「スーパーカブ」炎上で考えたフィクションで「悪いこと」を描くテクニック(古市憲寿)

「スーパーカブ」炎上で考えたフィクションで「悪いこと」を描くテクニック(古市憲寿)

イラスト・k.nakamura

 最近の映画では、殺人鬼だろうが暴力団員だろうが、きちんとシートベルトを装着する。人間を殺す前後にも、絶対に道路交通法は忘れない。さすがコンプライアンスの時代だ。

 視聴者はやたら交通法規に厳しいらしく、「スーパーカブ」というアニメが炎上していた。中古のスーパーカブを購入した女子高校生たちの日常を描く作品だ。

 問題となったのは、主人公の高校生が同級生を乗せて二人乗りをするシーン。自動二輪免許を取ってから1年未満の二人乗りは違法行為ではないか、というのだ。創作物に違法性を問うていたら、「頭文字D」や「湾岸ミッドナイト」は成立しないわけで、ネット上では擁護の声の方が圧倒的多数のようだった。

 その擁護意見には、完全に同意なのだが、フィクションで「悪いこと」を扱うにはテクニックがある。

 たとえば、それをきちんと「悪いこと」として描写してしまうことだ。青春映画ではよく「授業中のキス」や「不良のタバコを吸う」といったモチーフが登場する。作中の人物はそれが「悪いこと」だと認識している。だから勇気を出して「キス」をしたり「タバコ」を吸うシーンには、青春らしい緊張感が出るわけだ。

 実際「スーパーカブ」の原作小説や漫画では、主人公は二人乗りを違法行為だと認識していた。その上で、「今の暮らしは交通反則金くらいで揺らぐものではない」とカブに乗るのだ。アニメ版ではこの箇所が省略されてしまったらしい。

 殺人鬼のシートベルトも、描き方によっては登場人物の魅力になり得る。同名の書籍があるくらい有名な脚本のテクニックに「SAVE THE CAT」というものがある。文字通り「猫を助けろ」という意味だ。

 映画における主人公は、観客が好感を持ち、応援したくなる人物である必要がある。その象徴が猫を助けるシーンというわけだ。たとえば、銃撃戦で何人も人間を殺した帰り道、捨て猫を拾うだけで主人公は、ちょっと「いい奴」に見えてしまう。もちろん「猫」は比喩。実際の映画では、さまざまなパターンの「SAVE THE CAT」がある。

 殺人鬼のシートベルトは「いい奴」に見せる演出にも使える。逆に、交通法規にもうるさいくらいの正義感ゆえに殺人を犯すキャラクターとして描いてもいいだろう。バイクの二人乗りも、殺人鬼のシートベルトも、作中でエクスキューズがないから観客から突っ込まれてしまうのだ。

 タイアップから生まれた名曲が多いように、制約は創造の足掛かりになり得る。考えてみれば、いつの時代も何らかの制限事項はあった。江戸時代に真正面からの幕府批判は御法度だった。コンプライアンスの緩かった昭和時代は、今のようにCGを使った派手な演出はできなかった。各時代のクリエーターは、その制約の中で成果物を生み出してきたわけである。

 この文章も、あと100行あってもよりよいエッセイになったかはわからない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2021年6月24日号 掲載

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