懸案の「山手線」と「平城宮跡」踏切問題に動き… そう簡単には解決しない可能性も

懸案の「山手線」と「平城宮跡」踏切問題に動き… そう簡単には解決しない可能性も

平城宮跡を横切る近鉄の線路と踏切。正面の後方に見えるのは朱雀門

 開かずの踏切は、決して目新しい社会問題ではない。それにも関わらず、テレビや新聞が定期的に取り上げる。そこには、誰もが踏切待ちでイライラさせられた経験があるから共感を得やすい、話題にしやすいという要因がある。

 原則的に、踏切の新設は認められていない。そのため、踏切は立体交差化が進められて、その数は時代とともに減少している。

 全国に踏切は約3万4000ある。いきなり、それらを全廃することは予算の都合もあって難しい。国土交通省や地方自治体、鉄道事業者などは、深刻な渋滞が発生しているか、事故が多発しているか、地形的な観点から立体交差化しやすいか、といった具合に優先順位を決めて踏切の廃止を進める。

 踏切廃止は長期的にわたる傾向にあるが、近年で踏切廃止の世論が高まりを見せたのは2005年だった。これは東武鉄道の竹ノ塚駅に隣接する踏切で事故が発生し、死者2名を出す大惨事となったからだ。

 竹ノ塚駅に隣接する踏切は電車の往来が多く、長く踏切待ちを強いられることが常態化していた。さまざまな理由から、東武は踏切の開閉操作をする職員を配置。近隣住民にも、開かずの踏切として広く知られていた。

 事故当時も開かずの踏切と化して多くの通行人が待ちぼうけを食わされていた。長い踏切待ちに業を煮やした通行人が、踏切を操作する職員に罵声を浴びせる。職員は恐怖にかられ、電車が近接していたのに踏切を開けてしまった。

 踏切が開いたので、歩行者が横断を開始。足もとのおぼつかない高齢者が、走ってきた列車にはねられて死亡した。

 こうした経緯から、職員が手動で操作する踏切は危険との判断が下されることになる。以降、東武のみならず危険と判断された踏切が立体交差化されていった。

 踏切を廃止することで事故が減り、それは鉄道会社にとってもメリットがある話だ。しかし、踏切の廃止は金銭的な負担が重い。そうした事情から鉄道会社の腰は重い。そのため、政府や地元自治体が立体交差化の費用の多くを負担する。

 立体交差で線路を高架にする場合、その下に生まれる空間の所有権は鉄道事業者に帰属する。行政から立体交差化の費用を多く負担してもらっているのに、鉄道事業者が高架下を自由に使えることには反感も出るようで、そうした住民感情などに配慮して用地の15パーセントを公共用として使用することがルールに定められた。とはいえ、細長い線路用地をうまく活用する妙案は出ないらしく、今のところ駐輪場として整備されるケースが目立つ。

 立体交差化と一口に言っても、線路を高架化するだけではない。そのバリエーションは多い。大別すると、1:線路を高架化する、2:線路を地下化する、3:線路の上に道路を通す、4:線路の下に道路を通すの4パターンに分類される。

 立体交差化の4パターンはそれぞれに一長一短あり、鉄道会社・地元自治体・地元住民の3者間でメリット・デメリットも異なる。どれを選択するのか? これで3者の議論がまとまらないことが、高架化が進まない一因にもなる。

 1は景観の問題から周辺住民が反対するケースが目立つ。特に、住宅地の場合は高架化に対して強烈な反対が起こる。自分が住む家屋近くの頭上を常に電車が走ることは気持ちがいいものではないし、高架線によって日照に問題が出ることもある。家の中を覗かれているという心理的な不快感もある。

 2は工費や維持費の負担が大きくなるため、地元自治体や鉄道事業者が消極的になるパターン。3と4は歩行者や自転車の往来が不便になるので、「踏切が廃止されて、不便になる」といった理由から地元住民や地元自治体が反対するケース。

 また、地域独特の事情もある。大阪―神戸間を走る阪神電鉄は連続立体交差化によって線路を高架化することを選択。大阪と神戸の間には、灘五郷と呼ばれる酒造が盛んな地域が点在する。特に、西宮郷は宮水と呼ばれる名水の採水地としても知られる。

