「加藤一二三」「屋敷九段」「神谷八段」…大記録を破られた棋士たちが「藤井聡太」にアドバイス

「加藤一二三」「屋敷九段」「神谷八段」…大記録を破られた棋士たちが「藤井聡太」にアドバイス

加藤一二三九段

 今月まで公式戦半年間負け知らずの19連勝を果たすなど、将棋の藤井聡太二冠(18)の勢いは留まるところを知らない。果たして死角はあるのか。将棋ライターの松本博文氏が、記録を破られし3人の“伝説の棋士”たちにインタビュー。若き天才への助言を聞いた。

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 2020年は、藤井聡太が史上最年少の17歳11カ月で初めてタイトルを取った年だった。

 後世の将棋ファンはおそらく、過去をそんなふうに振り返るだろう。藤井の歩みはいずれ、将棋界の正史と同義となる。それはほぼ間違いない。以下同様に語るとすれば、2016年は藤井が史上最年少14歳2カ月で四段昇段(プロ入り)した年であり、17年はデビュー戦以来無敗で史上最多の29連勝を達成した年だ。

 2020年度だけでも、藤井は3一銀(棋聖戦第2局)、8七同飛成(王位戦第4局)、4一銀(年度最後に17連勝を決めた一局)など、歴史に残るような一手を次々と盤上で披露した。

 藤井の図抜けた実績は、成績記録や最年少記録にも表れてくる。藤井の盤上の指し手を理解するには、それなりの将棋の実力が必要だ。一方で記録は将棋のルールを知らなくてもわかる。世間が注目するのは、むしろ記録の方かもしれない。

 本稿ではそれをダイジェストにまとめ、さらに藤井が登場する以前、何十年と破られることなく記録を保持していた、屋敷伸之九段(49)、神谷広志八段(60)、加藤一二三九段(81)に改めてインタビューをおこない、当時のこと、現在の藤井のことなどを尋ねた。


■趣味は競艇


「アドバイスですか? ないですね。格としては向こうが上ですので、こちらがいろいろ伺いたいです」

 先輩として藤井二冠に助言はあるだろうか。そう尋ねると、屋敷は笑ってこう答えた。

 屋敷九段は早熟の棋士だ。タイトル挑戦(17歳10カ月)と獲得(18歳6カ月)を史上最年少で達成。直前に羽生善治(現九段・永世七冠資格保持者)が作った挑戦19歳0カ月、獲得19歳2カ月という記録を破った。昨年6月、藤井が棋聖位に挑戦、7月に獲得するまで31年間の長きに亘って残り続けた大記録である。

 屋敷は1972年生まれ。70年生まれの羽生の少し歳下にあたる。

 棋士の養成機関である奨励会に入会したのは中学2年。のちに一流棋士となる少年の中では、比較的遅かった。藤井は同じ中2のときに、棋士として認められる四段に昇段している。

 屋敷が頭角を現すのはあっという間のことだった。奨励会を記録的な速さで通過し、1988年、16歳でプロ(四段)となった。デビュー後も勝ちまくり、順位戦(名人一人を頂点とし、その下で5組に分かれたピラミッド式のリーグ)C級2組を1期で抜けた。

「どれくらいやれるのか不安もありましたけど、勝てたのが自信になっていた」

 若手時代の屋敷は「おばけ」とも「忍者」とも言われた。旧来の棋士には理解できないような感覚の手が次々と飛び出してくる。

 シーズンフル参戦の1989年度。屋敷は棋聖戦でも勝ち進んだ。トップクラスをなぎ倒し、はたから見れば、実にあっさりと棋聖挑戦を決めた。まだ17歳だった。

 屋敷は大変な快挙を成し遂げた。しかし当時と今とでは状況は大きく異なる。屋敷の記録は、藤井のときほどに騒がれたわけではなかった。

「将棋界での注目はあったかもしれないですけど、世間的には雑誌の見出しでちょっと出るぐらいでした」

 対して今の将棋界は、

「かなり注目度が上がってるんですね。いろんなメディアで取り上げられますし、ネットでもすぐ速報される。特に藤井さんに関しては将棋の強さだけではなく、食事などいろんな面で注目されてます。ファン層が広がって、世間にかなり認知されてきたんですかね」

