度とは


「理系の学生が、社会で活躍できるフィールドは確実に広がっている」――。

 そう語るのは、『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』(新潮社)の著者で東京大学名誉教授の早野龍五さん(物理学)だ。その理由は、2000年代に入り、ビジネスの世界でも「エビデンス(証拠)に基づいた決定」や「データサイエンスを使った分析」が広がってきたからだ。

 特に「エビデンス」という言葉は、ちょっとした流行語のようになった。だが、そこには、ひとつの落とし穴がある。

「例えば、『ある場所でAという商品が買われると、Bも買われていく』という現象があったとします。ここだけ抜き出して、『AとBが関係している。エビデンスもしっかりある』という言い方をする人が、理系・文系問わずいます。ですが、ちょっと待ってほしい。それはただそう見えるだけなのか、単なる偶然の一致でそういう人もいただけなのか。本当に原因と結果が結びついているのかは、検証が必要なのです。安易に断言せずに、丁寧に調べようとする姿勢こそ『科学的』な態度ですが、それができている人は少ない」

 理系を目指す学生も、最初は多くが「検証」をおろそかにして、結論を先に求めようとするという。その原因はどこにあるのだろうか。

 早野さん自身、東京大学を定年退職後、(幼児の)音楽教育法「スズキ・メソード」の会長に就任したり、糸井重里氏が代表を務める「ほぼ日」で初のサイエンスフェローとして働いたりと、以前よりも学問の外の“世間”とのかかわりが増えるなかで、実感したことがある。世間には、「科学は『正解』を教えてくれるもの」という思い込みが広がっていることだ。


■「巨人の肩に乗る」


 子どもの頃に学校でイヤイヤ実験をやらされた、よく観察しろと言われた、数式を書かされて証明させられた――。そして最後には、教科書に書いてある「答え」と照合する。それこそが、多くの人の抱く科学のイメージになっている。それは言い換えれば、受験のための科学だ。

「受験のための科学では、『なぜその結果になるのか?』『なんのためにそれをやるのか?』といったことは問われません。しかし、社会に出れば教科書はない。正解がどこかに書かれていることのほうが少なく、自分で『なぜなのか』を調べないといけない。冒頭に挙げたAとBの例えで言えば、どこの場所でも同じ動きをするのか、誰が検証しても同じような結果になるのか、その『質』にもちゃんと目配りできる人は、きっと多くのフィールドで活躍できるでしょう」

 これから世に出ていく学生や若者が、「勉強」のように正解を求めるだけでなく、科学の世界における「研究」の基礎のように、自ら問いを立て、検証する力を身につけるためには何が必要か。早野さんはそれを2つに整理した。第一にインプットの大切さ、第二に「発見の感動」を受け取ることだ。

「研究の本質は、『今まで誰もやったことがないことに取り組むこと』にあります。

 アイザック・ニュートンは『巨人の肩に乗る』という表現をしますね。巨人というのは、先人の積み重ねのことです。何か新しい成果を出すには、巨人の高さをまずは知らないといけない。過去の蓄積を膨大にインプットすることで、学生ははじめて自分が現在どこに立っているかを知り、そしてアウトプットする力を身につけられようになるのです」

 インプットする力は、就職してからビジネスパーソンにも求められるものだ。なぜかというと、それがなければ常に「一昔前の常識」に捉われ続けてしまうからだ。新しいものを取り込み、時代の進展に合わせてアップデートすることで、アウトプットも磨かれる。こうした習慣を身につけるチャンスは、社会に出てからは少なくなる。だからこそ、学生時代に習慣化できれば、それは一生の財産になるという。

■感動とたどたどしさにあふれている


 第二の「発見の感動」とは何か。早野さんは東大教授時代、学生と一緒にノーベル賞受賞論文を読むというゼミをやってきた。その中には、教科書に概要や成果がわかりやすくまとまっている研究もたくさんある。教科書を読めば簡単に結果を知ることができるにもかかわらず、なぜ「原典」にあたることが大切なのだろうか。

「結果を知るためだけなら、たしかに読む必要はまったくありません。でも大事なのは、結果だけではありません。まだ誰もやっていない分野で成果を出した時、科学者は目の前の発見に感動しています。

 そこには、『まだ世の中に表現するための言葉(これは数式も含みます)がない発見』もあります。本当に自分の見つけたものが、誰も知らないものなのかを丁寧に検証し、たどたどしくでもなんとか言語化し、数式に落とし込み、世界の科学者に伝えようとする。原典となる論文は、感動とたどたどしさにあふれているのです。

 これらは、後世の科学者が教科書にまとめる際には真っ先に抜け落ちるものです。僕は、学生時代に必要なのはその感動に触れることであり、それによって科学という営みに触れることだと考えてきました」

 早野さんは「科学とは、人知を超えたものを知ろうとする人間の営み」であると、よく語ってきた。

「人間は古代ギリシャ、あるいはもっと前から、自然、宇宙、物質という『人知を超えた何か』を理解しようと試みてきました。それは今も変わりありません。もしかしたら、宇宙のすべてがわかる日は来ないかもしれない。でも、少しでもわかろうと、近づこうとする。科学とは、とても人間らしい営みなのです」

 今まで誰もやっていないこと、新しいものを常に見つけようとし、「なぜ?」を大切にして検証を繰り返す。そんな科学の姿勢は、学問の世界に限らず、社会のどんな場面にも通じるものであり、身につけた人の「武器」になるのだ。

(取材・文 石戸諭)

石戸諭(いしど・さとし)
1984年、東京都生まれ。2006年、立命館大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。その後、BuzzFeed Japanを経て独立。現在、「文芸春秋」「サンデー毎日」「ニューズウィーク日本版」「日経サイエンス」等に執筆。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月19日 掲載

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