 酒造業にとって、美味しい水は生命線。そのため、鉄道のみならず地盤をいじる工事には反対が必ずと言っていいほど出る。

 鉄道の高架化工事においても、基礎の杭にも水が通水できるように穴を開け、埋め戻しにも粒径の大きな砂利を使用。こうした水へ影響に最大限に配慮した。

 開かずの踏切は、細かな地域の事情を丹念に汲み取りながら解消されていく。誰もが解消を願いながらも、「総論賛成・各論反対」になりやすい。開かずの踏切問題は、達成までの道のりが想像以上に長いのだ。

 実際、先に挙げた阪神の工事では約20年もの歳月を費やしている。それでも、まだ阪神の線路には踏切が残り、現在も阪神と行政で協議が続けられている。


■去就が注目されている踏切


 今年3月末、踏切問題を語るうえで重要な2つの踏切が大きな転換点を迎えた。ひとつは東京都北区の駒込駅―田端駅間に最後まで残っていた山手線の踏切。同踏切は、過去にも何度も廃止論が浮上していた。それでも、踏切の廃止には至っていない。踏切が所在する東京都北区土木政策課の担当者は、こう話す。

「同踏切は山手線に唯一残っていた踏切ですが、国土交通省からも“改良すべき踏切道”に指定され、2020年度内までに方針を示すように求められていました。このほど代替の道路が整備されることを条件に廃止することが決まりました」

 代替の道路を整備するのは東京都になるため、北区が踏切の撤廃を決定しても踏切が即廃止になるわけではない。目標年も定まっていないので、踏切の見納めには長い歳月がかかるだろう。もしかしたら、計画自体が白紙に戻る可能性だってある。

 山手線の踏切と同様に、去就が注目されている踏切が奈良県奈良市にもある。それは、大和西大寺駅―近鉄奈良駅間にある4つの踏切だ。

 同区間は近鉄奈良線の電車が頻繁に行き来しているが、近鉄の線路は世界遺産・平城宮跡を分断するかのように敷設されている。710年に都として築かれた平城京のうち、大内裏の区画を平城宮と呼んで区別する。平城宮は言うならば平城京の核にあたる部分で、世界遺産にも認定されている。

 歴史的にも重要な土地を、なぜ近鉄の線路が分断しているか? その理由は、近鉄の線路が敷設された当時は平城宮がそこまで広大だと判明していなかったからだ。

 近鉄の前身である大阪電気軌道は、1914年に大和西大寺駅―奈良(現・近鉄奈良)駅間を開業させた。同区間に線路が敷設される前から、平城宮跡の調査は始まっていた。近鉄は平城宮跡地を文化財として価値が高いと判断し、平城宮跡を迂回するように線路を敷設した。

 ところが、後の調査で平城宮の範囲がもっと広かったことが判明する。すでに電車は走り始めていた。簡単には線路を移設できない。

 そうした事情から、線路の移設問題は先送りにされ続けてきた。この踏切問題は平城遷都1300年祭を迎える2010年前後に再燃する。しかし、費用負担で決着を見ることはなく、近鉄と行政の議論は平行線がつづいた。

「今回、移設に関しての費用負担の考え方がまとまりました。しかし、具体的な金額について詰めるのは、これからです。また、地下化する区間に関しては何も決まっていません」と話すのは近畿日本鉄道広報部の担当者だ。

 こちらの踏切も、国土交通省から2020年度内に踏切の改良方針を決めるよう促されていた。多くの重要事項は棚上げされたままのような印象は拭えず、計画通りに踏切が廃止されるのかも不透明だ。仮に、順調に計画が進んでも計画完了まで40年かかると試算されている。その頃には、踏切を全廃するとの決定事項も忘れられているのではないか? という気がしなくもないが、今年度内に一応の決着を見るところまではたどりついた。

 大和西大寺駅―近鉄奈良駅間には、線路の移設と同時に新駅の構想も出ている。しかし、「線路移設と新駅の設置は別問題と捉えています。現段階で発表できることはありません」(同)

 大和西大寺駅―近鉄奈良駅間の踏切の廃止問題は、さまざまな思惑が入り混じって収拾がつきにくい。長年の懸案だった2つの踏切問題だが、一筋縄では進まない可能性は高い。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮取材班編集

2021年4月20日 掲載

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