 若手の中で藤井が突出している現在とは違い、屋敷の新人時代には羽生をはじめ、森内俊之九段(十八世名人資格保持者)、佐藤康光九段(永世棋聖資格保持者)など、10代新人の台頭がめざましく、屋敷だけが注目されているわけでもなかった。

 タイトル戦初登場の屋敷は、中原誠棋聖を相手に善戦したものの五番勝負を2勝3敗で敗退した。しかし、その翌期、屋敷は2期連続で挑戦者となる。そして今度は3勝2敗で制し、18歳で初タイトルを獲得した。

 先に述べた通り、屋敷の17歳挑戦&18歳獲得は、空前の最年少記録として残り続けた。とはいえ、屋敷自身はその記録を意識してはいなかったという。

 屋敷の記録をおびやかす有力な候補としては、渡辺明・現三冠(1984年生)の名が挙げられたが、

「若くて強い棋士はたくさん出てきます。しかしあれだけ強い渡辺さんでも記録には届かず、その後、記録自体が騒がれることはなかった。もちろん名誉な記録ではあるんですけど、正直、自分自身意識することもなかったんです」

 時を経て、屋敷よりも30歳下の藤井少年が現れた。藤井が最年少デビューしたとき、屋敷は自身が持つ最年少記録をすぐに抜かれると予想したのか。

「正直、そこまでの感じはなかったですね。もちろん藤井さんはすごく強い。デビュー戦以来ずっと勝ちまくっていたので、当然相当なところまでくるだろうという感じはしてました。しかしすぐに記録更新までは考えてなかったです」

 さすがの藤井も簡単にタイトル挑戦はできない。しかし、その日は近づいた。2020年6月。デビュー4年目の藤井の棋聖挑戦が目前に迫ると、屋敷への取材もピークに達した。

「非常にありがたいことですね。どんなことでも注目していただけるのはいいことですので」

 藤井は強敵をなぎたおし、ついにタイトル挑戦を決めた。挑戦時17歳10カ月20日。屋敷の記録をわずか4日抜いた。そして17歳のうちに棋聖を獲得し、そちらの記録もまた更新した。

 屋敷は記録を抜かれたことについて「さびしい」などの感情は湧かなかったのだろうか。

「どうでしょうね……。そろそろという感じがしてましたから」

 藤井は棋聖奪取の1カ月後には王位を奪取し、現在、二冠を保持している。

 他方、屋敷は棋聖奪取後、一度は防衛したが、翌年に奪われ、しばらく無冠の日々が続いた。タイトルの重みはやはりあったのか。

「やはり環境が変わりましたね。それまでは先輩と当たると下座に座っていましたが、上座を勧められる。実力的にまだまだだと思っていましたので、違和感はあった。公務や取材も増えました。もちろんタイトルを獲ったということで結果を求められますが、トップ棋士と当たることが増えたので当然勝てなくなる。技術的、精神的なバランスの取り方が難しかった」

 屋敷は若い頃から競艇が趣味だ。その縁で現在は日本モーターボート選手会の理事も務めている。勝てない頃は「競艇場でスポーツ新聞の詰将棋を解くぐらいしか勉強していない」とも言われた。実際は、努力を外に見せなかっただけだ。

「自分なりには打ち込んでいたので。すべてを含めて実力なんですね」

 7年後には再び棋聖位を獲得。十数年前からは禁酒をしてコンディションを整えている。

「自分への不甲斐なさもあり、酒をやめたらどうなるだろうかと思ったんです。そうしたら勝ち星が積み重なった」

 屋敷と藤井は過去に2回対戦し、いずれも藤井が勝っている。両者は現在実力者ぞろいで「鬼のすみか」と呼ばれるB級1組に所属している。藤井は現在順位戦で22連勝中。森内九段が持つ最多記録26連勝に迫っている。もしこのまま藤井が勝ち続ければ、屋敷と24連勝を懸けて対戦する。屋敷はストッパーとなれるだろうか。


■クソガキと大人


「時代が変わったなあ」

 17年5月。静岡県浜松市在住の神谷広志八段は、妻と一緒に藤枝までハイキングに行った。入った蕎麦店でテレビニュースを見ていると、14歳の藤井聡太四段がデビュー以来無敗で勝ち進み、16連勝したことが伝えられていた。それでもまだ、自身の持つ28連勝の記録が破られるとは思っていなかった。

 だが、藤井はなんと将棋史上最多の29連勝を達成した。藤井が勝ち進むにつれ、大きくクローズアップされたのが、神谷である。

 神谷は1961年生まれ。80年度に19歳で四段に昇段し、プロとなった。

 将棋界に優等生タイプの棋士が増える中、神谷は異彩を放った。反骨精神にあふれ、上位の大物棋士にも物怖じせずにはっきりとものを言った。競馬が好きで、自身の過去は大きなレースとの関連で覚えている。

 86年度。神谷は不調で、順位戦C級1組では成績下位につけられる降級点(2回取ると降級)を取りそうなピンチを迎えていた。しかしそこをしのいだのが転換点となる。そのあとは逆に公式戦で白星が続いていった。

 翌87年度になっても連勝は止まらない。当時の最多記録である22連勝を更新した後も続き、28連勝目には当時の超一流・米長邦雄九段まで破った。

 何があったのか。

「凡人がほぼ運だけで作った記録。あとでわかったんですが、途中、振り駒で8連勝しているんです」

 神谷はそう謙遜する。

 将棋では先手番と後手番を、駒を振った裏表の数で決める。勝率がわずかに高い先手番を取る確率は2分の1だから、それを8回連続で取ったのは、運もあったに違いない。

 しかし、たとえそうであっても28連勝は偉業としか言いようがない。が、

「23連勝したときも、週刊誌1誌が取材に来ただけ。でも別のニュースが入って飛んでしまった。それくらいでした。その週刊誌は28連勝した時にまた来たんですが、ふざけんなと思ってその時は相手にしなかったですね。当時はまだ若かったから」

 連勝が止まった29戦目には出身地の静岡からテレビの取材が来た。週刊誌の取材も何件かはあった。しかしそれぐらいのものだった。30年後の藤井フィーバーとは比べるべくもない。

 連勝達成後、ファンや関係者の間では「28連勝」は神谷の代名詞になった。しかし屋敷同様、神谷自身は記録をそれほど意識してはいなかった。

 2016年10月。藤井聡太がプロ入りした。天才少年の存在はそれ以前から知っていた。いずれ自分の記録が破られる可能性があるとも考えた。しかしそれがデビュー以来無敗で成しとげられるとは、想像すらできなかった。

 藤井が投了間近の局面から大逆転で20連勝目を達成した時点で「もしかしたら」と思い、はじめて記録を意識し始めた。

「やっぱり僕もそんなに人間ができてないんで、破られたくないなと思ったんですよ」

 22連勝目も藤井の大逆転勝ち。ここでいよいよ神谷は観念し始める。記録更新に備えた記者たちからの取材の申し込みを受け始めた。藤井がさらに勝ち進むにつれ、予想以上にマスコミからの取材が殺到した。

「もう5時間ぐらい、30分ずつ10社からずっと撮られるような状態でした。そのとき、27連勝で止まってくれたらと思ったんですよ。27連勝で止まって、その数年後に藤井さんがずっと勝ってて、その時もう一回取材に来ないかなって。もう私、俗人中の俗人なんで」

 神谷は自身の連勝記録を謙遜し「ガラスでできたおもちゃ」と喩える。しかし藤井の活躍に際し、世間はダイヤモンドのようにもてはやした。その様子を見ているのは面白かったという。

 藤井はついに28連勝。テレビカメラに囲まれながら、神谷はその瞬間を報道陣と一緒に見届けた。

 そして29連勝の新記録達成。神谷があらかじめ将棋連盟に提出していたコメントが発表された。

「28という完全数は一番好きな数字ですのでそれが1位でなくなることは個人的に少々寂しいのですが凡人がほぼ運だけで作った記録を天才が実力で抜いたというのは将棋界にとってとてもいいことだと思います」

「少々寂しい」と言いつつ、神谷はコメントには出さなかった別の感情を抱いていたという。

「ちょっとその前に将棋界が嫌な空気だったじゃないですか」

 16年に起こった、将棋ソフトの不正使用疑惑のことだ。後に第三者調査委員会によって三浦弘行九段の疑惑は否定されたが、

「あの頃は若手と研究会をしていても、こんなことしていて何になるんだろうという、どよんとした雰囲気があった。将棋界存続の危機と言ってもよかったのですが、でも、藤井さんは、そうした空気をぜんぶ吹き飛ばしてくれた救世主でした。一人の天才でこんなに変わるのかな、と」

 神谷はまだ、藤井二冠とは一度も対戦がない。

「一度は当たってみたいですね。テレビで聞かれた時には“4回に1回は勝てる”なんて盛って言いましたけど、そんなわけはない。28連勝時の僕でもそんなに勝てないですよ。こてんぱんにやられるでしょうが、それでもやってみたいという気持ちはありますね」

 二冠とは挨拶程度しか交わしたことがないというが、

「僕が18歳の時なんてしょうもないクソガキ。それから見れば信じられないくらい大人びていますね」

 藤井が「大人びている」という見方は筆者も同感だ。14歳の藤井に取材した際、どんな質問にも時間をかけて慎重に言葉を選ぶ姿勢が印象に残った。

「今後、変な大人が寄ってきたら気を付けた方がよいと思いますね。商売に利用しようとか、利を貪ろうという人が近づいてくるはず。そこは気を付けてほしい。やっぱり将棋界を救ってくれた人だから」

 タイトルや棋戦優勝には縁のない神谷だが、厳しい世界を生き抜いてきた先輩だけに重みを持つ言葉である。


■“テレビに出られます”


 現在は史上空前の将棋ブームと言われる。藤井聡太の出現がその決定打となったことは間違いない。しかしそれ以前から、将棋界には多彩なキャラクターの棋士が存在することが、世間に知られ始めていた。「ひふみん」の愛称で親しまれるようになった加藤一二三九段もその一人だ。

 テレビに映るひふみんは、ユニークな好々爺として知られている。しかし将棋界のオールドファンにとっては、「加藤先生」はまず何よりも「神武以来(このかた)の天才」だ。将棋界は天才が集まる世界と言われる。その中にあって、加藤ほどその早熟ぶりを称えられてきた棋士はいない。

 1954年。加藤は14歳7カ月でプロ入りし、将棋界の最年少記録を次々と打ち立てていく。四段、五段、六段、七段、八段昇進まですべて記録を更新した。しかし、60年近く経ってようやく、五段を除いてすべて藤井に塗り替えられた。

 加藤はその後も名人1期を含め、タイトルを通算8期獲得(歴代9位)。キャリア晩年も、いくつもの最年長記録を更新しながら、現役生活を続けていた。その最終盤で藤井が現れたのは奇跡的だ。

「タイミング的に、いいときに彼が四段になったんですね。しかもね、初戦が私」

 藤井の選んだ戦型は、加藤がもっとも得意とする矢倉だった。藤井はよく戦い、堂々の勝利を飾った。加藤はその翌年、長い現役生活にピリオドを打った。

「あの将棋は1カ所だけ私にチャンスがありました。(中盤で)7四銀不成としておけば、私が面白い将棋だったと(今から)2カ月くらい前に気づいたんです。藤井さんはよく研究していると感心いたしました」

 近年、加藤はその飄々としたキャラクターが受けて、テレビによく登場するようになっていた。藤井の連勝が始まると、その出演機会もまた増えた。

「藤井さんが29連勝を達成する過程で、私が非常に注目されましてね。“藤井さんについて語ってください”ということで、控えめに言っても50本のテレビ番組に出ております。私が将棋会館で藤井さんにばったり会ったときに言ったんですよ。“あなたが勝つとね、私はテレビにたくさん出られるようになってます”と。彼はにっこり笑っていました」


■理屈ではわからないこと


 最多連勝記録を達成したあとも、藤井は着実にステップアップを重ねた。

 しかしその藤井ですら抜くことができない不滅の大記録がある。それは加藤が達成した18歳での順位戦A級入りだ。

 14歳で四段となった加藤は足踏みすることなく毎年順位戦での昇級を繰り返し、18歳でA級へと駆け上がった。「神武以来の天才」という加藤の二つ名は、この頃生まれた。さすがの藤井でもこの18歳A級は達成することができなかった。つまりはこの先も、加藤の記録が更新される可能性はほとんどない。

 藤井が更新できない記録はまだある。それは20歳3カ月という、加藤の史上最年少名人挑戦記録だ。このまま藤井が今年度、B級1組を勝ち抜いてA級に昇進し、来年度A級でも1位となって名人に挑戦したとしても、この記録には届かない。藤井の存在によって、加藤の記録の偉大さが再確認された格好だ。

 加藤は現在81歳。将棋盤のます目と同じ数の「盤寿」を迎え、なお矍鑠(かくしゃく)と活躍中だ。人生の大先輩として、彼は藤井にエールを送り続けている。

「将棋に対する研究態度はブレない姿ができあがってますから、それでいいと思うんです。それとやっぱり健康であることは大事です。私も健康だったから、深夜に及ぶ対局が終わっても疲労困憊したという経験がないんですよ」

 加藤はクラシック通、またローマ教皇から勲章をもらうほど信仰の深いカトリック教徒としても知られている。

「藤井さんがさらに飛躍発展するためにどうしたらいいか。バッハやモーツァルトといったクラシック音楽の名曲を聴くことを勧めたい。私は対局の前の日は、将棋の研究を少しして、後は好きな音楽を聴いていましたからね。研究に没頭するのもいいけれど、気分転換を兼ねてクラシック音楽に浸るとかね。そういったことを期待したいと思っているわけです」

 そして「一つ強調したいこと」としてこう言う。

「僕は1982年、3度目の挑戦で中原誠さんに勝ち名人になりましたけど、その時はね、95%負けている将棋を勝ったんですね。やっぱり棋士人生がかかった勝負の時とかはね、理屈ではわからないことが生じるということを言いたい。僕は信仰を持っていたから神の助けと確信していますがね」

 敬虔な信仰者で、将棋の求道者でもあった加藤らしい言葉である。

 藤井が新たな記録を更新しようとする度、以前の記録やその達成者が注目され、光が当てられる。いよいよ棋界制覇に向けて踏み出し始めた藤井。2021年度、将棋界の正史にどのような歩みを刻むのだろうか。

(敬称略)

松本博文(まつもとひろふみ)
将棋ライター。1973年、山口県生まれ。東大法学部時代、将棋部に所属し、在学中より将棋書籍の編集に従事。卒業後はフリーの将棋ライターに。日本将棋連盟などのネット中継にも携わる。著書に『ルポ 電王戦』(将棋ペンクラブ大賞文芸部門受賞)、『藤井聡太 天才はいかにして生まれたか』など。

「週刊新潮」2021年5月27日号 掲載

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